竜の踏む雲
 其の弐


「いちゃわるいか」
小十郎が憮然としたように答えると、蔦が苦笑し佐助腕組をした。
「まぁ片倉の旦那くらいだといない方がおかしいよね」
佐助の言葉に幸村が「それもそうでござるな」と言った。それから幸村はまじまじと珍しげに左衛門を眺めてくる。左衛門も気づいてじぃっとそちらを見る。蔦がくすくす笑った。
「源二郎様はご兄弟は?」
「おりますが、こんな小さな子は……」
言うと、蔦は「はい」と幸村に左衛門を差し出した。ぎょっとして大げさな動作で幸村が立ち上がり、後ずさる。
「そ、某はかたっくるしくて、その……」
「まあ。でも左衛門は武士の子ですから、ちょっとやそっとでは吃驚しませんよ。もう大きいですし。……、それに、政宗さまや成実さまともよく遊んでいただくので源二郎様くらいの殿方には慣れておりますよ」
「なんと、政宗殿が!」
「へぇ、そりゃあ意外だ。子ども苦手そうな印象あるのに」
そこまで言って、佐助ははっとした顔をして蔦を見た。そんな佐助に蔦はにっこりと笑みを返す。その視線のやりとりに気付いた小十郎がわずか妻の方へ体を近づけた。何かあったら妻を庇って佐助を叩き切らねばなるまい。
幸村の方はそんな小十郎の様子には気づかずに左衛門へと手を伸ばしてくる。恐る恐るといった体で。左衛門も幸村にぐっと手を伸ばしたので蔦は青年に息子を預けた。
「おお、なんと……意外に軽いのでござるな!」
左衛門を受け取った幸村はその意外な軽さに安堵したようだった。
その言葉に佐助が蔦から視線を外した。それでも警戒を解かない小十郎の腕に蔦がそっと手を触れてきた。それに思わず妻を見やれば、蔦は心配は無用というように僅かに頷いて見せた。
その間に佐助は幸村へと声をかけていた。
「旦那ー、落としたりしちゃだめだよ」
「わ、わかっておる」
やや緊張気味の幸村に左衛門は弾んだ声で話しかけた。
「おにーたん、たかいたかーい! ってしてー!」
「た、たか?! な、なんと、どうしたら?!」
左衛門の要求に幸村は困り果てたように佐助を見たが肩を竦められただけだったので、今度は小十郎を見た。小十郎はやや呆れつつ言う。
「俺を見るな俺を。してやってくれ、なんとなくわかるだろうが」
「う、うむ……では」
幸村は蒼穹へ向けて左衛門を掲げた。左衛門が歓声を上げた。佐助がそのそばでいつ幸村がうっかりしてもいいようにと身構えている。しばらくすると左衛門が言った。
「おにーたんは、ぽーんって、してくれないの?」
「ぽーん? で、ござるか?」
幸村が左衛門を抱き直しながら不思議そうに聞くと、蔦がすこしギクリとした顔をした。
「……奥さん?」
「蔦? なんだ、ぽーんって」
その様子に気付いた佐助と小十郎に問われて、蔦は目をそらしつつ答えた。
「政宗さまや成実さまがいらっしゃると……たかいたかいの上級版をやってくださって……左衛門はすっかりそれがお気に入りで」
「政宗殿が?」
反応したのは幸村だ。はい、と蔦はいう。
「ぽーん、とそのまま左衛門をなげあげて、受けとるのです。しかもかなり高く」
男三人が固まった。つまり左衛門は自分を放り投げろ、と幸村に要求していたのである。危険極まりない。というか、普通はしないあやし方である。
「……独眼竜らしいあやし方っていえばあやし方だね。あの御仁なら受けとれると思うし。男の子だから大喜びなのもわかるわー」
「左衛門殿、申し訳ござらんが某、今は“ぽーん”をするには少々修業が足りず……! しかし政宗殿がおやりになられるのなら、いつか某もしてみせましょうぞ!」
「……やらんでいい」
小十郎がぐったりしつつ言うと、幸村はすこししょんぼりしたようだった。蔦は苦笑する。
「一度、愛姫さまの御前で天井近くまでぽーんとされた時には姫様が心底吃驚なさって。それから“ぽーん”は姫様に禁止されているはずです」
未来永劫禁止だろうな、と小十郎は思った。しばらくして左衛門が幸村の腕の中で体をひねった。
「ちちうえ、ぽーんして!」
小十郎はため息をついて立ち上がり、左衛門を受け取った。
「低いのなら、家に帰ったらな。ここじゃあぶねぇ。その代わり、ほら」
小十郎が右の肩の上に左衛門を乗せる。すると息子は高くなった視界に喜んだ。蔦が荷物を持ってその傍らに立つ。
それを見た佐助がからかうように言った。
「あらー、ホントにお父さんだ」
「うるせぇな」
「小十郎さま」
佐助への小十郎の物言いに蔦がたしなめるように言うと、小十郎はバツが悪そうな顔をした。それに佐助はさらににやにやとする。小十郎はそれにむっとした。
「それじゃあ、帰るぞ」
「はい。ではお二人とも、本当にありがとうございました」
と片倉夫妻が言えば、
「いえいえー」
「団子を御馳走していただき、ありがたく存じます!」
と甲斐から来た二人は返した。堅苦しく礼を言う幸村に蔦は笑う。
「飴をいただきましたから」
「にーたん、またねー!」
「おう!」
にこにこ笑って手を振る左衛門に幸村は元気よく手を振り返してくれた。
……しばらく歩いて団子屋から離れたあたりで小十郎は蔦にひそやかな声をかけた。
「あれが誰だか、わかったのか」
「すこし。小十郎さまがいらっしゃるまでは判然としませんでしたけれど、薬売りの方にしては妙に領内の事を聞きたがるので。お知り合いと知ってピンと来ました。それと、先日お社で赤子を見つけて村の子に預けた際、政宗さまのほかにお二人がいらっしゃって大変だったと聞いたことを記憶していたので。暑っ苦しい青年に、橙色の髪の忍、ですよね」
「良く覚えていたな。……そうか、領内の事、か」
「適当に役に立たないことばかりを伝えておきましたが、まずかったでしょうか」
不安げに見上げてきた蔦に、小十郎は笑う。そしてポンと妻の頭に手を置く。
「いやそれでいい。その情報も助かる」
「それにしても、あれが真田様。お優しい方ではありませんか」
くすくすと笑う妻に小十郎は眉を寄せた。
「俺の身にもなってくれ」


去りゆく片倉夫婦とその息子を見送って、甲斐から来た二人も店を出た。
「子どもというのは、可愛いものにござるな」
「まあね。それより俺様が気になったのは、あの奥さんだね」
「片倉殿の?」
「そう」
佐助は背負った薬箱を背負いなおした。
「旦那が独眼竜の事を知ってても驚かなかっただろ」
「それは政宗殿がここの領主であるからでは……」
「違う違う。旦那も俺も明らかに「顔見知りです」って反応したのに、驚かなかった、ってことだよ。普通だったら、「まあ殿を御存じなんですか」とか聞いてくるはずだ」
「……成程」
ふむ、と幸村は顎を撫でた。
「しかし片倉殿の嫁御であれば、その程度察しがついたのでは」
「そうかな。俺たち、はじめは旅の薬問屋の行商人とそこの若旦那の源二郎、としか名乗らなかったはずだぜ。片倉の旦那に名前呼ばれるまで、それで通ってたはずなんだけど、肝心なことはなーんにも教えてくれなかったし」
「どういうことだ?」
幸村が聞くと、佐助は言った。
「ま、ここ数日の間に色々調べさせてもらってねー。異様に子守りのうまい竜の右目ってのも気になったし。ま、そしたら見ての通りやっぱり妻子持ちだったわけ。そんでねー、奥さん検断職の娘さんらしいんだわ。顔も実は押さえてたりー」
「検断職?」
「そ。事件とか起こったら悪人とっ捕まえて裁くお仕事の人。祝言のころは右目の旦那もまだ出世前だったし、見る目あるよねー。決めたの嫁さんだかお父さんだかわかんないけど」
「ふむ。それはわかったが……」
「父親は大町の検断職。旦那は大名の重臣。女とはいえそれでなーんにも知らなかったらただの間抜けでしょう。旦那は団子に夢中だったけど、俺様そのあいだも情報収集の努力はしてたんだよ。それが俺様がいろいろと聞いてもひっかからなかった所を見ると、中々な奥さんだよ、ありゃ。それとあっちが会話の中で独眼竜の名前だしたのも、俺らカマかけられたのかもね」
「……な、なるほど。賢き方にござるな」
「智の小十郎ねぇ。なるほど奥さんも食えない人と見た」
しばらくてくてくと歩いたあと、佐助はため息をついた。その様子に幸村が首をかしげる。
「どうした?」
「いやね、右目の旦那のこと。よくわかんないなぁと思って。息子可愛がってるみたいだし」
「? それは父親として当たり前のことでは……」
幸村が更に不思議に思って言葉を重ねると、佐助は顎を撫でながら言った。
「それがさあ、聞いた話だと、左衛門が生まれる直前に独眼竜に子どもがまだいないから諦めてくれって、奥さんに言ったらしいよ」
「……。なんと!」
言われたことの内容が突飛過ぎたか、幸村は理解が遅れたらしい。困惑した顔をする。
「あのように可愛らしい左衛門殿を……?! それに奥方にはなんと非道な!」
「まー、右目の旦那も若かっただろうからねぇ。それで奥さん、冬の川に身をつけたそうだ」
「まさか心中を?!」
「どーだろ。子どもを流す常套手段だろ、冬の川って。実際奥さんも危なかったらしいけど……」
「……」
幸村は絶句している。佐助は独り言のように続けた。
「検断職の娘さんで武士の嫁といえば、子を生み育てるのが第一のはずなんだけどな。口減らしのためにそういう方法を知ってる村娘とは事情が違うとは思うんだけど。なーんか壮絶だよね」
「……片倉殿は反省なさったのだろうか」
「あの息子の可愛がり方を見るとたぶんね。実際、半狂乱で奥さん探しまわってたっていう話も聞いたし」
竜の右目が半狂乱っていうのはさすがに俺様誇張だと思うんだけどねー、といって佐助が振り返れば、幸村は思案顔をしていた。
「旦那?」
「……雲のような方だな、あの奥方は」
「は、掴みどころがないってこと?」
「まあ、某にはよくわからないという意味でそれもあるが……。政宗殿も竜、片倉殿もまた竜。竜は自在に空を飛ぶのではなく、雲を踏んで天を駆けるのであろう?」
「……そうだね」
「奥方は、竜たる片倉殿の雲なのではないか、と思ったのだ」
佐助は幸村の物言いに苦笑した。
二人の見た片倉小十郎の妻は、とりたてて目立つ所のない女性だった。容姿もとりわけ――子持ちにしては綺麗だが――飛びぬけているわけではなく、雑踏に紛れてしまえば追えなくなるだろう。竜の右目と称される男にはいささか物足りない感じがする。だが、密やかに夫を制する様子や小十郎が自身をたしなめた妻の言にバツが悪そうな顔をしたところをみると夫からの尊重は勝ち得ているようであった。
その女が後ろに居て雑事を引き受けてくれているからこそ、あの男は戦場で時に修羅になれるのではないか。人にそう感じさせるものが蔦にはあった。
「旦那にしちゃあ詩的な例えするねー。でも、なんかわかるかも」
さて今日の宿はどうしますかねぇうまくいけば片倉さんちに潜り込めるかと思ったんだけどー、などと言いながらと佐助は歩いていく。幸村はふと立ち止まって空を見上げた。
――それにしても。
と幸村は別なことを思う。
「それにしても某、左衛門殿とは今後も縁がある気が……それまでに“ぽーん”を会得せねば」
「旦那ー早く!」
「す、すまぬ!」
幸村はあわてて佐助の後を追った。

(了)

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2010年10月28日初出 2011年1月7日改訂
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