Dragon in The Rain
 其の壱


「――『蓮をみて池の大小を計り雨を見て竜の分斉をかんがう』、か」
「――え?」
「元寇の頃の僧の言葉だ――蓮の花を見れば池の大きさは計れる、雨を見ればそれを降らせる竜の姿を想像することができる――とな」
「つまり――一を聞いて十を知る、といったような?」
「少し違うか。一部見えるものがあればそこには実はすでにそのすべてが現れているのだ、ということらしい」
珍しく煙草盆を引っ張り出して縁側に座り、部屋の中の蔦に背を向けたまま小十郎は言った。蔦の方も、先日戦から戻ってきたばかりの小十郎の戦装束に火熨斗をあてているところであった。
小田原の北条氏政を襲うと見せかけ武田を誘導し、桶狭間にて駿河の今川義元を討つ。
その小十郎の――いつだかの川中島の武田の作戦をあえて模倣したもの――計略は途中までは上手くいっていたときく。だが、北条は武田が獲り、今川は突如として現れた織田が討ったという。
奥州・伊達軍は――屈辱的にも何も得られずに本拠への撤退を余儀なくされた。
それが数日前の事。
帰着以来、小十郎は城にいるよりも畑に出る方が多く、政宗はどこぞの寺にて刀を振ってばかりいるという。新たな軍議が開かれないことに不満や不安を述べる兵がいるともきくが、小十郎はじっと何かに堪えるがごとくその声に耳を貸すことはなかった。
さすがの旦那さまもご自身がたてた作戦が失敗なさったとあっては落ち込んでいるのでは――と女中たちは言うが蔦が見る限りその様子はない。
確かに小十郎の眉間には常より深い皴が刻まれつつあるが、それは口惜しさや怒りなどの類のものではない。何かを深く憂いている、あるいは考え込んでいる時にできるものだ。
蔦は煙草を吸う小十郎の背を見つめて火熨斗を下ろした。
「……竜、とは政宗さまのことですね」
「――」
恐らくはいつも通り、小十郎が気にかけているのは主君政宗のことであろう。
小十郎が引いた言葉の「雨」という表現がふと蔦は気になった。たしかに雨は竜神が降らすものだ。雨は恵みでもある――だが今まさに昇り竜たらんとしている政宗には似つかわしくないものでもある。
政宗はなにも、奥州筆頭を大げさに標榜しているのではない。奥州にて名のある南部や葦名といった勢力はすでに伊達の勢力に屈していた。相馬などとは未だ小競り合いの雰囲気はあるとはいえ、奥州において伊達に匹敵する勢力はもはやなくなったと言っても過言ではない。
桶狭間で今川を討つというのは、政宗にとっては中央進出への足がかりのために是が非でも得たい勝利であったはすだ。だがそれを鼻先で攫われ――しかも、政宗はあの第六天魔王こと織田信長に射竦められてしまったという。
――あの政宗さまが射竦められるなど。
と蔦は思う。才気煥発、勢いのある恐れ知らずの若者にとってそれは屈辱であったに違いない。
そして小十郎は屈辱を受けたであろうその若い主君の事を考えているに違いない。ただ、小十郎の胸の内にあるものが――夫が口数が少ないのもあり、蔦にはぼんやりとしかわからなかった。
「雨降って地固まる、だといいですね」
蔦が何気ない口調でそう言うと、小十郎は煙管をくわえたまま初めて蔦を振り返った。
それから眉間の皴はそのままに苦笑しつつ紫煙を吐き出して
「まあ、そんなところか」
と言った。小十郎はそれからカンと音を立てて盆に灰を落とし立ち上がった。
「畑を見てくる。家は頼んだ」
「はい、かしこまりました」
その日はよく晴れて、何かするにはよい日のようだった。


数刻後――
「ははうえーあめー!」
庭で遊んでいた左衛門が縁側によじ登りながら叫んでいた。蔦は針仕事の手を休ませると、縁側に出て左衛門を引き上げた。
よく耳を澄ませば、ゴロゴロという雷の音も聞こえる。
「まあ、左衛門、濡れていない?」
「うん!」
「お天気雨かしら……晴れていたのに」
言って空を見上げればいつの間にか鈍色の雲が広がっている。
――本格的に降ってきそう。
今はぱらぱらと言った感じだが、時期に強くなるに違いない様子だ。
「あら?」
そしてふと蔦は気づく。
「左衛門……父上は帰ってこられたかしら?」
「ううん」
息子はふるふると首を横に振った。そして目をキラキラさせて母に問う。
「おむかえ、いく?」
「そうねぇ。そうしましょうか。でも、左衛門はお家にいてくださいね」
そう言われた左衛門は幾分がっかりしたようだった。蔦はその様子に微笑みつつ、そっと嫡男たる息子に“お願い”をする。
「父も母も留守にするのですから、左衛門が主人として立派に振舞わなければなりませんよ。お家を守ってくれますね?」
「――はい!」
息子の元気な返答に、蔦は頬ずりをした。


蔦は傘を一本は差して、もう一本は手に持って屋敷を出た。旦那さまのお迎えならわたしがいきますから――という女中や下男を制して屋敷の門をくぐる。
歩く間に雨はどんどん強くなり、気温はどんどん下がっていく。ザアザアと雨が傘を打つ音が強くなる。そしてやがて蔦は小十郎の畑に辿り着いた。
「――あら……いない」
だが辿り着いた場所には畝が整えられた地が広がるだけ。
小十郎も、老爺や他の手伝いたちももうそこにはいなかった。今日の作業は終わったような様子もある。
入れ違ったのかしら――と思って踵を返しかけて、蔦は道の先を見る。
「……政宗さま?」
確かその道の先には――寺があったはずだ。
そこから雨によって下がった温度とは異なる、なにやら肌を粟立たせるような空気が漂ってくる。
蔦は少しの思案の後、そちらへ向かって歩き出した。

目次 Home 
第3回BLove小説・漫画コンテスト結果発表!
テーマ「人外ファンタジー」
- ナノ -