琵琶の音




セミの音もとっくに止み、気だるげな暑さと羽虫を残し季節は秋へと姿を変え、葉桜の色も赤や黄色へも色づき始めたある明治の夜のことである。

鳴女は無惨からとある命令が下された。どうやら鬼殺隊に関わることでもないらしい。はて、鬼殺隊でもないのならば鬼のことであろうかと鳴女は考えた。しかし鬼のことであるならば無惨には自身がかけた呪いが存在するために鳴女に命ずる必要も無い。
可能性はないとも言えないがまさかと思い無惨の顔をチラリと見やると、和室にそぐわぬソファに腰をかけた無惨がその通りだと言わんばかりの顔で鳴女にこういった、「街の少し外れにある洋館の監視をしろ」と。

詳しい話を聞く限りどうやら無惨様と同じ顔付きの女がその洋館には住んでいるらしい。鬼殺隊や自身の脅威にならないかなどといったための調査や監視を兼ねてのことであった。鳴女も無惨様の顔つきと似た女ということからもすこしだけ興味を抱き二つ返事で了承した。まぁ頷くしか他ないのだが。


──しかし女は無惨と顔を似ていることを除けばだが至って平凡な女であった。


街中で困っている子供が居れば声をかけ巡査の元にまで連れていき礼を言われる。知らぬ子供らに招かれて追いかけっこをして過ごし、何も無い平地で転びそうになる。木の上にいた猫を助けようとし猫を助けあげたは良いが自身は落ちてボロボロになったりとどこか人以前にどこか言い知れぬ危うさがあった。

どこか目が離せない。放ってもおけない。もし鳴女自身その場に居れば老婆心が芽生えていただろう。今も事実芽生え始めてはいるが。鳴女によって佐原玲という女は鬼殺隊とはなんら関係もない一般人、と前述の内容と共に無惨に報告された。前述の話の内容を聞いていた無惨はなんとも言えない顔をしていたが。





「わぁ、なにこれ」

ある時監視用にばら蒔いていた目の1つが玲に見つかった事があった。鳴女は玲の観察眼に素直に賞賛したものの焦った。
このまま自分のことがバレてしまえば監視も何も無くなってしまうと。鳴女の頬に汗が伝う。夏は終わったはずである。下手をすれば無惨から罰せられてしまう、しかしこの状況をどうすれば良いのか。鳴女が考えあぐねていると玲もブツブツとなにか口走っていた。
その様子に気づいた鳴女は目を通して玲を見ると玲は、もしかしてこれは新種の蜘蛛なのでは?だとか、蜘蛛だったら朝蜘蛛って潰していいのか、いやそもそも夜蜘蛛だっけ?地域で違うんだっけ?そもそも蜘蛛って益虫だよね?などと呟いた挙句捕まえていた目を虫かごに居れて飼おうとする始末。
やめてくださいその目は私の一部です、何も食べませんし日に当てようとしないでください、やめてください燃えてしまいます。玲が寝静まった頃になんとか逃げ出せたものの次の日の朝の玲は何処か元気がなかった。





やがて無惨が玲の元に訪れる機会が多くなってきていた。玲は玲で無惨の来訪を心待ちにしているようであったらしい。2人で度々夜の街に繰り出していたのを鳴女は見ていた。
ここだけの話、玲と関わった後の無惨は必ず気分が良いのだ。態々雨の降っている日中に出かけているぐらいなのだからよっぽど彼女に入れ込んでいるのかもしれない。
他の鬼のためにも自分のためにも無惨と玲のこれからの関係を願ったが、やはりこの世には神も仏もいなかった。玲が結核にかかったのだ。


──いやこの場合かかっていたと言うべきなのか。昔から咳はしていたし、熱を出して度々寝込んでいたので身体が弱い体質だと思っていたが違ったようだ。病魔は確実に玲を蝕んでいた。日に日に食べる量も減り、痩せこけていく彼女。鳴女は玲がいつ死んでしまうのか不安でたまらなかった。

無惨や鳴女らの中に玲という存在が大きくなってしまっていた。病が治らなくともどうにかしてやれないものか。玲が苦しそうにあるものを探していると鳴女はそっと見つけやすい所に探し物を移動させておく。ここにこんなものがあったっけ……?などと首を傾げる彼女。
少しでも彼女の役に立てたのならと、いままで湧いてこなかった感情が鳴女の中にはあった。
そして鳴女は密かに身体の悪い玲を思い続けた。毎日、玲の寿命が僅かばかり、少しだけ伸びるようにと。そんなあと少しを繰り返す。


そんなあと少しも、もうなくなってしまうのだが。


ある夜の事であった。鳴女は無惨の服からなんとも言えぬ煤の匂いを感じ取った。鬼は鼻までいいのだ。無惨の方をちらりと見れば、いつも何かあれば表情をコロコロと変えていた無惨の顔からは何も感じられない。
鬼殺隊に追われていようものなら不機嫌であるはずなのに、一体何があったのやら。まぁ無惨は無惨であるので鳴女は関係のない話であろうと心の中で決めつけ琵琶を再びかき鳴らす。


「……佐原玲が死んだ」


──ペンッと、鳴らした琵琶の音がズレる。突拍子もない、いや、結核にかかっていたのでいつかくる別れであった。しかしそれが今日になるだなんて誰が思っていたか。
あの太陽のような溌剌とした女が死んだのかと思うとどこかえも知れぬ気持ちが鳴女の中を覆う。今朝方元気そうに快方に向かっていた彼女の姿を思い出してあの姿はなんだったのか。

「鬼にしてやれば良かったのか……いいや、そんなことは無い。私はなにも……」

無惨の悔いる声をかき消すかのように鳴女は琵琶をかき鳴らす。無惨の悔いる声をかき消すというのは大義名分である。自分は何もせずにただ見ていただけの立場。何も出来ずに玲を死なせてしまったという心残りを晴らしたかっただけなのだ。

──毎年玲が死んだ日に無惨が簪を眺めるように、鳴女もまた何かを忘れるかのように琵琶の音を鳴らすのであった。




「玲はもう少し食べた方が良いと思うわ」


とある昼下がりの頃、鳴女は玲のお弁当を見て自身のお弁当の具材を玲に食べさせようとしていた。前世、日に日に食が細くなって痩せこけて行く彼女を鳴女はもう見たくはなかった。そんな理由で現世では心配もいらない玲につい世話を焼いてしまう。あと純粋に鳴女は玲の事を妹のように思っている。今世近くに居れる立場だからこそできるのだ。

「鳴女さんの分が無くなっちゃうよ」
「私の心配には及びません」

そう言うと玲は困った顔をしながら差し出された唐揚げを頬張る。おいしい。そう言って破顔する玲はやはり無惨に似ていると言えども全然違う。そう思い鳴女は無惨をチラり見るとこちらを恨めしげに見ていた。羨ましかろう。先日無惨と玲が付き合うことになったらしいが、そんなことは関係がない。今世ではこちらが先輩なのだと少しの優越感に浸りながら玲に餌付けを続ける。玲は少し恥ずかしそうにしながらもなされるがままにされている。とても可愛い。しかしやっぱりそれを快く思わないのが無惨である。

「玲、ほら」
「ん……」

無惨も玲に卵焼きを差し出すと玲は嬉しそうに頬張る。その様子をみて無惨は喜色を浮かべる。

「美味いか?」
「おいしい」

……てかこれ作ったの私なんだけどね?と玲が無惨に返すと、無惨はお前の卵焼きが一番好きだと突拍子もないことをいう。そしてそんな事を言われ顔を赤くした玲。なんともお熱いことだ。しかし無惨様は玲が作ったものならなんでも好きだとのたまっているのを鳴女は知っている。本当に都合の良い野郎である。

「あっそうだ鳴女さん」

今度、琵琶をぜひ聞かせてください。玲に優しく微笑まれ、鳴女は首を縦にふる。前世では考えられないような平和な昼休み。太陽は鳴女を優しく見ていた。なんともまぁ優しい光なのだろうか。


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