風邪




「おはようございます、玲殿。無惨様は?」
「童磨くん、おはようございます。風邪ひいたから今日は来てないよ」


童磨に聞かれ、玲は朝のことを思い出す。湿気が行き場を失い空を漂う雨の日。無惨でも寝坊することあるものだな、と欠伸を呑気にしながら無惨の家を訪れると親と揉めている無惨がいた。どうやら学校に意地でも行こうする無惨と意地でも休ませようとする親の攻防が繰り広げられていたらしい。無惨の親は「無惨いま風邪ひいているのよ、けど聞かなくって……」と困ったような口ぶりで玲に助けを求める。無惨は這ってでも学校に行こうとしていた。

玲は青白い顔を赤く火照らせる無惨に近寄り声をかける。無惨は平然を装っているつもりらしいのだが、息遣いが荒々しくどこか元気がない。


「無惨、風邪ひいたの?」
「風邪ではない、妖怪のせいだ。物の怪だ」
「風邪だね」


前世神も仏も信じないと言っていたのに都合の良い時だけ使って、と内心無惨を弄りながら困った顔をしながら玲は再び口を開く。


「休んでね」
「断る」


そう答えられたので無惨が拾おうとした鞄を玲は奪い取る。その様子にムッとする無惨。返せと言わんばかりに咳き込みながらコチラを睨みつけていた。しかし、ここで引いてしまえば無惨は学校に行くだろうし、夏風邪は拗らせたら大変なのだ。


「なんで休みたくないの?」
「……」
「どうしてくれたら休む?」
「お前が休んだら休んでやろう」


この無惨、必死すぎる。この学園に入ってから無惨は風邪を引いても休みたがらない。それなりに理由があるのだろうと玲は決め付けてはいるが、ちゃんとした理由は聞いた事はない。けれど、無惨を放って置けるほどの薄情でもなかった玲はダメ元で口を開いた。一方的に休ませようとするからダメなのだろう、ならば休みたくなるような交換条件を出せばいいのだ。


「休んであげることは出来ないけど、熱が下がるまで休んでいたらなんでも言うことを1つ聞いてあげるから」
「わかった」


即答。いやまって、まってくれ。今までのあれはなんだったんだ。コンマもカンマも秒速もなかったぞ、なんだったんだ。とりあえず言質は取りましたよと振り返って無惨の両親の方を向くと、両親は晴れ晴れとした顔をしていた。外は雨が降っているのに。息子が休むという選択を選んでくれたこととやっと望んだ春が来たのかという顔をしている。生暖かい視線が痛い。無惨は早々と部屋に戻ってしまったし、急がなければ遅刻をしてしまう。


「それでは失礼しました」
「行ってらっしゃい玲ちゃん」


でも帰り寄らなくてもいいのよ、そう言った無惨の両親に玲は困り顔で一言。


「無惨くん寂しがるじゃないですか」


それに約束しましたから。なんてカッコつけて学校にやってきたもののやっぱり遅刻しかけて冨岡先生に追いかけ回されたのは内緒である。因みに童磨にはその様子を見られていた。



「では帰りに見舞いに行かれるのですね?」
「約束したしね、童磨もくる?」


でも帰ったら何言われるんだろうと玲は頭を抱える。しばらくパシリなのかなぁとか。けどそれで今日学校に来て体調悪化されても無惨が可哀想だからなぁ……と。そう呟くとその声を拾った童磨が大丈夫ですよ、最悪の場合猗窩座殿を連れて参りましょう言ってカラカラと笑った。全然大丈夫ではない。





「そんな無理して居なくていいんだよ?」
「いえいえ!無惨様がいらっしゃらない時こそこうしてやっとお側にいられるのです」
「……童磨……その言葉……後で無惨様に……報告しておこう」
「それはそれは!黒死牟殿、困ります」
「……」


無惨が居ない学校生活は少し新鮮だった。しのぶや中学生の真菰などは無惨がいても気にせず声をかけたりしてくれるのだが、今日は何故か色々な人に本当に話しかけられた。今日はいつもの連れは居ないだなとか。1人だけだと違和感があるだとか。玲は自分と無惨がセットで見られていることを知って心を弾ませた。純粋に嬉しい。
しかし偶に連絡先を交換してください!などといったナンパに近い絡まれ方もされたので新鮮を通り越して少し怖かった。みんなのコミュニケーション能力が高すぎる。玲は前世も今世もそんなにコミュニケーション能力は高く無いので、沢山の知らない人から、今暇?どこ住み?てかLINEやってる?などといった近い言葉を言われたら泣きながら逃げ出す自信すらある。事実何度か似たような場面に出くわして童磨や鳴女に謝花兄弟に助けて貰ってしまった。
先輩や後輩に助けられるなんてもっとしっかりしなければならないと意気込むも、玲さんはそのままで居てくださいと言われる始末。

そして現在この状況は一体なんなのだろうか。
黒死牟が傍にいたり、童磨がいたりする。なんで?と思ったら無惨様に……頼まれた……という黒死牟と、一応俺も上弦の弐だからね。頼まれたんだぜという童磨。どうやら無惨が連絡をして二人に何かを頼んだらしい。何かを知らないけれど玲は無惨に感謝をした。二人が居るなら変な人達にも絡まれることは無いだろう。ピーチ姫よりもちゃんとした護衛だわこれ。今ならクッパにも勝てる気がする、もちろん二人の力で。
けれど自分のせいで二人の時間が無くなってしまうと思った玲がいや迷惑になるでしょうし大丈夫ですよって断ろうとしても居る。普通にいる。なんでだ。あとなんで縁壱くんも…?って思っていると、兄上がいるところに私はいますと言われ、この兄弟は仲が良かったのか。兄弟揃って人の心が読めるなんて凄い。あと黒死牟さん弟に好かれてるなんて羨ましいなと、黒死牟の方を見るとなんとも言えない顔をしていた。今なら恐らく虚無さは弟を超えている。


「玲は私と兄者の仲を引き裂く不逞の輩か?」
「いいえとんでもない」


兄弟仲が良いことは良いことですね、そう言えば縁壱がそうでしょうそうでしょうとほぼ笑みを浮かべた。兄の方はこの世の終わりのような顔をしていた。ごめんなさい黒死牟さん。玲はそっと心の中で謝った。





「こんばんは」
「あら玲ちゃん」


学校も無事に終わり、3人に途中まで送り届けてもらい無事に無惨の家に着いた。童磨は何やら用事があるようで無惨の見舞いに行けないと断られてしまった。とりあえず帰りに買ったゼリーを無惨の親に渡し、無惨の様子を聞く。どうやら熱は下がったようで玲は安堵する。明日の朝、熱を測り何も無ければ学校に登校するつもりらしい。貴方との約束とっても楽しみにしていたわよ。無惨に会いに来たのよね?と言われ家に上げてもらった。


「玲」
「無惨」


ノックをして部屋に入ってきた玲を確認した無惨は読んでいた本を傍に置いた。もう大丈夫なの?そう聞けば初めから大丈夫だったなどと返す無惨。朝よりかは体調がいいらしく、顔色が良くなっていた。


「私の事よりも玲はどうだったんだ」
「あっ、そう言えばありがとう」


今日変な人に絡まれちゃってさ、みんなに助けて貰ったよ。無惨が頼んでくれたんだよね、本当に申し訳ない、ありがとう。そうレイが言うとやっぱり何かあったのかと無惨は眉間に皺を寄せた。


「……そういうことがあるから休みたくなかった」
「なるほど?えっ本当に?それは嬉しいような申し訳ないような」
「……お前が他の輩に絡まれ、私の元から離れて行くのが怖い」
「大丈夫だよ。そんな事しないし、何処にも行かないから」


玲の手を不安げに握ってきた無惨の手を玲は優しく握り返す。暖かい。前世何度か無惨の手に触れる機会があったが、あの時の無惨の身体から熱は感じられなかった。目の前の人は今を生きているんだなぁと考えると何故か少し感慨深い気持ちになる。


「おい」
「今の無惨は温かいね」
「……そうだな、確かに暖かいな」


生きている暖かさだ。どちらが言ったか分からないその言葉は雨と共に溶けていった。
後日これが原因か定かではないが玲も風邪をひくことになるのだがそれはまた別の話。


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