百花繚乱 | ナノ

     愉快な誘拐


 第13区『アリストロメリア』は海神(わだつみ)の民と呼ばれる海底に住む民族の夏目家が治めている。陸のない海底都市であり、船上地区である。

「あ〜あ! 誰かさんがちんたら運転するから観光する時間がなくなっちゃった〜」
「……」

 元々、観光する予定などない。そもそも観光地ではない。陸のないこの地区は浮き橋と船しかないのだ。車は隣の区の駐車場に置いてきた。
 この世界の主な交通手段は地下鉄である。昔は地上にも列車が走っていたのだが、ある事件が原因で廃線となった。車は貴族などの富裕層しか買わない。だからか車道に渋滞は起こらない。それでも後ろに護衛対象を乗せていたのだ。慎重に運転した方がいい。
 エメは最後尾からぶーぶー豚のように文句を垂れ流す。初めて海を見たのかメイファの視線は海に釘付けで、リネに手を引かれていた。レオンは船に興味津々であれやこれやと話しているのを永久は聞き流している。先頭を歩きながら後ろを気にしていたラルドは前から歩いてきた人と肩をぶつけてしまった。

「すみません」
「いえ、こちらこそ」
「あ……」

 謝罪と共に下げていた頭を上げると、そこにいたのは――

「竜央!?」
「なんでここに……」

 ラルドが肩をぶつけた相手は竜央だった。傍らには可愛らしい少女がいる。彼女が雛だろうか。無表情で佇む姿は人形のようだった。
 レオンと永久が驚いて声を上げると、メイファは海から竜央に視線を向けた。エメは刀に手を添えている。相手に敵意は感じられない。こちらとて任務外の人物にはなるべく関わりたくない。ただ、護衛対象に危害を加えるつもりなら応戦しなければならない。

「待って、くーくん! どこ行くのぉ?」
「ちょっ、嬢ちゃんも待って!」

 緊迫した空気を打ち破ったのは黒い猫とそれを追う少女とさらにそれらを追う男だった。
 猫の登場にレオンは小さく悲鳴を上げてメイファの後ろに隠れた。そういえば猫アレルギーだった。黒猫はラルドと竜央の間で立ち止まり竜央を見上げる。

「……! その猫――」
「捕まえたぁ!」
「オレも捕まえたー!!」

 何かに気付いたリネの言葉を遮って少女が黒猫を抱き上げると、男も少女を抱き上げた。犯罪臭がする。あの男は熟女が好きなんじゃなかったか。ラルドは状況を理解したくて思考を停止させた。

「あれ、竜央? 永久と莉音もいる! なんでぇ?」
「君はどうしてここに?」
「はるはねぇ、ラウに置いていかれちゃったのぉ」

 黒猫を抱き締めながら寂しそうに言う少女、獣使い春菜。口振りからしてラウは魔界に行ったのだろう。そして竜央も魔界に行くのだろう。
 男が春菜を下ろすと、竜央は春菜と目線を合わせて問う。

「ラウは魔界に行ったの?」
「ねぇ、剣は一緒じゃないの?」

 竜央の問いには答えずに、春菜はすぅっと憎悪を覗かせる。先程までの少女とはまるで違う。ラルドは無意識の内に刀に手を伸ばす。それを止めたのは男だった。ハッとして見上げれば、彼は隻眼をじっと春菜に向けていた。夏目剣は彼の甥にあたる。

「剣はいないよ。僕の質問には答えてもらえないのかな?」
「うん!」

 剣の不在を確認して春菜は穏やかな雰囲気に戻り、元気よく返事をした。ラウの所在は教えてくれないらしい。

「竜央も魔界に行くのぉ? はるも連れてって!」
「嬢ちゃん、待って! オレが怒られるからやめて!!」

 四大貴族のひとつである夏目家の当主が怒られてしまうのか。
 今までメイファの後ろで傍観していたレオンが前に出てきて春菜の手を引いた。

「じゃあ、オレが誘拐したってことで」
「は?」
「え?」

 何を言っているんだ、とその場の全員がレオンを見る。

「春菜は魔界が危険だから置いていかれたんだろ? ラウが春菜を大事に扱ってるのなら人質として使えるじゃん!」
「最低じゃん!」
「はるを大事に思っているのは十六夜さんだと思う……」
「護衛対象の任務に関係あるなら見逃してあげるよ〜」
「彼は異世界人だから例え誘拐犯でも私たちに捕まえる義務はありません」
「はいはーい! あたしもレオンに協力するー!」

 春菜に抱きつきながらレオンと共犯になるメイファ。真っ先に最低だと非難した永久は溜め息を吐いた。春菜の腕から抜け出していた黒猫はじっと春菜を見上げていた。

「わぁーい! はる、誘拐されるぅ!」
「マジかよ……」
「ごめんね、おじさん。くーくんもごめんね」

 俯いた黒猫に春菜はしゃがんで頭を撫でる。レオンが少しだけ距離をとった。猫アレルギーなのに猫を連れている少女を誘拐するのか。
 撫でてもらおうと思ったのか、男が黒猫の横で俯いて座り込んでいた。なにしてるんだ、おじさん。10代前半もいけるのか、おじさん。ラルドが冷めた視線を送っていると、永久が隣にやってきて「ところで、この人は誰?」と聞いてきた。おじさんはパッと立ち上がり、よくぞ聞いてくれたと言わんばかりに自己紹介を始める。

「ようこそ、船上地区『アリストロメリア』へ! オレはこの海を治める夏目家当主、夏目刃。よろしく!」
「海神の民って海底に住んでるんだよな?」
「魚人じゃないんだ……」
「鱗とかないの?」
「えら呼吸?」

 言いたい放題である。
 『海神の民』は海神の加護を受けた海底で生活をする民族で、見た目は普通の人間となにも変わらない。えらもなければ鱗もない。ただ日差しに弱く、日光を浴びすぎると干からびて死に至るらしい。
 刃は永久の顎を人差し指でクイと上げ、まじまじと顔を見る。そして何故か黒猫を見た。また永久に視線を戻して首を傾げる。

「な、なに?」
「いや、知り合いにそっくりだから」
「なんでくーくんを見たのぉ?」
「し、知り合いにそっくりだから……」

 黒猫にそっくりなのか。全員が黒猫に視線を移すと春菜が庇うように抱き上げる。黒猫は春菜の腕の中に顔を隠した。
 刃は咳払いをして注目を自身に戻させる。

「今、その知り合いを標的にした殺し屋と殺人鬼が魔界にいるんだよ」
「顔が似ているから気を付けろということですか?」
「おう。護衛に最上位騎士様をつけたのはそのためでもあるんだろうな」

 間違って殺されないように。

「ふぅ〜ん。殺し屋と殺人鬼か〜」

 エメはとても愉しそうに笑った。近くにいたリネが怯えてしまっている。エメの優れた戦闘能力は評価できるが、如何せん、好戦的すぎる。なるべく殺し屋と殺人鬼のことは穏便に済ませたい。むしろ関わりたくないとラルドは思った。

「その知り合いは魔界にいるのかな?」

 竜央の問い掛けに刃は隻眼を泳がせ「え、あー」と言葉を迷わせながら結局「知らね」と返した。煮え切らない答えだったが竜央は「そう……」と何故か残念そうだ。刃の知り合いは竜央の標的でもあるのかもしれない。

「んじゃ、魔界行きの船まで案内するから付いてこい」

 言うや否や背を向けて歩き出す刃に、ぞろぞろと付いていく。

  ■ ■ ■ 

 乗船手続きを済ませ、一行は船に乗り込んだ。部屋割りで少し揉めたけど問題なく出航できた。
 みんなが寝静まった甲板でメイファは海を眺めていた。車で寝ていたせいか、中々寝付けなくてこっそり部屋を出てきたのだ。

「風邪引くよ〜」
「エメくん!」
「は〜い、エメちゃんだよ〜」

 ふあ、と可愛らしいあくびをしながらエメは毛布をメイファの肩に掛けてくれた。
 晩夏の夜、海の上だからか、少し冷える。メイファは「ありがと」と微笑んだ。頭から毛布を被りながら座ったエメも「どういたしまして」と微笑み返す。

「エメくんは魔界に行ったことあるの?」
「ん〜、任務で何度か行ってるよ」
「そっかぁ。……ラウはなんで魔界に行ったのかな」

 魔界に何があるのかな。異世界人がいるのかもしれない。危険なことと関係があるのかな。
 ぼんやりと浮かぶ疑問。考えたところでわかるわけがないのに気になってしまう。

「そんなの知らないよ。本人に聞けばいいじゃん」
「ラウに?」
「そう。なにしてんすか〜? って。なんならボクが聞いてあげようか?」

 事も無げに言うエメが頼もしい。メイファは嬉しくなって「ふふ」と声を出して笑った。

「そうだね! ありがとう、エメくん!」
「会えるかわかんないけどね〜」
「えー!」

 魔界はどんなところなんだろうか。もしラウがいて、会うことが出来たら、ちゃんと話せるかな。話せたらいいな。

  
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