novel | ナノ

はぐれもの



 コンコン、とノックの音が部屋に響いて僕はビクリと肩を震わせた。大丈夫、大丈夫、と深呼吸をする。

「ど、どうぞ」

 ああああ、裏返った! すごく声が震えてるし、どうしよう!
 自己嫌悪中の僕のことなど知らぬ扉の向こうの人物はゆっくり扉を開けて部屋に入ってきた。彼は丁寧に礼をして「失礼致します」と言う。
 僕もなにか言った方がいいかな? いや、でもなんて言えば……。

「本日より坊っちゃん専属の執事となります、ブラウンです」
「えっと……よ、よろしくっ」
「はい。よろしくお願い致します」

 父上が僕のために優秀な執事を雇ったとじいやに聞かされていた。優秀なんていうからじいやみたいな年寄りかと思っていたらすごく若くてびっくりしてしまった。とはいっても、僕よりは年上だ。
 こんな僕なんかに仕えるなんて……人生損しないだろうか。

  * * *

 僕に専属の執事がついた次の日は朝から雨が降っていた。窓の外を眺める僕の傍らでブラウンは紅茶を淹れている。

「雨がお好きなのですか?」
「えっ? …………ふつう、かな」
「そうですか」

 そんなに熱烈な視線を雨に送っていたつもりはないのだけれど、そんな風に見えたのだろうか。
 僕がブラウンを見上げると彼は「どうかなさいましたか?」と表情を変えずに言う。彼の表情がいつもドヤ顔に見えるのは僕の気のせいではないと思う。人の顔に文句を言うなんて失礼だから何も言わないけれど。そもそも僕にそんなことを言う勇気なんてありはしなかった。

「……雨、きらいなの?」

 ドヤ顔を見上げながら思い付いたことを聞いてみる。彼は少し考える素振りを見せたがたぶん答えは決まっているんだろう。

「雨は嫌いではないのですが、湿気には苛立ちを覚えます」
「…………」

 苛立ちって……。彼の栗色の髪は昨日に比べると膨らんでいるように見える。湿気のせいだったのか。地味に納得した。

「坊っちゃんの髪は――」
「さわらないでっ!!」

 僕が発した声に彼だけでなく僕自身も驚いた。こんな大きな声を出したのは久しぶりだ。ひとつ訂正しておくと彼は僕の髪に触ろうとしていない。そんな仕草すらなかった。髪についてなにか言われることを僕が拒絶したのだ。この銀の髪は、僕を孤独にしたものだから、きらい。

「ご、ごめんなさいっ! 僕……」
「いえ。坊っちゃんが謝る必要はありません。私が差し出がましいことを、大変失礼致しました」

 深々と頭を下げる執事を見て気付いた。改めて気付かされた。彼らは自分に非がなくとも謝るのだ。主人の理不尽な癇癪にだって八つ当たりにだって堪えてしまうのだ。幼い頃からそんな人たちに囲まれて生きてきた。この銀髪のせいで対等であるはずの人たちからは同情か嘲笑しか与えられず、家の恥になるくらいならと僕は屋敷どころか部屋から出なくなった。長い間、閉じ籠っていたから忘れていた。

「……坊っちゃん?」
「えっ、なに?」
「いえ。主のコンプレックスに気付けず申し訳ありませんでした」
「いや、あの、もういいから……顔を上げて」

 昨日来たばかりの執事に気付けという方がおかしいと思う。というか無理だろ。だから彼は悪くないんだ。悪いのはぜんぶ僕なんだ。

  * * *

 午後からは部屋で読書をしていた。
 じいやに借りた本を読み終えてぱたりと本を閉じる。僕に専属の執事が付いてからじいやには会っていないから本を返すという名目で部屋を出て会いに行こうと目論んでいたりする。ふと部屋に差し込む夕日を目にして随分と読み耽っていたことに気付いた。雨はもう止んでいた。ぼんやり窓の外を眺めるのをやめて、本を手に部屋を出ようとドアノブに手をかけようとしたら、ひそひそとしたメイドたちの話し声が聞こえてきた。

「坊っちゃんって何考えてるのかわからないっていうか」
「あー、わかる! わがまま言われるのも困るけど、何も言ってくれないのも困るよねぇ」
「そうそう! 反応も薄いからさー、私のやったことが合ってるのかもわからなくて困るっていうか」

 すごく丸聞こえだ。盗み聞きなんてダメだよね。離れなきゃと思うのに足が動かない。大丈夫、こんなの慣れてるじゃないか。そう思われてることなんて知ってた。大丈夫、大丈夫だから、泣くな。

「失礼ですが、貴女方は何年坊っちゃんを見てきたのですか?」
「な、何よ?」
「っていうか、誰?」

 僕が俯いて必死に涙を堪えていると、低い声がメイドたちに話し掛けていた。あ、あの執事だ……。なにを言うつもりなんだろうか。僕は不安に襲われながらも聞き耳を立てていた。

「坊っちゃんのことをわかろうともしないで『わからない』とは……なんとも低能なメイドですね」
「なにそれ。あんたには坊っちゃんのことがわかるって言いたいの?」
「惚気なら他所でやれっていうか」

 惚気? なんの話だろう?
 執事は嘆かわしいといわんばかりに溜め息を吐く。メイドたちは怒っているのか「覚えてなさいよ!」と声を荒げて去っていった。自重しない足音が僕の部屋にまで響いていた。
 コツとわざと鳴らしたような足音がして、僕はドアノブを見詰める。すぐ向こうに彼がいる。
 開けるべきなのかな? それともノックがあるまで待つべき?

「…………」
「坊っちゃん」
「は、はいっ」

 呼ばれたので扉を開けると執事は驚いた表情をしていて、何故か僕までびっくりした。彼はすぐに表情をドヤ顔に戻し、僕の手にある本に視線を止めてから「出掛けるのですか?」と聞いてきた。僕はこくりと頷いて「じいやに本を返したくて」と呟いた。

「ご一緒してもよろしいですか?」
「えっ……いいの?」

 一緒に来てくれるの?
 部屋から出ることに少しだけ抵抗があった僕は彼の言葉に喜びが隠せなかった。この広い屋敷で一人でじいやを探すのも心細くて不安だったから、彼がいてくれたら気分的にも随分と助かる。僕は無意識に瞳を輝かせて彼を見上げる。

「ええ。もちろんです、ご一緒させてください」
「うん!」

 よかった。嬉しいなあ! あっ、でも、迷惑にならないように気を付けないと……。
 部屋を出て久し振りに見た廊下に緊張しながらゆっくり歩を進める。そんな僕の半歩斜め後ろを執事が歩く。

「ところで、坊っちゃん」
「……なに?」

 少し進んだところで執事に声を掛けられて僕は焦る。な、なにかまずいことしちゃったかな……歩いてただけなんだけど。

「私は人間じゃないですが、ご存知ですよね?」

 ………………えっ? 人間じゃないってなに? どういうこと?
 いきなりのカミングアウトに僕は真っ白になった。


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