しんじゅ
令和の世に眠りにつき、なぜか知らないが溺れ、春香流れ着いた先は平安時代ではなかった。 この時代の覇権を握っているのが北条氏だったか足利氏だったかは定かではない。定かではないものの今日もどこかで戦が起こり、今日もどこかで誰かが死ぬ。そのような世の中に春香はまた存在していた。だというのに春香の周りは平和でならない。
現代とはまた違う平和がここには流れている。共に流れ着いた弓矢を使う機会なんぞついぞなく。 あるとするならば畜生どもを屠るときにのみであった。戦といえども人を殺さないのは酷く気持ちが良い、鵺もかつて倒したこともあったがあの時に浴びた血は気持ちが悪かった。うん、もう二度としたくない。
──それにしても、本当に平和だ。春香は助けられた夫妻の子と野を駆けた。時にはかくれんぼをしたり、時には川に入り魚を取ったり。子供から薬草の種類を学ぶこともあった。 女がやることではないだろうと、かつての嫌味たらしいどぶのような右大臣は揶揄しようが時代がすでに違うだろう。憎まれっ子世に憚るといえどもこうも100年200年いられては世の中悪人だらけである。それにこれは夢である。春香に痛覚も存在していない。八十八夜を迎え遠くに見える田んぼには青々とした稲の苗がそよそよと柔らかな風を受けたくましく育とうとしていた。 今日も子供と春香は野を駆け、かくれんぼをしている。
「おねえちゃん、こっちだよ!」 「ふふふ、君は隠れるのが上手だな!」
将来は有望な侍になれるのではないか?そういうと子供はお父さんとお母さんの跡を継ぎたいからお侍さんにはなりたくないと春香をふってしまった。あらまぁ手厳しいこと。 顔を手で覆い、悲しむそぶりをしたところ大慌てでこちらを駆け寄ってきた子供に春香は子供の頭をなでた。いやはや本当にいい子だ。痛くないよと言ってしまえば仮病はだめだよと咎められてしまう始末。 春香は自身の幼少の頃を思い出し苦い顔をする。こんなできた子供じゃなかったなぁ……。
「君ならいろんな人を助けられるだろう」 「本当?」 「本当だとも、いずれは君の父上や母上のように立派な医者となって幾多の人々を救うことになるだろう。私の知っているお医者様はね、体が弱い私の友人を頑丈に鬼のように強くしてしまう不思議な人だった」
私の友人はもちろん無惨くんのことであるが。平安時代でもなさそうなこの世の中にすでに無惨くんは死んでしまっているだろう。 平安時代の夢でも見ることができれば無惨くんの元にいけるのになと思う春香であるが、実は平安時代というものは約四百年間存在しているので無惨に再び出会うことは不可能に近いことをまだ春香は知らないのである。
子供という存在は不思議なものであり、しょぼくれている春香の感情を読み取ったのかは定かではないが子供は春香の背中を撫でた。本当にいい子過ぎないか。ありがとうと子供に声をかけると遠くから二人を呼ぶ女の存在が一つ。
「珠世さん」 「春香さん、この子の面倒をみていただきありがとうございます」 「私にできることであればなんでも」 「そう頼りっきりになってしまうのも申し訳がありません、今日は体調がよいのです」
しかし無理はしないでくださいね、あなたはこの子の成長を見ていかねばなりませんから。そう春香が言うと女──、珠世の顔が一瞬陰るもすぐに顔を明るくさせ返答をする。
あまりこの話はすべきではないのか、話を変えようとしたその時春香とともにいた子供が口を開いた。先ほどかくれんぼをしたときにでも見つけたのであろうか、彼の手にはなにかが握られていた。
「お母さん、咳にはこの薬草がいいって」 「……まぁ、この子ったら」
ありがとう、夕餉の支度が出来ましたよ。春香さんもおうちに、早くしないと鬼が来てしまいますから。春香は誘われるがままに招かれる。本当になんて、なんて平和な夢であろうか。しかしなぜこんな夢をみるのか。足りない頭を使って春香は考えるもさっぱりわからず。まぁおいおいわかっていくか。そう適当に判断を下し、夕餉に向かう。 夕餉のおいしさにすっかり春香の頭の中に先ほどの疑問なんぞ消えていった。夕餉おいしい。
それにしても鬼ってなんだろうか。
▽
「では私は狩りに出かけてまいりますね」 「いつもありがとうございます、今日は新月なのでお気をつけて」 「ありがとうございます」
夕餉のあと、気晴らしに活きのよい猪でも捕まえて帰ってまいりますゆえ。そう宣った春香は外に出て山への道をたどる。子供に薬草を教わった成果もあった春香は珠代さんに頼まれた薬草を思い出していた。ブツブツとなにか小言を言いながら道を歩く春香を道行くものが見たらなんと思うだろうか。しかし、この場に人っ子一人もいなかった。 ──そう、人は、いないのである。
「すみません」 「いえ私のほうも……」
道中春香は女とぶつかった。こんな夜中に不用心であるがこのような物騒な時代何があるかたまったものではない。 きっと何かあるのだろう、そう決めつけながら春香は軽く女に謝罪をいれながら目的の山へ向かっていこうと歩を進める。 一方、女は春香の顔を見た瞬間驚いていた顔をしていた。すぐに平常を取り戻すも少しためらう素振りを見せて春香に声をかけた。
「あの……」 「どうかされましたか?」 「……いえ、すみません。知り合いに似ているものでしたから」 「そうですかそうですか、因みにお姉さんはいったいどちらへ」 「私はここいらで有名な医者を探しているのです、女の名前は珠世、というのですが」
ご存じですか?女がそう問うと春香は知っていると、女に近づき道案内をする。ご案内いたしましょうか、そんな様子の春香に女は悪いですから……そういいながら春香に礼を述べ珠世の家へ向かっていった。 どこか懐かしい雰囲気のある不思議な女性だったな。もしかしてご先祖さまだったりして。 気を取り直して春香は山へ向かう。お世話になっているあの三人においしいものを持って帰らねば。
▽
春香が去った屋敷で珠世は神妙な赴きで夫と話をしていた。日に日に身体の自由が効かなくなるこの体。死期はもう近いのであろう。
「私は……私はもう長くはないの」 「珠世……」 「貴方と一緒にあの子の成長を見たい、それって罪なことなのかしら」
眠りについている己の子の頬を珠世は優しくなでる。願うなら春香さんの言う通りこの子の成長を見ていたかった。けれど私にはそれがかなわない。なんて運命というものは残酷なのかしら。
そう珠世はため息をついた丁度その時、家の扉が開かれた。急患だろうか。そう思い扉のほうを二人は覗くとそこにいたのは一人の女であった。
歳は20歳ぐらいであろうか。奉公先を探しに出た出で立ちではなく、女自身が病人やけが人というわけでもない。ならば一体なんの用でこの場所に立ち寄ったのだろうか。 珠代は自身の息子を背を向けて女を見据える。 女はその珠世の様子を見て目を細めるも割とどうでもよさそうに視線を子供から珠世に移し口を開いた。
「私ならば、あなたの寿命を延ばすことができましょう」
兎にも角にも今宵は新月。柔らかく、そして妖艶に笑むこの女の影が血だまりと化しているのを二人は知る由もない。その微笑んでいる女が鬼であることもまた二人は知ることもないのだろう。いや一人は知ることになるのかもしれないが。
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