Amoris vulnus idem sanat, qui facit. 4
 其の四


「おい、蔦」
「あら、お説教は終わったんですか?」
奥の間にて針仕事をしている蔦を見つけると、小十郎はその前にどかりと座りこんだ。
「それよりお前、具合悪いそうじゃないか。大丈夫か」
言うと、蔦はそれに小首をかしげてスイと立ち上がった。それから納戸を開けて何やら取り出し、きちんと座り直すとそれを小十郎の前に置いた。
「はい、いつもありがとうございます」
「……」
綺麗な紙で包んだ小箱。どうやら例の贈物らしい。小十郎は話をそらされたことも相まって眉を寄せた。
「俺はこういう軟派なの好きじゃねぇ」
「……」
すると蔦は一瞬哀しそうな顔をして、ひょいと箱を取り上げた。
「それなら、仕方ありません。見なかったことにしてください。自分で食べますから」
「あ」
「“あ”?」
小箱を取り上げられて、思わず出た意味を為さない一言に小十郎は自分でギョッとした。だがくすくす蔦が笑うばかり。
それにしばしオロオロと視線をさまよわせた後、小十郎は片手を差し出した。
「……貰ってやる」
「素直に最初からそうおっしゃってください」
そう言って笑う蔦からやや乱暴に小箱を受け取ると、小十郎はため息をついた。
「何もあらたまって。……、俺は何も用意してねえぞ」
言うと、蔦が少し困ったように小首を傾げた。
「……いえ、小十郎さまにはすでにいただいておりますよ」
「……?」
蔦が自らの腹に触れた。
「重綱と――ここにもうひとり」
「――」
何を言われたかわからず、小十郎は妻をじっと見やった。そんな夫を見て蔦は笑う。
「重綱が兄になって、小十郎さまはもう一人のお子の父になりますよ」
穏やかな蔦の笑顔が幸せに満ちていて、小十郎は言葉に詰まった。
「――ほんとうか」
「嘘をついてどうするんです?」
笑う妻に、小十郎は何を言ったらいいかわからない。
二年ほど前――主夫妻にようやっと嫡子が誕生した。五郎八と名付けられたその子は姫君で、家臣たちは嫡男ではなかったことにいくらか落胆した。だがその五郎八姫に目通りがかなった際、蔦は姫の母である愛姫の次にその子を愛おしそうに見つめ、いつまでも抱いていたのだ。その光景が小十郎の目に焼きついている。
だが実は、小十郎はそのずっと前に気づいていたのだ。畑などに出た際、女の子が母親といると少しばかり蔦が羨ましそうに眺めていることに。
「左衛門は男の子で、いずれ手を離れてしまいます。お稽古が始まれば、小十郎さまの出番で私は引っ込まなければなりません。でも女の子だったら、お嫁に行くまではずっと一緒にいられますから」
蔦がそう言ったのはまだ重綱が左衛門だったころだ。
そんな蔦に子を与えてやりたいと思って幾度も交わったが――神無月の神々の合議では、子殺ししかけた父のもとに二人目はやらんということか、子ができることはなかったのだ。
ただ、蔦が一度だけ言ったことがある。
――左衛門を生む時に、私は胎を傷つけてしまいましたから……もうしわけありません。
深く悔いるような言葉に、そう仕向けたのは俺だと言いかけて、結局小十郎は何も言うことができなかった。
そして左衛門は重綱となり、さらに今年で12になってしまった。
それが今になって――どうしたことだ。
「――小十郎さま? ……喜んでいただけませんか?」
蔦が不安そうに夫を覗き込んだ。無理もない。蔦の目の前の男は、かつて主に嫡男がないから子を諦めてくれと言った男なのだ。未だ姫君だけの主夫婦を慮って何を言うか解らない、と蔦が不安になるのが手に取るようにわかった。
小十郎はそうっと蔦に手を伸ばした。
まず頬に触れ、そのまま後ろ髪に手を差し入れる。恐る恐るといった様子の小十郎の仕草に蔦は苦笑した。そして蔦はそのまま、ぽすりと夫の胸に飛び込んだ。小十郎はそんな妻を抱えるように抱きしめた。
「……喜んでる。ただ、なんて言ったらいいかわからねぇ」
やっと出た言葉はそれだった。蔦が腕の中で笑ったのがわかった。
「最近なんだか気持が悪かったのも、お味噌汁の匂いを変に感じたのもややがいたからみたいです」
小十郎は腕の中でそっと蔦を向き直らせて、自分の膝に座らせた。それから優しく後ろから抱き締め、首筋に顔をうずめる。
「女だといいな。それだとお前は寂しくない」
蔦が肩に乗る夫の頭を撫でた。それから言い聞かせるように言う。
「女の子でもお嫁に行ってしまえば寂しいですよ?」
「それはずっと先のことだろう?」
「ずっと先というのも生まれてしまえばあっという間です」
それから蔦はそっと小十郎の手を取ると、腹に触れさせた。小十郎も恐る恐る、だが重綱の時よりは落ち着いてそこを撫でた。
「でもなんだか、次も男の子の気がします」
「男か――やれやれ、家の中が甘ったるい匂いで満杯になるのは勘弁だな」
二人続けて異様にモテる子が生まれても困る、と思って小十郎が言うと蔦がくすくす笑った。
「でも、小十郎さまだって貰っていらっしゃったじゃありませんか」
「ああ、あれか。半分お前あてみたいなもんだ。奥さまとどうぞ、だとさ。……お返しはお前も考えてくれよ」
「はい、かしこまりました」
それからふと考えて、小十郎はうなった。その様子に蔦が肩越しに振り返ってきたので目があってしまった。
「どうかしましたか」
「――、姉上からもなんだか大仰なものをいただいたんだが……」
「はいはい、おまかせくださいませ」
そこで小十郎はため息をついた。それが喜多へのお返しが何とかなりそうだという安堵のため息ではないことに、妻は気づいた。すでに夫婦として過ごした年月は両手の指より多いからだろう。
「どうかいたしました?」
「いや……なんでもない」
「気になりますから、よろしければ教えていただきたいんですけれど」
優しく、だがどこか強情さを感じさせる口調で言う妻に、嫁いできた時とは少し変わったなと苦笑しつつ小十郎は首を振った。
「なんでもない」
「じゃあ、あててみましょうか? 本命の贈物、いくつかいただいてしまったんじゃありませんか?」
そう言う蔦の声に小十郎は目を見開いて一番近しい女の顔を見てしまった。蔦は小首をかしげて、少し複雑な笑みを見せた。その顔に深くまたため息をついて、そっと妻を抱き直す。
「少し外れだ。貰ったってどうしようもねぇ、全部返した」
「まあ」
その返答に蔦はほっとしたようだった。それに苦笑して、小十郎は言う。
「情ってやつか、こっちが悪くねぇのになんかあれは来るもんがあるな。重綱が仮病使いたくなった気持ちもまあ、それを思えばわからんでもないか」
腕の中でまた蔦が首をかしげた。
「……どうした?」
「いえ、なんだか私も複雑な気分になってきました。小娘だった頃を思い出すと、なんだかその子たちの気持ちもわかる気もしますし、だけど小十郎さまが断ってくださったのが嬉しいような」
その言葉に小十郎は眉を寄せつつ考えてから、言った。
「……嬉しいでいいんじゃねぇか。お前は俺の女房だし、俺はお前の旦那だ。そこに妙なものを求められてもな。――ここにもう一人いることもわかったことだしな」
小十郎はそっと蔦の腹を撫でた。蔦がそんな小十郎に頬をすりよせて来た。
その妻のぬくもりに、小十郎はため息をついた。
「――やはり俺は、お前に貰ってばかりだ。この子も重綱も――な」
そしてこの俺に付き合ってくれる蔦自身も、と内心で付け加えて小十郎はまたそっと蔦を抱きしめたのだった。


十月十日ほど後、生まれた子は蔦が言った通り男の子であった。重綱は遅れてきた弟に大変喜んだという。
小十郎が少し複雑そうに
「女の子じゃなかったな」
というと蔦は
「健やかであればいいのですよ」
と夫をたしなめたという。
男の子は後に、行綱、と名乗ることになる。それから二年ほど置いて、片倉家は女の子も授かることになるのだが――それはまた別の話としよう。

(了)

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2011年2月13日初出
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