饅頭






鬼になって早数十年。今の時代は徳川十一代だったか、十二代だったか。はたまた十四代であったか。世の常識なんてものはここには存在なんぞしていなかった。なぜならここは万世極楽教。病めるものを救済するのこの場所は一年中花が咲いていた。

七月から九月にかけて咲き誇る蓮の葉は枯れることを知らないという。曰く、教祖様のおかげなのだそうだ。何十年何百年も生き続け容姿を保ち続ける教祖様はまさにこの世に人間の姿で現れた神だと信者は青年、童磨の存在を崇めていた。褒めても何も出ないのによくやるよね、皆。そう思いながら童磨は今日も今日とて饅頭を口に含んだ。衣は茶色で漉されたあんこがくるまれている。

外はカリッとしていて中はふんわりほろりと甘みが口の中で広がる。おいしいなぁ。人間をやめてしまったこの度の人生に驚きはしたし、鬼になってからというもの日光の元に己の身を晒すことは叶わなくなったがカロリーを気にすることなくこうしてただただ自分の好きなものだけを食べられる生活に童磨は感動を隠せなかった。

しかもこの饅頭は父上から頂いたのである。無くなったら言えと言われているので気兼ねなく食べている。あぁ、素晴らしきかな饅頭。極楽はここにあったんだな。だってここ万世極楽教だもんな。転生した時地獄じゃないかって散々喚いたけど。信者の数減らせって言われちゃったから二百人になるまで救済をしちゃって沢山人を食べたからもうしばらく救ってあげる必要はないかな。饅頭のほうがおいしいし。そう思いながら食べていると一人の男が童磨の目の前に姿を現した。


「教祖様、信者の方がお見えです」
「あぁ、そうかい。少し待っておくれよ」


ペロリと饅頭の餡を舐め、帽子を被り人を呼ぶ。入ってきたのは先程の男よりもかなり痩せこけた男であった。健康体であればモテていただろうに。男は童磨の存在を見かけ走り出そうになるも栄養不足からなのか足元がおぼつかず転んでしまった。あぁ可哀想に、懸命に起き上がろうとする男に童磨は上座から降り手を差し伸べた。最近はあまり人が来ないから驚いてしまったよ、今日はどうしたんだい?と入ってきた信者に笑いかけると信者は童磨に縋りつくかのように泣き出してしまった。

うわ言のように呟く言葉は童磨にとっては理解ができない言葉ばかりではあったが、本人からしたら悲しいことであったのだろう。童磨はそうと決めつけて悲しいことがあったんだねと顔を変えずに言ってのける。そして信者の顔を優しく撫で上げて微笑み、俺が救ってあげようかと囁くと信者は泣きながら首が取れそうな勢いで縦に振った。
首が取れてしまうよ、もう泣くことはおやめ。そういいながら童磨は信者を胸の中で眠らせる。信者の体温を下げ意識レベルも低下させれば信者はそのまま動かなくなっていく。そして信者の身体を閉じ込めればこの部屋にいるのは一人の鬼だけとなった。

「うーん、やっぱり食べるなら健康体か女じゃないと」

食べ応えがないなぁ、まずいし。饅頭を食べていたほうがよほどましである。童磨は先程食べた男のことをすっかりと忘れ再び饅頭に夢中になった。やはり饅頭が一番である。
今は江戸の世、飢饉の世。洪水や冷害を受けた農村は餓死者を産み、各地で一揆や打ちこわしが発生し近畿地方では内乱が起こった江戸の後期。神なんていたら皆幸せなはずなのに、それに気が付けないなんて可哀想だねと鬼は目に弧を描いた。





「久しぶりに外に出てみたら結構世の中変わってるんだなぁ……」


最近の信者の装いも変わっていたから不思議に思ってはいたけれどまさか幕府が倒れているとは思いもしなかった。いや確かに先の世の己の記憶においては幕府は倒れ、明治政府が開かれなんだか楽しいことをしている記憶はあったけれど。信者の話を聞いてうんうん頷いているだけでこんなにも時代が変化しているとは。

時の流れって残酷だなぁと呟きながら変化した街並みの中を歩く。見たこともない屋台に食べ物。何それ面白そうだと買おうにもしまったお金を持ってくるのを忘れていた。帰ろうか、また今度じっくり来ようと人気のない場所に訪れれば男が女に絡まれていた。童磨は救えないなぁと思いながら女を逃がし男を凍らせて食べようとしたその時首を斬られた。しかも嫌な太陽の気配。これは父上が仰っていた日輪刀か、となれば鬼狩り。

えぇ……鬼ごっこするためにやってきたわけじゃないんだけれど。そう思いながら頭を再生してみせれば目の前の鬼狩りは嘘でしょうとこちらを睨みつけていた。
あぁ、鬼は首を斬られると死んでしまうのだっけか。そのことを思い出した童磨は目の前の鬼狩りにいたずらっ子のような笑みを浮かべ、驚いたでしょう?ここに来るまで大変だったんだからと自慢しようとしてもまた再び首を斬られてしまった。話を聞く気がないのかそもそも聞く脳がないのか。こんなに可愛らしい蝶々のような女の子なのに可哀想に、俺が救ってあげなきゃな。
食べようとしていた男はどこかへ行ってしまったし、また女の子を襲っていなければいいのだけれど。そう思いながら童磨は鉄扇子を取り出して開いて見せた。よかった最近開いていなかったからなまっていたら嫌だなと思っていたが錆びても鈍らにもなっていなかった。せっかく外に出たのだし柱でも殺してお土産にして帰ろう、父上も気に入ってくれるさ。


「ねぇ、俺の遊び相手になってよ」


月を背景に鬼が笑む。夜に動く蝶々なんて見たことがないなぁ、そう呟きながら鉄扇子を女に振りかざした。君、柱なんだって?ちょっとは楽しいこと起こるかな。
笑顔を作る鬼に対して目の前の鬼狩りは手汗が冷たくなるのを感じながら日輪刀を握りなおす。月はその行く末を眺めるだけである。