9月10日 黒薔薇学園中等部、2年5組の教室にて。 「……あの、久遠」 廊下側の後ろから三番目の席に座り本を読んでいる森山久遠に恐る恐る黒月胡夜は声を掛けた。久遠の視線が本から胡夜に変わる。金の双眸と眩い赤い瞳が交差する。 「……きょ、今日の放課後に、その、えっと……」 「落ち着け。放課後どっか行きたいの?」 上手く伝えたい言葉がまとまらない胡夜に久遠は溜め息とともに助け船を出してくれた。読心術を使わずに胡夜の言葉を聞こうとしてくれることが少し嬉しい。今回は特に余計なことまで知られてはならないのだから。 胡夜はふるふると首を横に振る。 「……放課後、調理室に来てほしい」 「え、なに、決闘?」 こわーい、と笑った久遠の言葉を胡夜が否定する間もなく「わかった」と言われてしまった。決闘じゃないのに……。ちゃんと否定しなくて大丈夫かな、と不安に思いつつもあまり話してボロを出すわけにもいかないので胡夜はしぶしぶ自分の席に戻った。 * * * 黒薔薇学園中等部、C棟一階調理室にて。 久遠は胡夜に言われた通り調理室にやってきた。戸を開けるとすぐそこにいた音無樹々に飛び付かれた。避けようと思えば出来たのだが樹々の心臓のことも考え、甘んじて受け止めた。 「はっぴばーすでー!久遠!」 「……お、おめでとう!」 樹々とは反対側で待機していたらしい胡夜がすっと慎ましく包装された紙袋を差し出す。久遠は引っ付いていた樹々を自分からぺいっと剥がしてから受け取った。もともと感情を表情に出さない久遠ではあるが、こんなにも反応が薄いと不安になる。実は久遠の誕生日を祝うのは今年が初めてなのである。去年は教えてもらってさえいなかった。でも彼は樹々と胡夜の誕生日を何故か知っていて祝ってくれた。だから自分たちも調べてお祝いしようと思ったのだ。 樹々と胡夜は無意識に緊張していた。 「……ありがと」 紙袋を見詰めていた久遠が顔をあげ二人に微笑みかけた。 いつもの薄ら笑いとは違うことに三人は気付いているのか、いないのか。 「よ、よかったあ!」 「……久遠、反応しないから怖かった」 「俺、誕生日教えたっけ?」 久遠の問い掛けに胡夜はふるふると首を横に振り、樹々は「鳩李サンに聞いた!」と笑顔で答えた。 「あ、そうだ、ケーキ作ったんだぜ」 「樹々が?」 「……茉昼ちゃんが手伝ってくれたから大丈夫」 「ちょ、胡夜ちゃん、それどーいう意味よ?」 「料理部部長候補が手伝ってくれたんなら安心だな」 「久遠までひでぇ!」 いつもお昼の弁当と晩御飯を作ってもらっているからたまには作ってやろうと思ったのに。久遠が甘いもの好きかどうかも知らずに甘いケーキを作ったのだけど、料理経験皆無の樹々ではなくお菓子作りが得意という暁茉昼が作ったから味は大丈夫なはず。 調理室の奥にある冷蔵庫からホールケーキを取り出して久遠に見せた。 「甘いもの苦手じゃないよな?」 「……作ったあとに聞くのか、それ」 呆れたように笑う久遠は「嫌いじゃないよ」と樹々を安心させようと優しい声音で言う。甘いものは別に好きでもないということなのか。 胡夜はケーキを切るナイフと小皿とフォークを持って二人を眺めていた。相変わらず樹々には甘い久遠だった。 * * * 魔界にて。 あのあとケーキを三人で食べたが食べきれず余りは誕生日である久遠が持って帰ることになった。軽い晩御飯を作って樹々に食べさせ、さっさと病院に帰した。ケーキ作りやら慣れないことをして疲れているだろうから。 「リュウ、いるー?」 魔王城の執務室をノックしてから入る。そこには樋口リュウと一ノ瀬舞と明・マリアがいた。舞は久遠を見るとあからさまに嬉しそうに微笑んだ。いや、正確には久遠の持つ箱を見て微笑んだ。 「こんな時間にどうした?」 「ケーキをもらったからお裾分けしてやろうかと」 「ケーキ!」 「まあ!」 舞と明はさすが女の子というべきか甘いものには目がないようだ。久遠から箱を受け取ると二人ははしゃぎながら食器を出したり紅茶の準備をしたりしている。そんな二人を眺めている久遠をリュウは不思議そうに見詰めていた。あまり甘味が好きではない久遠にケーキを贈って、彼がそれを受け取るとは……。よほど大切な相手なのだろうか。 「久遠は食べる?」 「いや、俺はもう帰るから」 「えー! せっかくだから紅茶くらい飲みなよー」 そう言いながら舞は久遠をソファに座らせ紅茶を淹れる。 明はなれた手つきでせっせと八等分されていたケーキの1切れをお皿に乗せリュウの机に持ってきた。 「魔王様は食べますよね?」 「ああ、ありがとう」 そして賑やかなティータイムが始まった。 仕事はまだ終わっていないのだが、あの二人は完全に休息モードである。もともとデスクワークが苦手な二人だから簡単なやつしか任せるつもりはない。騒がしい傍らでリュウは仕事を再開した。 * * * いつの間にか日付が変わる時間だった。 ティータイムを満喫していた三人はソファですやすやと眠っている。否、約一名はソファではなく床で寝ていた。 リュウはソファの背凭れに腰を掛け、手摺に頬杖をついて眠る久遠の頭を撫でる。 「……ん」 「(げ、起きた?)」 思わず手を引っ込めようとするとぱしっと手を掴まれ、半眼の月と目があった。 「なに、してんの?」 「いや……別に」 「…………」 「どうした?」 久遠の手が僅かに震えている。ふいっと顔を逸らされてリュウは表情を窺うことが出来ない。弱く握られている手を振り払うことも握り返すことも躊躇われた。 「誕生日とか祝ってもらったことなんてなくて当たり前だったのに」 ずっと前に舞と明が久遠に誕生日を聞いたことがあった。彼は笑って「俺の誕生日なんてあってないようなものだぜ」とはぐらかして教えようとしなかったが。 「怖かった」 「嬉しくはなかったのか?」 「…………わからない」 この子どもは幼い頃に母親に捨てられ、父親に見向きもされず、祖父に匿われて育った。愛され慣れていないから、生まれてきてくれたことに感謝されたことがないから、恐怖を感じている。 「久遠、誕生日おめでとう」 「な、に……言ってんの」 「来年も再来年もこれから毎年言ってやるよ」 誕生日を知ったからには毎年お祝いの言葉と共に生まれてきてくれたことに感謝してやろう。 驚きでいつもより綺麗に二つの満月が見えた。満月が恐怖に怯えることがなくなるように、祝うから。 「な、殴っていい?」 「何で!?」 久遠は掴んでいたリュウの手を離すと「ごめん、ありがとう」と綺麗に微笑む。解放された手を久遠の頭に置き、ぽんぽんと撫でた。ケーキを贈った子に久遠は生クリームが苦手だと教えてやりたい。 |