はなだより

「蔦――蔦はいるか」
小十郎が主君に従って南下し、愛姫の実家がある三春に向かったのが少し前の事。確か今日戻るはず――と思っていたところへ、夫のかすかな呼び声が聞こえた気がして蔦が首をかしげていると、なにやら足音がした。
「奥さま、表に旦那様がお戻りです」
足音の主の女中に呼ばれて、はて自分のいる部屋から表であげられた声は聞こえるほどの距離が近かったかと首をまた傾げかけたが、ともかく蔦は立ち上がり表に向かった。屋敷の入口に夫の姿がないのでまたまた首を傾げかけると一足先に小十郎を迎えるために出ていたらしい小十郎の部下、佐藤定郷が屋敷の外から中へと戻ってきた。
「殿が表でお待ちです」
慇懃な口調で、だがどこか笑みを秘めた声で言った夫の部下に蔦は笑いかけてから表へ出た。ところが玄関先に夫の姿はない。ふと門の方を見れば、定郷の二人の弟、標郷と秀直の背が門の向こうにある。よく見れば秀直は馬の轡をとっており、標郷は上を見上げて何か話しているようである。
蔦は小走りでそこへ近づいた。それから標郷にならって上を――上にいる人物を見上げた。
「おかえりなさいませ、小十郎さま」
蔦の良人は屋敷の前だというのにまだ馬上の人であった。
「来たか」
ふといつもよりはるかに高い位置から見下ろしてきた小十郎の視線が優しい気がして、蔦は小首を傾げた。
「夕方にお戻りかと――」
「政宗様に許されてな。そのまま戻った」
「左様ですか。――、下りられないのですか?」
部下に馬を抑えさせているというのに、小十郎は手綱をとったままだ。すると蔦の言葉に標郷と秀直が顔を見合わせ、二人はいつの間にか蔦の背後に控えていた定郷にも目配せをしたあと苦笑した。それを不思議に思って振り返れば、定郷も口元に笑みを浮かべている。
「なあに、みんな変よ?」
困惑しつつ、それでも何か悪いことがあったわけではなさそうだと蔦が苦笑しながら聞くと、馬上から手を差し出された。もちろん小十郎の手である。蔦は良人の意図するところがわからず、その手を見つめる。
「なんですか?」
「いいから、こっちへ来い」
蔦が戸惑っていると、背後から
「失礼いたします」
と声がして、ひょいと体が浮き上がった。悲鳴を上げる間もなく、慣れない腕から馴染みの腕へと軽々と蔦が受け渡された。
「定郷、よくやった」
「ありがたきお言葉」
蔦がどこか笑いを含んだやりとりを聞いたのは、馬上――小十郎の前に横座りになった形でであった。定郷は蔦を主の前へと運ぶ手伝いをしたのだ。
「な、なんです、いったい?」
蔦が四人の男を見回しながら言うと、三兄弟はまた苦笑しあった。そして蔦の質問には誰も答えてくれる気配がない。小十郎はあえて蔦を無視して部下たちに声をかけた。
「標郷、任せた分の仕事はどうだ」
「順調に処理しております。明日にはお見せできますのでご安心を」
「そうか、ならいい。秀直、もういいぞ」
「はい」
言われた秀直が轡を放した。馬が首を振って馬体を揺らしたので、蔦は思わず小十郎にすがりついた。すると、小十郎がニッと笑う気配がした。
「しっかりつかまってろ」
「え?」
「舌をかむなよ」
「はい?」
小十郎は言うなり馬の腹を蹴った。するといななきをあげた馬がぐっと踏み出し、くるりと身を翻した。すぐに馬は速度を上げだし、蔦はおどろいて小十郎にしがみついてしまった。言われたとおり、口はしっかりとつぐんでおく。ふと昼寝をしている左衛門のことが頭に浮かんで不安になったが、手綱を握りつつもしっかりと体を支えてくれている小十郎の腕を感じるので落馬については心配ないだろうと――三回ほど自分に言い聞かせた。
しばらくそうしていたら――小十郎が手綱を引く気配がして、馬が速度を緩め始めた。辺りを見回せば、屋敷から歩いてくるにはちょっとしんどい場所まで来ていたようだ。
蔦がほっと胸に手をあててため息をつくのとほぼ同時に馬が歩みをとめた。すると小十郎が馬の背からひらりと下りた。支えをなくした蔦は思わず馬の背に手をついて踏ん張ってしまった。馬がピクリと耳を動かした。
そんな蔦に、今度は下から手が差し出される。
「ほら、おいで」
蔦はちょっとびっくりした。おいで、などと言われたのはたぶん初めてだ。何しろいつもは「おい」とか「こっちだ」とか、そういう呼びかけばかりだから。よほど自分を連れ出したい何かがあったのだろう、と思いそっとそちらに手を伸ばすと半ば抱きかかえられるような形で馬から下ろされた。
思わずまたすがりつくようにしてしまうと、小十郎が笑う気配がした。
笑われたのかと思ってむっとして見上げれば、小十郎は珍しく穏やかな笑みをみせていて蔦は面喰ってしまった。
「なんです? さっきから?」
「三春、とはよく言ったものだな。本当に桃と梅と桜がいっぺんに咲いている、何度行っても驚かされる」
「はい?」
質問の答えになっていませんよ、と続けて言おうとすると小十郎が向こうをむいた。
「こっちだ――三春のようにはいかないが」
小十郎がまたしても勝手に歩き始めたので、蔦はため息をつきつつそれに従った。今日の小十郎は妙に浮ついていて、しかも最低限の説明もしてくれない。どうしたのか、と思っているうちに再び勝手に小十郎が足を止めた。
「多く見積もっても、まだ五分だがな」
言って小十郎が先を示した。
「まあ、桜」
示された先には、一本の淡い色の桜の木が佇んでいた――だが満開というわけではなく、小十郎の言うように五分咲きと言ったところで見頃とは言い難い。それでも蔦は微笑んだ。
「屋敷の方ではまだですのに。すぐそこまで春が来てるんですね」
「ああ、とりあえずここまでは来てるってことだな」
蔦は桜に歩み寄って、そっと目線に近い所にある桜に手を伸ばした。少しだけ引き寄せると確かに淡い桜色の花があり、春の香りがした。蕾のものもあるがすぐにでもポンと音を立てて開きそうである。
可愛らしい花弁を撫でた後、蔦はそっと枝を解放してやった。
「桜切る馬鹿、梅切らぬ馬鹿、だからな。連れてくるしかなかった」
「別に先におっしゃってくれればよかったのに。何処へ行くのかと不安になったりしていたんですよ」
傍らに来た小十郎が言うのでそう返すと、夫は素直に
「悪かった」
と言った。しかしその後に
「桜が咲いていた、と言って満開を期待させるのも悪いかと思ってな」
「たしかに――まだあと少し、といった感じですね」
蔦が笑いながら言うと、小十郎はため息をついた。
「三春の滝桜は満開だった」
「そうですか」
蔦が政宗の妻の郷里を思い憧れを秘めて呟くと、小十郎が言った。
「お前だけだな、見ていないのは」
「え?」
「愛姫さまはもちろんだが政宗様、成実と俺に綱元殿は見たからな――お前だけだ」
蔦はそう言われて、夫が言いたい事を図ろうとしたが――その前にふと気付いたことを口にしてしまった。
「義姉上もきっと見ておられませんよ?」
真剣に言えば、小十郎ははっとしたように蔦を見た。それから深くため息をついて、肩を落とした。
「それに左衛門も、定郷と標郷と秀直、あ、それから信定も! えーとそれから……」
「男どもはいつか連れていくかもしれんから、除外だ」
指折り数えて言えば、小十郎は少し機嫌を損ねたように言った。蔦はその様子にくすくす笑った。
「ごめんなさい――私に“桜”を見せたかったんですね?」
言えば、小十郎は優しく苦笑して蔦を見やった。
「ああ、――そうだな」
蔦は勿論察していた。小十郎は蔦に三春の見事な桜を見せたかったのだ――本当は。五分咲きのこの桜は、その代わりにすぎない。
しかしやはり桜は手折るわけにはいかないから、ここにこうして連れてきたのだろう。きっと小十郎がこれを見つけて、政宗が気を利かせたのかもしれない。蔦が三春に憧れているのは、愛姫を通して政宗も知っているのだ。
「満開になったら、みんなでお花見をいたしましょう」
「ああ、そうだな」
「お酒も用意して――花衣は何がいいでしょう。萌黄は子持ちにはだめでしょうか」
「別にいいんじゃねぇか、子持ちでも。俺は萌黄がお前に一番似合うと思うけどな」
珍しく褒めるようなことを言われたので、蔦は驚いて小十郎を見やった。視線が合えば、妻の驚いた顔に夫が眉を寄せた。
「なんだ?」
「いえ……今日は本当に春が来ているんだなぁ、と思って」
「……?」
蔦はいつも小難しげな顔をしている夫の顔に、息子の左衛門に似た表情をいくつか見つけたのだ。
たんぽぽがあったの、ははうえにあげる、と息子が黄色い花を摘んできたのはついこの間。桜を見上げる小十郎の表情がその時の左衛門に良く似ていて――いや父子の関係を思えば左衛門のあの時の表情が今の小十郎に似ているのだろう――蔦はなんだか温かい気持ちになった。
そんな蔦に、ふと思いついたように小十郎が言った。
「昼はみんなで花見だが、夜桜はお前と二人がいい。付き合ってくれるか」
今日の小十郎さまは、本当に珍しい。そう思いつつ蔦は
「はい、お供いたします」
といつものように短く答えた。

(了)

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2011年4月5日初出 2011年4月17日改訂
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