分岐 | ナノ

吾輩は猫である。名前はある時もあるがない時もある。猫は猫である。
今、名前はもうあったりする。因みに誠に猫なのかと問われたら黙らざるえない。吾輩の尻尾は何本かに分かれてしまったがゆえ。しかし吾輩が猫であるというならば吾輩は猫なのである。この世とはそういうものである。
江戸に行こうとしていた時によくわからぬ物の怪に襲われていたところ、かつての我が主人の鬼舞辻無惨に助けられたのである。

……そう、そうなのだ。吾輩は江戸に行き、江戸の敏腕猫となって雌猫からチヤホヤされるという壮大な夢があったのであるのに、私に膝を貸しているこの男がよくわからぬ世界に吾輩を連れていったのだ。
おかげで今が夜なのか昼なのか点でわからぬし、そもそもこの屋敷はとてつもなく広い。吾輩がいつも率先と落とすようにしている花瓶も既に落ちているかのように逆を向いているのである。全く持って複雑怪奇。鉢に入っているはずの金魚はすでに金魚ではなく、よくわからぬ物の怪になってはいるが吾輩に害はもたらしては来ない。なんて物分かりのよいのであろうか。
あとは吾輩に食べれるだけなのだが食べられてはくれまい。なんということであろうか。さかなのくせに。

話を戻すと猫の縄張りというものは出遅れた瞬間終わりなのだ。なので吾輩の江戸の敏腕計画が潰えたのである。悲しい。悲しみを発散するかのように我が主人の膝をふみふみする。爪を立てていないだけマシであろう、褒めて欲しい。吾輩が無心にふみふみしていたのが気に入ったのであろうかわからぬが我が主人は吾輩に構い始めた。


「お前は相変わらず温いな……ここが良いのか?」


ふっ、そこは、そこを撫でられると堪らぬのである。思わずねうねうと鳴いて仕舞えば、我が主人の目が機嫌を表すかのようにゆるりと細まった。
ふふふしょうがない奴め。鬼舞辻邸の敏腕猫で手を打ってやろうではないか。
ふたたびねうねうと鳴いてみれば今度は尻尾をしゅるりとつかみだす。
吾輩でよかったな、隣のテリトリーのたまであったらその白い肌はとっくのとうに赤く染まっていたであろうが吾輩は心が大きいゆえにかようなことはせぬ。
仕返しに頭を擦り付けてやれば主人はくすぐったかったようで笑い声をあげた。いや、なに、その笑い声は平安時代のときと変わりないよなぁ。
 

 
さて今日も吾輩は猫である。名前は紬である。良い名前であろう。主人がつけたのだ。
さて今日は主人がなにやらこの吾輩の縄張りに人を招いているではないか。その中に懐かしい姿が一つおった。目が二つから六つに増えてはいるがあの双子の兄ではないか。そのぎこちない撫で方でわかったぞ。六つ目に目を合わせればすぐに撫でるのが止まってしまう。顔の前に手が出されていたので甘くかんでやろうと思ったがすぐに手を引っ込められてしまった。なんだつまらぬ。
あくびを大きくかいて膝から降り隣の女の膝に乗る。喜べ吾輩が来てやったぞ。遠くで六つ目がしょぼくれているのは見ないこととする。だって吾輩は猫である。
ちなみにここの館の主人は主人ではなくこの女だという、吾輩が障子や襖をかいてやればじっと睨みつけてくるのよ。
しかし吾輩は鬼舞辻邸の敏腕ねこ。女子供を泣かすほどに落ちぶれてはおらぬ。
あのときは思わずやってしまったが二度と同じ過ちは犯しはせぬ。おとなしく女の膝の上に乗って寝ていると別な女が吾輩を抱き上げた。
誰であろうかと一瞬猫にはいらぬ思考の海に溺れそうになるも、匂いを嗅げばすぐにわかる。我が主である。
ごろごろと鳴らしてみれば主人は女体のまま吾輩を膝の上に乗っけて撫でだした。ふふっ、そこは先ほど六つ目が撫でておった場所ではないか。
そんなところではなく腹を撫でよと腹を見せると主人は腹を撫でだした。これには吾輩もにっこりである。


「……紬、私は遊べる体になったぞ、此度はたんと遊んでやろう」


なんと。そういわれてしまっては遊ぶしかあるまい。主人がどこからともなく出してきた紐につられて吾輩の首もあっちへこっちへついつい動いてしまうのだ。こればかりは本能。仕方があるまい。我慢せねばと思う反面これは遊びであると囁く吾輩がおる。
こうなればえぇい、と飛ぶもすんでのところでどこかへ消えゆく紐。
次はどこだと六つ目の膝の上に置かれた紐を見つけ一直線。許せ、六つ目。これも吾輩の肥満予防ゆえに。興奮のあまり爪を立てていたせいで六つ目から痛そうな声を発していた。
……許せ、吾輩はかの暴虐なこの紐を退かねばならぬのだ。
ひらりと蝶のように舞う紐。そうだ、吾輩はかつて鳥や蝶を取るのがうまかったのだ。ご主人と別れてからは自給自足の生活を送っていた我を見くびらないでいただこう。
今もこうして宙を舞っている紐を取ることなんぞ動作もないこと。今に見ておれ主よ、その紐宙に手とらえて御覧ぜよう。紐をめがけて華麗な跳躍をみせる吾輩。そして視界から消える紐。吾輩の体は条里制のように区切られた白い障子めがけて突っ込んでいく。


びりっ。


あっ。