23日目 どうしてこうなったのか。 「……」 「(き、気まずい……!)」 朝、いつものように薬園に行くと今日は特に仕事はないから休みでいいとミケに言われた。なので部屋でゆっくり本でも読んで過ごそうかと思っていた。 なのに、何故か美雨は灰流とティータイムに洒落込んでいる。以前に昼食を4人でとったあのラウンジで今は二人が向かい合って座っていた。誰も来ないどころかこの近くを通りもしないので二人っきりである。 なにか話を……した方がいいのだろうか。灰流は用があって美雨を誘ったのだろうから彼が話し出すのを待つべきだろうか。 「あの……そういえば明さんと久遠さんは?」 「あいつらなら魔界に帰った」 「えっ、そうなの!?」 いつの間に帰ったんだ。 呆然する美雨を見て少し可笑しそうに口許を緩めた灰流は「すまん」と謝った。笑ったことを謝ったわけではなさそうだ。 「美雨に話さねばならないことがある」 話さなければならないこと。真面目な顔をした灰流に思わず姿勢を正す。 ふと思い当たったのは紅蓮のことだ。何故か顔を合わせると逃げられている。久遠がいればそれは阻止されていたけれど。懐いてくれたと思った矢先のことだったから、これといった原因が美雨にはわからなかった。 「瘴気から妖怪が生まれることは知ってるか?」 「あ、うん。でもあんまりいないって……」 「由良様と紅蓮様は瘴気からお生まれになった」 紅蓮は由良の息子じゃなかったのか。美雨が首を傾げると「同じ瘴気から生まれたのだ、家族だろう?」と当然のことのように言われた。いや、それは兄弟じゃないだろうか、と思ったが言わないでおいた。由良が父親として紅蓮を育てているのならば他人が兄弟だと訂正するのはおかしいと思うから。 「由良様と紅蓮様が纏う妖気には瘴気が含まれている」 「……瘴気ってあんまりよくないものだって久遠さんが言ってた気がするけど」 「あまりどころか人間には毒でしかない」 毒、とは……。 20日以上冥界にいる美雨にもなにか害はあるんだろうか。異世界から来た人間だけど。 久遠や明は随分と冥界に馴染んでいたけれど大丈夫なのかな。 「――特に怪我を負っている人間には、障害をもたらすだろう」 「えっ」 思わず視線を下げて足を見た。 それはつまり、美雨の足にはなにかしらの障害が残るということだろうか。今、自由に動かせるこの足が? 不安に怯える美雨に止めを刺す言葉を灰流は吐く。 「美雨の足はもうカダの能力なしでは歩くどころか動かすこともままならないだろう」 動かない。瘴気のせいで、自力では足が動かせなくなってしまったのか。 震える指先をぎゅっと握る。落ち着け、と自分に言い聞かせてゆっくり呼吸をする。美雨にはまだ確かめておきたいことがあった。 「…………えっと、それは……紅蓮くんとなにか関係が……?」 紅蓮が美雨を避け始めたのはカダに診てもらった数日後だったはず。 紅蓮と初めて会った時、彼は美雨が人間だと知らなかったから妖気を抑えていなかった。その妖気にあてられて美雨は倒れた。そして紅蓮の妖気には瘴気が含まれている。美雨の足に害をもたらしたのは―― 「明確にはわかってはいない。だが、可能性として第一に考えられるのは紅蓮様の妖気だ」 紅蓮はこのことを知っているのだろう。知らされたから美雨を避け出した。きっと自分のせいだと思っている。 「カダの意見では、お前が脆いだけかもしれないが少しの接触では怪我は悪化などしないらしい」 「……」 「それを踏まえた上で考えられる第二の可能性は、誰かが美雨に悪意を向けている」 最初に冥王城でカダに診てもらった時、美雨の怪我は治らないものではなかった。1ヶ月あれば完治するものだった。それが一週間後の診察では悪化していた。その一週間の間に原因があるのだ。しかし美雨は妖気を拡散する指輪をつけている。なので、その指輪を久遠からもらう前に接触した妖怪が疑わしい。 ああもうなんだか考えたくない。灰流がまだなにか言おうとしていたが、美雨は首を振ってやめさせた。もう聞きたくない。誰が原因かなんて詮索したくない。悪意なんて知らない。 口を噤んだ灰流は座ったまま深々と頭を下げる。 「すまなかった」 「…………紅蓮くんに会うことってできる?」 「紅蓮様に?」 顔を上げた灰流は不安そうに眉間に皺を寄せる。それに美雨は少し驚いて「あ、いや、別に責め立てたりするわけじゃないよ!」と慌てた。ただ紅蓮が自身を責めているのなら少しでもその自責の念を軽くできないかと思っただけなのだ。それにいつまでもこのままじゃいけない。理由が知れたのだから大丈夫。 「お前が紅蓮様を追い詰めるとは思っていない。……足の件はいいのか?」 「えっ。あ、うん」 「……そうか」 冥界に来て灰流に見付けてもらえなければ死んでいたかもしれない。それを思えば足の二本くらい、というよりも実感がないからよくわからないのだ。カダのおかげで自由に動かせている足が、本当は全く動かないなんて。 * * * 灰流に案内されたのは美雨が持っている地図で赤い印がつけられている部屋だった。侵入禁止の場所に紅蓮はいるのか。 「こちらが紅蓮様のお部屋だ」 「いるかな?」 「いらっしゃると思うが?」 そういえば前に白雪が王子が城内を闊歩するのは変だとか言っていた気がする。 トントントン、とノックをする。ドアを開けた紅蓮と目が合った瞬間に閉められそうになったが、灰流がドアノブを掴んで阻止した。 「美雨が紅蓮様にお話があるようなので失礼します」 「はあ!? はなせ! 話なんておれにはないっ!!」 紅蓮は内側のドアノブを両手で引こうとしているのに灰流は外側のドアノブを片手で留めている。微動だにしないドアを挟んだ二匹の攻防。美雨はどうしたらいいんだろうか。ここで話せばいいのか? 「わっ」 「ぎゃあ」 おろおろしていた美雨は灰流に背中を押されて部屋に紅蓮を巻き込んで転がった。背後でパタンとドアが閉まる音が聞こえた。 「いってぇな! なにすんだよ! ここの床、ふろーりんぐってやつなんだぞ!!」 「えぇ!? ごめんなさい!」 勢いよく起き上がった紅蓮に怒鳴られて反射的に謝った。転がしたのは灰流なのに。美雨は釈然としないまま、床に転がっていた身を起こして指先で床に触れる。確かに木材だ。カーペットとか敷けばいいのに。 「あんまりおれに近づくなよ。そのゆびわ、妖気はかくさんできてもしょー気はムリなんだからな!」 「そうなの!?」 「……黒猫から聞いてないのかよ」 黒猫とは久遠のことらしい。 「おれの妖気は父上ほど濃くないらしいけど……美雨の足をあっかさせたわけだし」 「あ、あの! わたし、足については特になんとも思ってないっていうか、紅蓮くんを責めるつもりもないし、だから避けないでほしい」 美雨の言葉に紅蓮は大きな目を見開く。やがてその瞳からぽろぽろと涙が零れた。 「ごめんなさいっ! またむかしみたいに、きらわれると、おもっ……怖かった」 昔になにがあったのか。瘴気からの生まれ故に仲間外れにされたのかもしれない。もしかしたら意図せず人間を傷付けてしまったのかもしれない。いずれであれ、美雨が紅蓮を嫌いになる理由にはならない。 吐露したことで恐怖がぶり返したのか、紅蓮は声を上げて泣き出した。そんな紅蓮を美雨は抱き締めて一緒に泣いた。 |