蓋棺事定




「はぁ……」

どうしてこうなってしまったのだろうと初めて生を受けた時に女、この人間の名前である七瀬はひっそりとため息をついた。ただ死神としての役目を全うしていただけなのにと口をとがらし御簾越しに聞こえてくる歓談の声に羨ましい気持ちを抑え外を眺める。
平安時代。己の身をまとうこの布が重くてしょうがない。骨と布だけだった己に肉とこのような布は窮屈で仕方がなかった。

確か十二単だったか。十二枚もないのに十二単面白いと七瀬はクスクスと一人で笑う。七瀬、基この死神は本来害してはならない魂に手を付け、あまつさえ殺そうとしたのだ。だからってあんなに怒らなくてもと思いながら己の上司であった神の顔を思い出す。

何が神様だ、私だって死神だったのにと呟くもそれは過去の話。罪を犯し罰を受けた神は転生し、現在天皇の血筋として生を受けていた。神の子というのがまた気に食わない。許される内容は何か言っていたがてんで思い出せぬ、なんだったか。頭をひねれど思い出すことはない。

まぁよいさ、己の力を込めた心臓を持つ男を殺し心臓を喰らえば己の力は戻る。さすればあの上司なんぞ一捻りである、そうぼやけどそもそもの話として己が命を奪おうとした男すらわからぬ。詰みという状態である。そう思いながら女どもに交じって歌を詠んだ。えぇい、意味がわからん。七瀬は歌に興味がなかった。戻る条件も忘れ、生きて早数十年。周りは結婚やら子供やら姻戚やら面倒な言葉を聞くが己の元には何一つ入ってはこなかった、歌が詠めぬ女など価値も無いやら云々。お前の心臓刈り取るぞとそう言ってきた男どもに言い返してやりたかったが如何せん己は今は七瀬である。死神ではなく人間に成り下がってしまった七瀬は何もすることもできずにニコリと笑って人間の卑しい言葉を受け流すだけである。だから人間は嫌いである。そんな己の元に縁談の話が舞い込んできたと聞いてもそれは何か揶揄いだろうと思っていた。本当にそう思っていたのである。

結婚相手の家に住むことになった七瀬は初めて神に感謝した。きっと己の婚姻は神の手助けか何かだろう。己が殺しそうになりこっぴどく神に怒られる原因となった男である。その男の名前は無惨という。鬼舞辻無惨。なるほど良い名前じゃないかと七瀬は無惨に笑いかけた。償い方はわからぬがとりあえずこの男と生涯を共に歩めば己の罪は許されるのだと七瀬はそう確信したのだ。違う、そうじゃない。天からそれを見ていた神々は七瀬のその様子をみて頭を悩ませ、嘆いていたのは七瀬も無惨も知らぬことである。

しかし添い遂げるとはなんであろうか、あいにく七瀬の昔の職業は死神である。添い遂げるというよりも別れさせるほうが得意な七瀬はその問題を大いに混乱をもたらした。とりあえず歌なんぞよりも面白いお針子仕事に精を出していた。この趣味は無惨の元に嫁いできたときに見つけた七瀬の趣味である。

趣味というよりかは当初、無惨に好かれるためにプレゼントを用意するための手段であったがこれがなかなかに面白く七瀬自身がどっぷりとはまってしまっていたのだ。無惨には心配されていたが心配されるような仲にはなれたことに手放しで喜ばずにはいられなかった。奪わずに与えて褒められることのなんと気持ちが良いことか、七瀬は病弱な無惨の世話をした。そして七瀬はある医者を見つけた。

この人間は確かどこかの神に勝ち、知識を貰った人間ではないか。その人間ならば無惨の病気も治るのではないかと七瀬は医者を無惨の屋敷に招き入れた。その七瀬の予想通りに無惨はみるみると病気から脱していった。これは良妻賢母と名乗っても良いのではないだろうかと七瀬は胸をはる。あいにく招き入れた人間は消えてしまったが、無惨が元気そうであればどうってことない。己がやった心臓もまだ動いているし問題はないだろう。

そう思っていた矢先に己が病にかかるだなんて思ってもみなかった。床に就きながら七瀬はぼうっと考える。これで許されたのかがわからない。そもそも死んでしまえば添い遂げるとは言わないのでは、まだ七瀬は添い遂げる意味を分かってはいなかった。とりあえずずっと一緒にいればいいと思っていた。病にかかった人間ほどすぐ死ぬ生き物はいない、これでは無惨と生涯を共にすることができぬではないか。そう思った愚かな女は死の間際に無惨に一つめの心臓を差し出した。さぁこれで許されるだろう。


許されなかった。


何がいけなかったのか。そう思った己は転生を果たしていた。今世では男である。知識として知ってはいるが今世の己もまた前世の女のような価値観の持ち主である。七瀬には政治がわからぬ、七瀬には式神と遊び時には人々を揶揄い妖から人々を守るのが好きな人間であった。

これでは無惨と添い遂げることが出来ぬではないかとぐちぐちと式神を使い無惨の居場所を探すと己の名前を呼んでいる無惨がいるではないか。そう思いながら七瀬は無惨に声をかけ再び同じ時を過ごそうとしたのであるが、己の行動を快く思わない人間がいた。名前は憶えてはおらぬがなんか己をライバル視しているような輩であったはずである。興味がなかった。無惨の目の前でとらえられた時も処刑されるときも、己は何も感じず何も考えずに己の死を受け入れた。

だってどうせまた転生を果たし無惨のことを探し生涯をささげることになるのであろう。それが己の償いであるはずだからである。そうと決まれば無惨に笑いかける。宮中で血を見れるだなんて久しぶりだなと七瀬は天皇に笑いかける。無惨は己の術のせいで動けない。申し訳ないと思いながら七瀬は腹を裂いて死に絶えた。

三度目も生きたはずであるし、四度目も生きたはずである。四度目の生はとても心地が良かった。あのまま己が生きることができれば無事に罪は許されたのであろうかと五度目の生の死の間際に振り返る。五度目の生の己は戦に巻き込まれ無惨に出会う前に死んだ人間である。

ろくな死に方ではないなと六度目の生を果たした。さすがに六度目になると己の償うことを思い出していた。もしかしてこれ、私が償うまで繰り返されるのであろうか、いやそれはない話である。そうと決まれば今回が最後であるのだろうか。そう思いながら隣に立つ無惨に笑いかける。家臣に裏切られ己は最早死ぬしかない六度目の人生。願うなら今回で終わらさずに無惨と天寿を全うしたかった。そう思いながら焦る無惨に笑いかけ、己の心臓を差し出す。誰かに殺されるぐらいならば無惨に殺されたいと、愛したものに殺されたいと。神の思い通りになるのは癪ではあるがこれが正しい償いなのであろう。
燃え盛る屋敷のなか無惨に食べられる。崩れゆく身体に無惨に笑みを述べながら七瀬は死に絶えた。





罪を許された七瀬は六道輪廻の天人達が住まう天道に生を受けていた。天人たちは七瀬を優しく迎え入れた。どうやら七瀬の人生を眺めていたらしい。幸せなことだと七瀬は天人に笑いかける。人間界についての様子も見ることが可能であるならば、無惨のことも当然見ることが叶うのであろうと七瀬は一人離れた場所で無惨のことを眺めていた。己が消えたあとの無惨の人生を。
己の生きた影を探しながら鬼を増やし精一杯生きる彼を七瀬は応援し続けた。無惨が死んだとき七瀬は止める天人達を振り切り地獄へ通じる穴へと飛び込んだ。
そして七瀬は自ら手渡された羽衣を破り捨て地へと落ちていく。天ははるかに遠い。だがもうそれでよいのだ。

初めは償いであった、罰であった。しかし全てが許された今私はあなたの隣に居たい。滑稽だと笑うだろうか。
空から天人たちの嘆く声が聞こえてくる、元から私は死神である、地上より更にしたより下、冥界の地より出てきたのだ。天の上などまぶしすぎて叶わない。そう思いながら女は天に向かって舌を出す。もうここには来ないだろう。私がこれから行くのは地上か地獄かはたまた……。それを考えるのは後からでよいのだ、今はただあの人の無惨の隣へ。





大正の時代もとうの昔、今は平成の世。高層ビルも立ち並びかつて己が最後にいた時代はまるで違かった。空から眺めていた明治の世もすごかったがこの世もまるで違う。天はいまだに存在するのであろうか。ここまで来るのは長かったと思いながら共に地獄に落ちた愛する人を探す、今日確かここにいると連絡をしたはずである。そうしてやっと見つけた。無惨。春の木漏れ日のなか、七瀬は無惨に声をかける。七瀬に声をかけられた無惨は七瀬を見かけるや否や七瀬……とポツリつぶやいた。


「結局ひとつになってしまったね」


死なないように沢山心臓をあげたのに……ねぇ無惨?そういうと無惨とは少し苦い顔を浮かべ七瀬に笑いかけた。
これからは共に生きてくれるのだろう?そう宣った無惨に七瀬はこくりと頷き、互いの存在を確かめるように抱きしめ合う。
トクリ、トクリと二人の心臓が再会を喜ぶように動き出した。