Amoris vulnus idem sanat, qui facit.
 其の弐

そして「ウァレンティヌス」の当日になった。
その朝、朝餉の時間になっても現れない息子に蔦が首をかしげて一旦部屋を出た。しばらくして戻ってきた蔦は困ったように頬に手を当てていた。
「なんだか今日は具合が悪いらしくて――熱はないんですが」
「重綱がか」
かつて左衛門と呼ばれた男の子は、通例より早く元服を迎えることが許され今は重綱と名乗っている。今年で12になる小十郎の息子は父と共に政宗に仕える身になっていた。
その重綱が具合が悪いというのだ。
小十郎は眉根を寄せた。
「風邪か何かが流行っているのか――そう言えば蔦、お前も最近具合が悪そうだな」
言うと、蔦はため息をついた。
「ええ――でも私のはなんだか風邪じゃないような気がするんです。たぶん疲れではないかと」
とはいえ、蔦の顔色は少し悪い。最近は気分が悪いのか胸をさすっていることもある。吐くほどではないが、気持ちが悪いらしい。確かに疲れがたまればそのようになることもあるか――と小十郎は考えて顎を撫でた。
「政宗様や城の者に風邪をうつしては何だ――今日は重綱は暇をもらうか」
「それがよろしいかと。あとでお粥を運んでおきますから、食べてしまいましょう」
蔦が言うので小十郎は膳の前で手を合わせた。夫が食事に手をつけたのを見て妻も椀を持ち上げた。そして蔦は味噌汁を取り上げて顔をしかめた。
「いやだ――この味噌、悪くなっていたなんて」
「……ん? 別にいつも通りだが……」
「え……」
妻の言葉に夫が言うと、蔦は困惑した顔をした。
「だって、変なにおいがいたします」
「……なにもしねぇが……」
小十郎は一口味噌汁を含んでみたが、妙な味はしない。蔦は困惑した顔で夫を見ていた。

出掛ける前に小十郎は重綱の部屋を覗いてみたが、息子はすっぽり頭まで布団をかぶっていた。さすがに小十郎も心配になって
「寒気がするのか」
と問うと息子が布団から顔を出した。そして、蔦と自分の良い所どりをして人に美形だと褒められる顔を奇妙にゆがめると
「寒くはないです」
と答えてきた。
その態度に少し妙なものを感じつつも、今日はお前には暇をもらえるように伝えておく、と言うと息子がほっと息をついた。そして風邪にしてはよく通る声で「いってらっしゃいませ」と言ったので小十郎は少々首をかしげた。


さて――異変が起こったのは小十郎が城内に一歩足を踏み入れた時である。
突然、小十郎の目の前に若い侍女――小十郎にとっては女童ともいえるほどの娘――が飛び込んできたのである。思わず立ち止まると、侍女は慌てて頭を下げた。
「お、おはようございます片倉さま」
「あ、ああ、おはよう」
小十郎が驚きつつ返すと侍女はきょろきょろとあたりを見回した。年のころは重綱と同じくらいか、と思っていると
「あの、重綱さまは今日ご一緒ではないのですか?」
とその娘が聞いてきた。小十郎は首をかしげつつ
「今日は来ない」
と短く答えると娘は目を大きくみはった。その瞳があまりにも哀しげだったので
「息子に何か用か? あれば伝えるが――」
となるべく優しく聞くと、娘は戸惑いつつそっと何やら小箱を取り出した。
「あの、これ――重綱さまに渡していただけますか」
「――」
可愛らしい紙に包まれたそれは、ここの所城下を騒がせているウァレンティヌスの日の贈物だと見るからにわかるものであった。しかも文らしきものまで添えてある。
――ああ、成程。
さすがに小十郎も察した。どうやらこの娘は重綱に贈物をしたかったらしい。それも、ただの贈りものではない。一瞬小十郎は天を仰いだ。
自分で届けたらどうだ、そのほうがいい――と言いかけて、小十郎はこの若い侍女が簡単に城を離れられないことに思い至った。
小十郎は苦笑して小箱を受け取った。
「確かに預かる」
小十郎がそう言うと、娘は頬を染めつつもほっとしたように笑った。


が、その後小十郎はやや困惑することになる。
その朝の娘と同じような侍女が次々小十郎の元を訪ねて重綱はどうした、と聞いてくるのである。それに今日は来ない、と答えると皆一様に落胆する。そして、娘たちはみな同じく小箱や包みを持っている。
息子のあまりの好かれぶりに、小十郎は内心で仰天していた。
中には根回しの如く小十郎にまで義理チョコレートを用意する者までいて、女童にしか見えない娘たちがすでに女であることに驚き呆れつつも感心することまであった。
小十郎は息子あての贈物を全部引き受けた。なにしろ息子あてであるのだから、父であっても断る権利はないのだ。預かるしかない。
途中、娘たちよりは年上の馴染みの侍女が
「お返しはいいですから、奥さまとどうぞ」
と言って義理チョコレートを置いていってくれることがあった。小十郎がめずらかなる甘味をこっそりと妻あての土産にしていることは公然の秘密のようなもので、どうも微笑ましく思われているらしい。やれやれ三倍返しは蔦と相談しなければなぁ、と思っていると、今度は姉の喜多が尋ねてきた。
喜多は弟の部屋に入ると、妙に大きな桐箱を小十郎に付きつけた。
小十郎が思わず受け取ってしまうと、姉はにっこりと笑って
「これで綱元と小十郎、併せて六倍です」
と言って弟に返品する暇を与えずに去っていった。
小十郎は茫然と両手に余る桐箱を見つめて、
――はて、俺と綱元殿と三倍が二つでいいのか、それとも合わせて六倍にしろということか。それにしても桐箱入りとは、こりゃ見当もつかねぇ。
と思い悩んだ。
だがそれよりも小十郎が困惑したのは、重綱かと思って話を聞いたら相手の本命は自分だった、という件であった。しかも五件ほど。
さすがにそれは受けとるわけにはいかず、
「俺には女房がいる」
ときっぱり言うと皆一様に瞳に涙をためたが引きさがってくれた。その様子になぜか胸が痛くなったが、事実なので仕方あるまい。というか困るだけである。
そんなこんなな来客をさばきながらしばらく居室にいると、成実が尋ねてきた。そして小十郎の居室の一角で山を作っている贈物を見て成実はほーっと息をついた。
「ずいぶんもらったねぇ、それ。義理とはいえお返しが大変じゃない?」
俺だってそんなに貰ってないよ、という成実に小十郎は何気なく答えた。
「ああ、それはほとんど重綱宛ての本命だ。ま、どうするかはアイツが決めることだな」
すると、成実の顔色が変わった。それから成実は口を開けたり閉じたりを繰り返した後
「重綱の裏切り者ーッ」
と言って小十郎の部屋を飛び出していった。小十郎は唖然としてそれを見送ったが、そういえば重綱と成実が謎の「嫡男ひとりっこシゲ同盟」なる友情を結んでいたことを思い出した。そして成実に対して、もういい年なんだから四の五の言うな、と思ったのも事実である。

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