分岐 | ナノ

※嫌われ


「国境の長いトンネルを抜けると雪国であった……」


別に国境なんて何もないし、トンネルもない。相も変わらず私は今、地獄にいる。先ほどの言葉、鈴木牧之が著わした『北越雪譜』の言葉をもじるのならば、暗く長い地獄を抜けるとまた地獄であった、であろう。笑いも絶えない。

いやまぁ、別に前のように暴力を振るわれることはなくなったのでよいのだけれど、何分外野がうるさくてかなわない。この私、松宮紬が誰々をいじめただとか、そんなくだらない噂をピーチクパーチク。菌の如く噂をまき散らすのならば、その脆弱な体を鍛える時間に費やしたほうがよほど自分のためになるであろうのに。今騒いでいたやつ多分次の任務で消えると予想しておく。

予想ならば賭けをしたほうが面白いのではないのだろうか。よし、ならば私一人で賭けをしてやろう。私の噂が消えるのが先か、あいつらが死ぬのが先か。むろん私は後者に賭ける。自慢じゃないがこの噂、かれこれ三、四年たち続けているのだ。この噂の長さ、ギネス世界記録になるのではないだろうか。
逆に噂を維持し続けていくというチャレンジはどうだろうか。そんなことを考えながら鬼の首に刃を振るう。あらまぁキレイな血しぶき。

鬼を討伐し、自宅に帰り縁側に座ってお茶を啜る。ここは師匠と一緒にお昼寝をしたりした思い出深い場所である。人望がなぜか消えた私にはもうこの屋敷を訪ねる人はいないに等しい。お茶を飲み名がら鬼について考える。神様が私にあそこで血を分け与えたらなっていたのかもしれない存在。あの存在になれたら私は幸せなのだろうか、師匠に育てられ恩、というわけではないがこうして鬼狩りとなった今でもその考えは今も私の首を絞め続ける。恩ではないが師匠は初めて私を松宮紬という存在で見てくれた人なのだ。それにしても鬼か……。鬼の血も赤色だったな。

いや、なに。鬼にも血が通っていてちゃんと赤色とか。仲間の中で「お前の血は何色だ?」と言われ続けている私よりちゃんとした生き物ではないか。ちなみに私の血の色は知らない。
多分輸血とかされたことがあるので、赤色じゃなくても多分他人の血の色が混ざって赤色っぽくはなっていると思う。……なら別によくない?だめ?あらそう。私の血が赤かったら私の血の色を疑問視した奴は喜んでその血液を海水に変えてほしいものだ。救済なんてなかった。


「なにやら楽しそうだね」
「……御館様」


この人は私の噂を知っているのに依然入隊当初から対応を変えない素晴らしい御方である。でもまぁそれだけ。私をかつて地獄から掬い取ってくれた神様とは程遠いのである。顔の造形は同じであるはずなのにこんなにも違うとは。それにしても私の家に何か用なのであろうか。

用があるのならば鎹烏でも飛ばしてくれればよかったのに。そう思いながら縁側に座り見つめる私に、御館様は私の隣に座ろうとする。呪いも進行し、日常生活に支障がきたし始めているのにずいぶんと殊勝なことである。

気まずくなった私は座布団を敷くと御館様は私に礼を述べて私の横に座りこちらを優しく見つめていた。そのまなざしは数年前病でこの世を去った師匠と同じ暖かいまなざしである。
何かが足りないと思った私はお茶を淹れてまいりますと席を立とうとすると引き止められてしまった。


「いいんだよ。今日紬のところに訪れた理由はね、この前引退した柱の跡に君が入ってほしいんだ」
「……それはまた」


面白いですね。そう私が御館様の言うと、御館様は笑いながら私はそうとは思わないのだけれどと言ってのける。私はこの人の考えが理解できない。


「私としては君のような子に柱になってほしいのだけれど」
「……御冗談を」


私は柱はなりません、そも柱というのは九画。ゆえに九人しかなれぬ決まりではないのではありませんか。よしもっともらしい言葉が私の口からするりと出ていく。兎にも角にも私には柱という立場は荷が重すぎます。それになんかいたよな、噂の子。


「それに柱の後釜は……すみません名前が出てこないのですが、私がいじめているとされている人がいるではありませんか。どのような呼吸を使うのかは知りませんが、私と在籍期間は変わりないでしょう」
「そのことなんだけれどね、彼女にも柱になってもらうことになったんだ」


君と彼女は在籍期間が同じぐらいであるし、噂では彼女のほうが実績があると聞くからね。どちらかが柱にふさわしいのか試用期間を設けようと私は考えているよ。もちろん君が拒否をするのなら柱は彼女になる。
そういわれても私が柱になったところでの私のメリットがなく、むしろ柱の方々からの陰口に合うぐらいならばなりたくもない。こうしてひっそりと甲で日銭を稼いで暮らしていきたいのである。そんな思惑を御館様は見透かしているのか一通の手紙を私に寄こしてきた。その文字は。


「君の育手だった彼から君への遺言みたいなものでね」


ようやく君に渡せる。機会を見つけたからそれを渡しに来たんだ。柱についてはあの子は断るだろうって彼が言っていたからあまり期待はしていなかったよ。そういわれて私は手紙を受け取る。懐かしい、あの師匠の文字。書かれている文章は彼らしく、私のことを第一に考えてくれている内容であった。


「私も彼も紬が自由になることを望んでいる。君に付きまとっている噂も私は把握しているから……。何もできなくて本当にすまない」
「いえ、別に気にしてませんから」


私がやりたいこと、か……。そう呟くと御館様は難しいことなんて考えなくていいんだよと言いながら私の頭を撫でる。師匠にも撫でてもらっていたなぁ。あふれ出てくる涙を止める術は持ち合わせず私は御館様の目の前で泣きじゃくってしまった。大変面目ない。そう謝ると御館様は気にせず私の頭を渡しが泣き止むまで撫でてくれた。次の任務も頑張ります、泣き止んだ私が御館様に伝えると、御館様は私に一枚の紙切れを渡してきた。

紙には「東京無限 3等」と書かれている。これは汽車の切符。よろしく頼むよその言葉をかける御館様に見送られて私は汽車に向かった。それが私の鬼狩りとしての最後の任務になるとは誰もしらなかっただろう。
神様は知っていたのかは定かではない話だが。