死生有命




当初、そこにはなにもなかった。

コポリ、コポリと奏でるは生命の音。ここは季節もない羊水のなか。母親の胎のなか。精子と卵子が織りなすは生命の神秘。受精した卵子は分裂を初め、一年近くの年月を経てやがては人の形と成したのであった。形を成した赤子は懸命に手足を動かす。時には腹を蹴り母親を安心させ、身じろぎをし人々に幸せを生み出した。

周りの人々は元気な子が生まれるのだろうと信じてやまなかった。そこに死の影がまとわりついていることを誰も知らなかったのだ。
唐の方なのかそれとも遙か遠くの国からなのか、溢れんばかりの生命の匂いを嗅ぎつけた死神がひょっこりと母親の胎に忍び込んだ。元気よく母親の胎を蹴る赤ん坊を眺めた死神は生命の芽吹きを摘んでしまおうと思いついた。
そう死神はせせら笑いながら赤ん坊の柔らかい肌に己の指をつぷりと差し込み心臓を止めていく。あぁ可哀想に。死んでしまうだなんて。この可哀想な赤ん坊を三途の川へと運んでしまおうと再び手を出したそのときに心臓を止められた赤ん坊は心臓を再び動かし始めた。奇跡である。

トクリ、トクリと動く赤ん坊の心臓を眺め死神はない眉間の皺を作りながらまた再び心臓に指を差し込み止めることにした。止められなければ死神の名が廃るというちっぽけな理由である。止めた心臓を撫でた死神に赤ん坊はまた再び心臓を動かした。
死ににくい人間め。そう吐き捨てながら死神は日を分けて赤ん坊から死を授けようとしたが、赤ん坊は襲い来る死に必死に抗い十月十日を迎えた。しかしあらがい続けて疲れたのかは定かではないが母親の膣道より這い出た赤ん坊は初めは有していた健康な身体は弱り果てしまいには心臓を止めていた。死んでいたのだ。悲しむ人間達を他所に死神はカラカラと己の骸骨を軋ませて赤ん坊の死を笑ってやった。

しかし、死神は釈然としなかった。骨だけの顔に不満げな顔を浮かべ赤ん坊をにらみ付ける。その赤ん坊の死は己の力ではないことに腹を立てたのであった。己が幾ら殺しても生き返るこの赤ん坊が易々と死ぬわけがないと言いながら死神は赤ん坊を揺さぶった。

──おい、起きろ。燃やされるぞ。心臓を動かせ。揺すっても水をかけても何をしても赤ん坊は目を覚まさなかった。死産扱いされた赤ん坊は今宵、鳥辺山にて荼毘される。三途の川にすら渡れないであろう。賽の河原に連れて行かれるのか何もない無に帰されるのか、黄泉の国に連れて行くのは死神の仕事ではあるがそれ以降の事は何もわからない。神という名前を与えられては居るが冥界の神や死者の処遇を決めるような閻魔様には足下にも及ばない。現世に漂いいたずらに死を与える。死神は所詮下っ端であった。体の良い雑用係であり、汚れ役。

気にくわない、全てが気にくわない。横からかっぱらわれた死が目の前にあると死神は憤った。そうして思いついてしまったのだ、そうだ、己の手でコイツの心臓を作ってやろうと。

そうして死神は力を使いつぎはぎだらけの心臓を作り出し、赤ん坊にはめ込んだ。そんなつぎはぎだらけになりながらも作られた心臓は荼毘される寸前にまた、再び、トクリ、ト、クリとぎこちなく、しかし一生懸命に動き出した。死神は奪うことは得意であったが授けることは不得手であった、故に心臓を治した瞬間にふらりとどこかへと消えていってしまったのである。ここに残るは歪な赤ん坊が一人。生命の理に逆らった赤ん坊が一人。屋敷でひっそりと赤ん坊の死を悲しんでいたその子の母親は赤ん坊が息を吹き返したことに喜んだが赤ん坊の父親は赤ん坊がこの世の理を逆らう行いに恐れ、その子に無惨という名前を名付けたのであった。理を破り続けても恥じることのないその生を。

仏教が流行った平安時代にぴったりな名前が存在していた。そこから名前を取りその赤ん坊の名前は無惨と名付けられた。


鬼舞辻無惨という人間の誕生であった。



こうして鬼舞辻無惨は己の心臓を一つを手に入れた。死神が作り上げたとても出来の悪い心臓であった。