歳月不待




鬼舞辻無惨には心臓がいつつあった。

毒に侵された七瀬の心臓も今は規則正しく動き出し何もない日々を送っていた。北条一族が築き上げたあの鎌倉時代は建武の新政を理想とする天皇によって滅亡を迎え現在は室町幕府が花開いている。室町幕府が開かれる前には、とある天皇が建武の新政を行ったのだが、その政策は武家、民衆に混乱を巻き起こし二条河原の落書にて痛烈に批判されていた。この頃都に流行るもの、夜討、強盗偽綸旨。召人早馬に虚騒動……などと上げればきりがない。ある日通じていた話が次の日にはまるで違う話になっていたりとしていたためにこれに不満を爆発させた足利尊氏が新たに開いたのが室町幕府である。

さてそのような室町時代においても鬼舞辻無惨は依然として青い彼岸花と七瀬を見つけられないでいた。鎌倉の世よりも鬼を増やし続けてもいまだに見つかる気配すらない。むしろ己の存在を脅かす存在まで現れ始めたのだ。鬼舞辻無惨はこの存在を鬼狩りと呼んでいる。

日光を浴びせた鉄やらなんやら玉鋼というものを打ち出来上がった面妖な刀で幾多の鬼の首が斬られたのであろうか。斬られた鬼の死に関しては己は特に何も感じてすらいなかった。鬼になった時に一つ一つ名前を与えているがそれも時折面倒になることも間々ある。間々あるが、名前に違和感を覚えぬものはおらぬだろう。話がそれたな。しかし今は幕府が開かれてから何年が経過したのであろうか、以前フビライやらチンギスやらよくわからぬものが対馬に来ていたという話は知ってはいるがあれは鎌倉時代の話であった気がする。100年前であろうか、何年前であったのであろうか。七瀬が死んだのはいつだったか、いつ殺されたのであろうか。無惨は己の心が軋むのを感じながらも己を奮い立たせた、生きているだけでマシであると。七瀬は何度この世に生を受け、何度死に絶えているのであろうか。かつて己が恐怖を感じていた死を七瀬は幾度も経験している。

それは無惨にはできぬ話であった。鬼狩りの出現によって己の命も危なくなっている現在、彼女を表立って探すことは難しくなってきていた。無惨は己の首を斬られた後の末路はわからない、あの鬼どもと一緒に首が胴から離れた瞬間に身体は死を迎えるのであろうか。想像してもいまいち釈然としない。人であるならば生きることが出来ぬ約500年という長い歳月は染み出る水のように、しかし確実に無惨の価値観を精神を侵していた。無惨は夢うつつに時代を生きていた、いつもまるで他人事のように生きていた。事実七瀬以外は他人である。


「七瀬……」


この時代にいるのかもわからぬ存在を探し求めるのは酷く滑稽であると己を自嘲しながら夜道を歩く。呟くもこの夜道には人っ子一人いなかった。いるのは一人の鬼だけである。
この辺りは血の匂いが濃いな。一揆でもあったのであろうか。都が存在する京は後継者争いが重なり酷く荒廃したと聞いているがここまでその影響が及んでいるものなのか。己が人間に成り代わり冷やかしに行く必要もなさそうである。一体彼女は、七瀬はどこにいるのやら。今度出会うときは必ずや彼女を鬼にしなければならない。鬼にすれば彼女が死ぬことはないのだ。そう無惨が考えていると何かを蹴った気がした。ごろりと何かが転がった。鈍い感触である。無惨は履いていた草履についた血を払い先ほど蹴ったものを見ると女であった。酷くやせ細った女である、ここいらは京に近いゆえに合戦に巻き込まれたのかもしれないなとそう思いながら道の邪魔になるので無惨はその死体を雑木林に投げ入れようと手を伸ばしたその時である。その顔が酷く七瀬に似ていることに気が付いた。彼女ではないであろうと思いながらもどこか胸騒ぎを覚え伏している女の顔をのぞき込むとそれは間違えなく七瀬であった。無惨が七瀬を見間違えるわけがない。

七瀬と再び無惨が呟くと、体が、思考が追い付いてきたのか無惨の中で久方ぶりの嗚咽がこみ上げてくる。どうして彼女がここにいるのであろうか、なぜ。ぶわりと張り付き始めた脂汗をぬぐいながら己のやるべきことを考え、無惨は魂はふらりとどこかへ行ったような、ただの肉塊と化した名前を持ち上げると今までにないほどに彼女は軽かった。食べる事すら困難な生活を強いられていたのであろうか。無惨には彼女の死因すらわからなかった。死んで間もないのかすらもわからない。わかるはずもない。

鬼舞辻無惨には一秒、一分、一時間、一日などは己が瞬きしている時間に等しいと考えているのかもしれない。兎にも角にも七瀬の肌にたかる蛆虫を追い払い水で綺麗に洗い流してやる。ほろほろと流れていく蛆虫にたかるかのように魚がやってくる。七瀬の肉がボロりと川へと流れていった。無惨が気づいた時には時すでに遅く七瀬であった肉の一部はどこか遠い所へ行ってしまっていた。綺麗になったとお世辞にも言えない彼女を無惨は食べる。鼻の奥を突くような感覚を覚えるがそれは七瀬の腐臭などではないのだろう。

なぜいつもこうなるのであろうか。まるで無惨に降りかかるはずだった死が彼女に降りかかっている気がしてならないのである。もしかすると自分の知らないところで彼女は知らぬ間に生を全うした時もあったのかもしれない。そう願わざる得なかった。彼女は死に愛されすぎている。そのような現実味もなことを考え、やるせない気持ちと共に動かぬ七瀬の心臓を無惨は飲み干した。

鬼舞辻無惨の心臓がむっつになった。死んで動くはずのない心臓は何の因果かまたトクリと脈を打ち始めた。全くもって不思議な話である。無惨が見てみるとそれはつぎはぎだらけになっていた心臓である。その心臓を己はどこかで見たことがある気がした。はてそれはどこであったか。考えれど、思い返せど、無惨には全くもって皆目見当もつかなかった。無惨は歩き出す、その行き先は定まってはいない。彼女が居そうな場所は最早わからなくなっていた。彼女を鬼にはできなかった。