夏休み終わりを感じさせる頃、そろそろ文化祭に向けて部活が再開される。


「うへえ、暑い…」
「確かに暑いが名前は暑がりすぎだろう。部長がそんなだと他の部員に示しがつかん、しっかりしろ」
「うー、暑がりと部長は関係ないもん」


気温は30度近いというのにもかかわらず、涼やかにする孫市ちゃんを大変羨ましく思う。汗ひとつかいてない。
…あの美人は汗かかないって都市伝説じゃなかったんだね。しみじみと感じてしまう。そして、鶴ちゃんが孫市ちゃんを同級生だというのに孫市ねえさまと慕うのもわかるというほどにこの暑さの中孫市ちゃんの美しさは私の心のオアシスだ。

それからそううだうだと喋って、しばらくすれば顧問の先生が来た。同時にクーラーのスイッチが入り、自分がしゃんとするのを感じた。


「名字」
「あ、はいっ」


私が部長をつとめるこの演劇部。9月の文化祭に舞台を控えている。
だけど台本は配られてはいるが配役は決まっていないという状態。とうとう本日配役が発表される。最後の舞台となってしまう私としてはちょっぴり緊張してしまうというものだ。


「じゃあみんな座って。配役書いた紙配るから」


先生から配役の書いた紙を受け取って、みんなに紙を配る。
一番はじめに配役がわかるという部長ならでは特権がある。だけど、今回はせっかくだし配ったあとにちゃんと見ようと必死で目を逸らして配る。


「…さて、私も。……………は?」


私も椅子に座り、ぱっと見てみれば『お初 名字名前』という文字。
私が…お初?


「名前…おめでとう。市、名前の初…すごく楽しみ…うふふ」


たまたま近くに座るお市ちゃんがそれはもう大変可愛らしい笑顔を向けてくる。隣に座る孫市ちゃんは相手役の徳兵衛であり、それはもう大変かっこよく笑いかけるのだけれど。
え、孫市ちゃんと『曽根崎心中』…?


主役で、しかも相手が孫市ちゃんでそれはとっても嬉しい。
だけど、反面私より可愛い子だなんてたくさんいるし、孫市ちゃんが男役だというのに私みたいなのがお初でいいのかという……………そりゃぶっちゃければ胸だって孫市ちゃんの方が大きい。見るからにはっきりとわかるもんで。


「何て顔をする。相手が不服か?」
「それはない!それだけはないよ!」
「…ひとりで嬉しがってるのが完全にカラスなのがな…」
「いや、だから!私だってすごい嬉しいから!!」
「ならば、いつものように我らは役に命を吹き込むまでのこと。男役に女が選ばれたというのには正直驚いたが、選ばれたからには最後までやるぞ」


ああ、何て男前なんだろう孫市ちゃん。ううん、孫市ねえさまだ。思わず鶴ちゃんの声を思い浮かべて心の中で呟く。


「安心しろ、ちゃんと舞台の上では惚れさせてやる」


頭に感じた孫市ちゃんの手。
これはもう…


惚れてまうやろーっ!!


勿論本当に叫びはしないけれど。
それでもこのあとの通し稽古でも何度も孫市ちゃんにそう言いたくなったのは誰にも言えない話である。










結局配役が決まってから主要キャストは数時間練習をしてから帰ることになった。
台本は読んでたといっても正直お初になるとは思わなかった身。何度も台詞を噛んでしまった。


「ふう、これは頑張らないと…あれ?」


図書室でも寄って、曽根崎心中の資料を探すかと。そう思っていたのに。
気付けば夏休み前に台本を配られた日のように私は体育館裏にいた。まだ男バスは部活が終わっておらず、いろんな人の掛け声が聴こえる。


「あれ、今日長曾我部くんいないのかな…?」


そして、やっぱり探してしまう長曾我部くんの姿。残念ながらいないけれど、想いは馳せることができるだろうか…そう単純に考えたまま台本を開く。


「はやはや殺して殺して(早く早く殺して。ねえ、殺して)」


お初の最期の言葉。
この台詞には愛の言葉の欠片もなかった。だけど…どれだけ徳兵衛には愛しい言葉に思ったんだろう。命を懸けた二人の恋。黄泉の国への期待。


「心得たり。さあ只今ぞ南無阿弥陀南無阿弥陀(わかった。さぁ、いよいよだよ。なむあみだ。なみあみだ)」


そんな声が不意に後ろから聴こえてきた。
振り返れば大好きな彼。

あれ、こんなこと前にも。

『まりあり、我とても遅れうか、息は一度に引取らん』

そうだ、あの時と一緒。
あの時もここで、長曾我部くんが徳兵衛の台詞を言ったんだ。


「長曾我部くんっ!?あれ、今日いないんじゃ…」
「さっきまで顔洗いに行っててな。それより、お初決まったのか?」
「うん…お初になっちゃった…」
「なっちゃったって、何かあったのか?」


悩むのは今日で終わりにしたい。そう思った私は少しだけ主役であることの不安があるということを告げた。
ただの愚痴だというのに、話を聞く長曾我部くんの表情はとても優しかった。



「決まったってのもちゃんと理由があるからだろ。それに俺結構名字のお初楽しみだぜ?」
「そっか…お世辞だとしても嬉しい」
「世辞じゃねえんだからよ、そこは素直に受け取れって。
 ………あれ、主役ってことは…しかも、恋愛もの…気にしてなんか…気にしてなんか…」


苦笑したと思えば、はっと我に返ったかと思えば、終いには頭を抱え出す長曾我部くん。心配して声をかけてはみるけれど大丈夫だからと言うものの大変そうだ。


「でも、俺で良けりゃいつでも相談なり乗るからよ。やっぱちっと気になることもあるし…」
「気になること?」
「い、いや!……話は変えるが、恋愛ものだ。やっぱキスシーンとかあるのか?」
「うん、キス台本にわざわざ今日入れられちゃったの」


あくまでもフリだけど。だけどきっと校内の孫市ちゃんファンにすごい自慢になるね…とか思いながら、内心ドキドキしているというか。


「ちょっとこればっかりは緊張しても仕方ないよねー。相手も相手だし」
「えっ…あ、ああ、そうだよな……高校生の演劇ともなりゃ、キスのひとつやふたつ……」
「まずお初が遊女っていうのもあるからね。まあそういうの経験したことない私としては一番の難関かも」
「ちょっ、ちょっと待て…待て!なあ、名字!」


途中から冷静さが失われつつある長曾我部くん。ついには肩を掴まれてしまい、身動きが取れなくなってしまう。


「あの、長曾我部くん…?」
「俺でよかったら、本当相談に乗るし、練習も手伝えるなら手伝えるし、だから、だから……っ。悪い、俺何言ってるんだか」
「え?」


肩を掴まれたときは驚いてしまったけれどだんだんといつもの長曾我部くんに戻っていった。


「男の嫉妬なんて醜いよな…さっきの気にしないでくれ。でも、本気で応援してるから。だから何かあったら俺んとこ来いよ」
「あ、ありがとう」


頭をくしゃくしゃと撫でられて。さっきの孫市ちゃんとは違うドキドキ感が私を襲う。一体こんなにドキドキしてしまうのは何度目なんだろう。
もう数え切れない。
だけど、私の一方的の思いだからうぬぼれちゃいけない。

それでも気持ちに反して浮かれてしまう私自身はもうどうしようもなかった。



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