喋らぬ骸




時は明治時代に遡る。

玲はこの世界に訪れた理由を思い出せない。トラックに轢かれてやってきただとか、飛行機が墜落しただとか、電車に乗ってきさらぎ駅に着いてしまったとか……いや一番最後は意味が違うが言い得て妙である。気付かぬうちに世界が混ざり、よく分からぬうちに玲が元いた世界に置いていかれてしまったのだ。
これだから逢魔が時というのは境目がわならなくなるので恐ろしい。


元の世界は玲を置いていく時に顔すらも玲から奪い去っていってしまった。これでは家族が玲を見つけられないではないか。元の世界は本当に玲を誰からも見つけられないようにしているようだ。世界単位の迷子。
見つけられない前提の迷子は果たして迷子なのか、失踪人なのか、もはや定かではない。奪われた後に与えられた顔は、後に自分の家だと気づいた家の鏡で自分の顔が推しキャラの顔になっているということに気がついた。


……えっこれ成り代わりなのでは?寧ろ精神乗っ取りか?そう思い込み、初めは陽の光で焼けてしまわないか、人肉を食べる生活になるのかとビビり散らしたが、本当に変わったのは顔だけであった。
爪を睨んでも黒くとがった爪には全然ならないし、違う人の顔を思い浮かべども擬態できなかった。嬉しさと悲しさか込み上げた。玲は何処へ行っても玲であった。向こうの世界の家族から貰った顔が取り上げられてしまっただけの玲である。
あとこの時代衛生環境がすごくわるい、駅に痰壺とかある、何それ汚い。

衛生環境の酷さに辟易したり、娯楽がアナログ的な物しかないことに落ち込んだりしたが、玲は気を取り直し原作のキャラクターに会えるかもしれないとウキウキとしながら東京やら浅草を練り歩いたが誰もいなかった。悲しい。悲しみに暮れながら店から出ると追い打ちをかけるように雨が降ってきたのである。マジか、家まで近いのにとか思いながら近くで傘を買い歩いているとこの顔に似た人物が雨宿りをしていた。
玲はこの世界で初めて雨が降っているのに感謝をした。ちなみに玲が元の世界で雨に感謝をしたことがあるのは体育祭の日と持久走大会の日に降った雨ぐらいであった。


もう原作のキャラを見るという夢を諦めかけていたその時、まさか鬼の始祖に出会えるなんて思ってもみなかった玲はハイテンションで話しかけた。食われる?怖い?いやいやいや全然良い、是非とも私を食べてくれ。1歩間違えればどちらが常識からはみ出しているのか分からない。数年もかけて原作のキャラを探していたのだ。ハイテンションにもなる。鬼舞辻無惨も己と同じ顔を持つ女に興味を示したのか屋敷に招待されてくれた。優しい。玲は心の中で無惨を崇め称えた。流石推し、好きであると。
無惨を初めて屋敷に招いたあの日何を喋ったのかはもう緊張のあまり忘れてしまった。玲が唯一覚えているのは顰めていた彼の顔が段々と緩やかになって行った事のみである。恐らく玲の中の言いくるめやら説得やらの技能が成功したに違いない。失敗だとこの世からおさらばしているか、空から金盥が唐突に降ってきたりするのを玲はそんな光景を進研ゼミで見たことがあるのである。嘘です。友人とTRPGで遊んだ時にくだらぬ場面で連続で失敗を出し続けてたら罰ゲームとして落とされました。

そんなこんなでその日から玲と無惨の奇妙な関係が始まった。

無惨が来た時に少しねだれば夜の浅草に共に出てくれることもあったし、その場のノリで二人で活動写真を見たこともあった。怖いもの見たさに見世物小屋にまで出向いた記憶さえあった。鬼からするとこんなもの怖くないんだろうなと思いながら無惨の様子を伺えばそれなりに楽しんでいるようだった。
チート使いがヌルゲーをして楽しむのと同じ気分なのだろうか。この日に無惨がやって来るのではないかと検討を付け、多めに食料を調達し無惨に料理を振舞ったりしていた。無惨曰く味は分かるが腹は膨れないらしい。

チェスに囲碁や将棋を朝までやったかと思えば、明日の旅費代をどちらが請け負うのかで花札に二人して狂った夜もあった。ぼろ負けしたことは忘れらない思い出である。無惨曰く花札のセンスがないと言われたが玲の知ったことではなかった。
因みに無惨にチェスか囲碁か将棋に挑んで勝つと無惨が勝って満足するまで続くことを知った。推しの意外な一面である。負けず嫌い。何それ可愛い。因みに寝かせてはくれないので人間の玲は段々と集中力が切れていき、寝ることを知らない無惨が最終的には勝つのである。それに気づいた時玲は狡い!!と心の中で叫びそうになったのは内緒の話である。




無惨との楽しい交友関係を続けていた数年が経ったある日玲は結核を患った。令和の世よりも衛生環境がなっていない大正時代に来てしまったから人よりも風邪に掛かりやすいんだろうと予想はしていたものの、まさか不治の病にかかるとは思いもしなかった。
たまに熱が出たり腹痛に見舞われたりしていたのももしかしたら結核の予兆だったのかもしれない。咳をするごとに血が玲からこぼれ落ちた。血の量は21gに届きそうである。

喀血するのが結核、全く持って名付けたものは洒落が効いていると玲は心の中で名付けた人に賞賛の拍手を送る。サナトリウムという場所に行こうかとか考えたものの、昔、元の世界にいた頃サナトリウムの様子を検索したの事のある玲からするとあんな所は開けた棺桶に過ぎなかった。
アメリカが特効薬を作る1944年辺りなのでまぁ、もう、無理である。終わり、ちゃんちゃん。あと30、40年近くあるのだ。元号が、元号が変わらない。それまでに違う病気か老衰で死んでいる。戦争に巻き込まれて死ぬこともある。そもそも結核は、病気は、時間は待ってくれない。時間は人間を見ちゃいないのだ。
カビでも舐めてたら生きれるんじゃないかとか思い始めるもそんな勇気は玲にはなかった。そもそも違う病気を貰いそうである。自らの病巣を撃ち抜く魔法の弾丸が切実に欲しい。


玲は自身の置かれた状況に絶望するしかないなと思いながら布団に潜り込む。あぁこのまま寝て次目覚めたら現代に戻れたらどれだけ楽なのであろうか。保健所にでも行って隔離されてこの病気を治して貰いたい。赤い点が線となり玲の口から流れ出る。


幸か不幸かこの時代の知り合いは無惨だけである。鬼の頭領と友人とか知り合いとかやばいなとカラカラと笑いながらも、彼に対しての好感度はもとよりカンストしている。あわよくば健康なうちに食われたかった。痛いのはイヤなのでこうして病気にならない限り思いつかない発想ではあるが。
本人は隠しているのか晒しているのか知らないが、無惨は鬼であるのに本当にいい人である。鬼は病気にかからないのか、甲斐甲斐しく世話を焼いてくれた無惨には感謝しかなかった。申し訳ない。食べてくれてもよかったのに。こんな病人食べても美味しくないか。


そんなことを考えていた明くる日。結核は重症化していたのにとても気分が良かった。病気とは思えないぐらいの快調であった。しかし玲はこれが自由に動ける最期の時間だと気づいていた。病気にかかった人間は死ぬちょっと前に全快かと疑われるぐらいに体調が良くなることを知っていたからだ。もう死ぬのかと他人事のように思いながらせっせと元からして合った身辺整理をしていく。いつ彼が来てもいいように。

無惨への手紙や日々つけていた日記などを目につく場所に置いておいた。特典かなんなのかは定かではないがこの世界に来た時多額の財産と土地を貰っていたのだ。使っても使っても湧いてくる財産に怖さを感じたのは内緒である。まぁそのおかげで海外からこの時代の中でも最先端な家電を入手できることが叶ったのだが。でもそんな事よりも顔を返して欲しい。
話がそれたがその財産と土地の権利書を全て無惨に渡しておくと言ったものだ。見知らぬ誰かに権利を奪われるのならば知り合いに渡した方がこちらとしても気分が良い。知らぬ世界で知った唯一の人。今までのお礼みたいなものだから受け取ってくれるだろうか。

ちょっとイタズラ心でこの後起きることを助言しておいた。信じるも信じないのもあなた次第といったレベルの与太話としてである。金は純金に変えておけとかいつ何が起きるとかそういった今の人からするとふざけた内容である。
けれどまぁ彼が生き残ってくれたら、悪は死ぬのが当たり前な世界で原作の先を見ることが彼に出来たら、といったささやかな願いも込めてあった。

太陽も帰り月が顔を見せ始めた頃に玲の体調は悪化しだした。死ぬ日は今日だったかと思いながら布団を敷いてその場に座る。ゴホッと咳込めば血が玲の手の上で咲いた。全く持って汚い血である。
何分か何時間か分からない時間を布団の上で過ごした。いつもならくる彼が今日に限って来ない。鬼殺隊にでも絡まれているのであろうか。だとしたら来れないのもしょうがない、なぁ。

まぁ、もう、いいか。私は元いた世界から理由もなく追い出されてしまったし、考えを述べるのならばここでの生活はサッカーやスポーツで言う延長戦的なものだったのだろう。今日それが終わったまでのこと、ならしょうがないのかもかしれない。玲の視界がぐらり揺れると同時に玄関が開く音が聞こえた。
あぁ、すまない、ごめん、無惨。私は君を出迎えられそうにない。私は今、神様に呼び出されてしまった。天国か地獄か逝く場所は定かではないが、もし無惨が地獄に行くのなら一緒について行くから待っておくことに今した。今際の際だけに。


玲が赤く染まった種を21g分最期に吐けば、真っ赤な彼岸花が咲いた。青くなればいいのに。かつて聞いたのだが、心臓が止まれど脳は数分だけ生きるらしい。もし、もしこの身体が朽ちようとも、私の意識があるのなら、どうか、どうか愛しい貴方の声をこの喋らぬ骸にもう一度。


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