羇旅




暑さにバテたのか色恋沙汰に熱を上げるのを止めた蝉が休みに入ったある真夏のことである。キメツ学園にも夏休みが訪れて数週間が経過し、今日は無惨に取り付けられていたデートの日であった。

お互い家が隣なために駅のどこで待ち合わせ、などと言ったことはせずに玲は迎えに来た無惨に連れられ最寄りの駅に向かった。
日焼け止めは持ったかだとか、水分はしっかりとったかなどと道中無惨から確認が入り玲は無惨に笑いかけながらバッチリだよと声を返した。もし忘れたのなら無惨は己に日焼け止めを貸すのだろうし、その日焼け止めはおそらく玲が愛用している日焼け止めであることは間違えないだろう。忘れても良かったかもしれない。

日付や日数、これを着ていった方がいいかもしれないだとかサンダルよりは運動靴を履いた方が良いだとか。目的地以外のことは知らされてはいるものの、目的地は一向にわからない。一体どこへ向かうのだろうか、とりあえず無惨についていったらなにかあるだろうと思い玲はキャリーケース片手に電車に乗り込んだ。酷く楽観的である。

しかしれっきとしたデートなのだ。荷物の多いデートである。水着を持って行くかは悩んだが、キャリーケースの中に入っていることが玲の浮かれ具合を現しているだろう。サンダルではなく靴を履いてきたほうがいいと言われている時点で海の可能性ではなく山の可能性の方が高いかもしれないが、無惨と海……いけたらいいなと玲は色白の肌が焼かれ赤くなってしまう無惨を想像しくすりと笑った。海はみんなで行った方がいいかもしれない。

ガタンゴトン。電車が音を立てながら目的地をめがけて走り続ける。電車に揺られながら玲は無惨と何気ない会話を楽しむ。夏休みの課題おわっただとか、暑いねだとか。本当に取り留めのない話であった。


「……その服、とても似合っているな」
「あっ本当?梅ちゃんたちに選んでもらったんだ」


その上相談したらお化粧とかも教えて貰えて……変じゃないかな?とはにかみながらいう玲に無惨は謝花兄弟によくやったと心の中で叫んだ。欲を言えば化粧を教えてもらう間に着せ替え人形となったであろう玲もみたかったと思うが、今から数日間玲と己は離れることはないのである。いつも可愛い玲が今日はいつに増しても可愛らしい。無惨は己の鼻の下を伸ばさないように、誤魔化すかのように咳を払う。ちなみにその時どこか遠くで謝花兄妹が同時にへくち、と可愛らしいくしゃみを二つした。


「それで私は今日どこに行くか聞かされてないけど」


一体どこへ向かっているの?このままいくと飛行場だよね……?そう聞いた玲に無惨はよくぞ聞いてくれましたと言わんばかりに瞳の底をキラキラと輝かせながら付箋の貼られた数冊の旅行雑誌が入ったカバンを探り、玲に紙切れを一枚差し出した。玲は紙切れを受け取るとそこに書かれていた文字を読む。おおいたくうこういきのちけっと。大分空港行きのチケット!?そう玲が叫ぶと無惨は肩を揺らし、玲の髪を手で掬いながら口を開いた。

「ちょっと無惨」
「今回のデートについて説明してやろう」

三泊四日の旅行デートだ、と自信ありげに言い放つ無惨に玲は素っ頓狂な声を上げたが電車の中であることに気づきすぐさま口に手を当てた。親に了承取ってないのだけど……?未成年の旅行って確か同意書とか書く必要あったよね……?大丈夫……?と、恐る恐る玲が無惨の耳に声を小さく当てると、無惨は玲の親に許可は既に取ってあると返した。同意書も?と玲が聞くと当たり前だと無惨は頷いた。準備がよろしいようで。


「本当に無惨は私の親と仲が良いよね」
「当たり前だ」


いや何が当たり前なのかわからないが、こんな距離の近いご近所付き合いは見たことがない。確かに隣の家であるが。いや、そういう意味ではないのである。心理的な距離が近いが無惨は前世でも人の懐に入るのがうまかったと玲は思い返した。
あと玲の鞄の中に封筒が入っているはずだと玲は無惨に言われ、えっ、と驚きの声を上げながら前日忘れないように玄関に置いてあった鞄を探るといつの間に入れられていたのであろうか。楽しんで来てね、お土産よろしく!と、いった手紙とともに結構な額のお小遣いが入っていた。

なぜ無惨が持ち主の私よりもカバンの中身について詳しいのだと玲は心の中で呟くもそれは簡単な話、今回の旅行に関して両家の親も無惨とグルであるからだ。なんなら既に両親と無惨の電話帳には互いの連絡先が入っている。そのうち私の家族のLINEグループに無惨が入ってきそうな勢いである。既に私と無惨は家族だった……?と玲は混乱し始める。ちなみに玲と無惨の関係は両家の親が公認である。

だからあんなに最近私の顔を見ながらニヤついていたのかお母さんとお父さん……と玲は何か独り言を発しながらそれらを用意していたチケットホルダーにはさみカバンにしまい込んだ。

でも本当によく承諾してくれたよね、と零す玲に無惨はただただ頷いた。正直この旅行の承諾が出るのはさすがに無理ではないか、卒業旅行までに取っておきなよだとか言われるのではないかと無惨は不安を覚えていたが玲の親は無惨君だったら大丈夫でしょう、旅行楽しんで来てね。だとか玲をよろしくね。というような返事を受け流石に玲の家族を心配した。主に詐欺などといった犯罪に巻き込まれないかとかだが。

実を言うと、無惨以外の人と旅行に行くといった話であれば玲の親は許すつもりはさらさらなかった。高校二年生を旅行に送り出すものだから当たり前である、見ず知らずのよくわからない人に自分の一人娘を託せるほど玲の親は楽観的ではない。また無惨の親も然りである。

これは無惨だからこそ、玲だからこそ、勝ち得た信用からくるものであるし、加えこの世に生まれて17年間培ってきた各家族間、親と玲、親と無惨での信頼関係というものである。
まぁ子供はそんな親の気持ちなんぞ知るわけもないのだが。


「じゃあこの電車は」
「無論、空港に向かっている。この後直ぐにモノレールに乗り換えるが……」


体調は大丈夫か。と問う無惨に今日は体調良いよ、大丈夫。心配してくれてありがとう。ここ最近暑さで体調を崩しがちだった玲であったが、今日は頗る体調が良いのだ。むしろ今日の玲の体調は夏のジメジメとした湿気と熱気を跳ね返す勢いである。確証はない、所謂根拠不在の謎の自信というものであるが、この旅行の間は体調が良いだろうとそういう予感が玲の中でしている。その予感が当たりますように。今の玲は自転車にぶつかってくる蝉にも勝てる気がした。蝉に関しては嘘である。

玲もどこへ行きたいか、食べたいものはここで良かったか確認してくれと話し合っているうちに電車が目的の駅にたどり着く。無惨は持っていたパンフレットをカバンの中に仕舞い、玲からキャリーケースを代わりに持ち席を立った。そして二人はモノレールに乗り換え、しばらくすると飛び立つ飛行機が間近で見られるようになってきた。いつも空に飛んでいる飛行機は消しゴムほどの大きさであるというのに、今からこれに乗るのか。そうこうしているうちに空港ももう目の前である。


「玲」
「なあに、無惨」


私と再び地獄めぐりをしようじゃないか、玲。そういわれ玲はしょうがないなと言いながらも満足そうに顔をほころばせ無惨の後に続く。飛行機雲が一本の線を描き二人の旅行の行く末を決めているようであった。真夏が始まる。もう二度と戻れない、忘れられない、とびっきり燃え上がるようなそんな真夏が。

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