29日目 今朝も魅麗は現れなかった。薬園にも行かなくていいと言われてしまい、美雨は資料室で植物図鑑を広げていた。 何気なく窓の外を見る。相変わらず紫の雲が日光を遮断しているけれど、雨は降っていない。時雨は帰ったようだ。 「なに読んでんの?」 「!!!」 「植物?」 いきなり声をかけられた驚きで美雨は椅子から転げ落ちそうになる。それをさりげなく阻止したのは久遠だった。いつの間に現れたのか。心臓に悪い。 彼は薄い笑みを浮かべたまま、美雨の正面の席に座った。そして何故か植物図鑑を読んでいる。 「白雪は一緒じゃないの?」 「んー? ……薬園作業じゃないかなー」 「えっ!? わたしは?」 薬園の作業自体が休みなのだと思っていたら、白雪は薬園で作業をしているらしい。ミケもいるのだろうか。 「紫陽花って土によって色を変えるんだって」 「は? あ、うん」 急にどうしたのだろうか。 久遠は植物図鑑を閉じて「さて」と手を叩く。浮かべた笑顔は可愛らしいいつもの薄ら笑いである。 「帰ろっか」 「…………どこに?」 「今日、魔界の魔王城で一泊して、明日、異世界人返却施設に行こう」 「……」 だから薬園には行かなくていいと言われたのか、と納得した。でも、美雨には気がかりなことがあった。このまま何も知らずに帰るわけにはいかない。 美雨は久遠を真っ直ぐに見据える。 「魅麗ちゃんはどこ? どうして姿を見せないの?」 「知らないよ。嫌われてるからじゃないの?」 グッサリと心を抉ってきた久遠の言葉に何も返すことができない。魅麗は異世界人をよく思っていないから、今更になって避け出したという可能性もある。すごく今更だけど、魅麗の中では未だに解決していないのかもしれない。なんだか悲しくなってきた。 ふと久遠を見ると、じっと美雨を見ていた。なんで? 「前に言ったよね。誘拐が流行ってるって」 「……わたしが早起きした日?」 「は? いや、早起きは知らないけど。冥界では珍しくないんだよ」 失踪事件なんて。 つまり、魅麗は誘拐されたかもしれないということだろうか。 あの日、彼らは助けを請う妖怪たちに諦めろと言っていた。魔界には干渉できないから助けることは出来ない。 美雨はこのまま帰っていいのだろうか。 「……残る?」 「え」 「そしたら足は不自由しないよ。まぁ、冥界限定だけど」 カダの恩恵を受けられるのは冥界の中だけ。一歩でも冥界から出れば、美雨の足は動かなくなる。この世界に残る選択をしたら、きっと今以上に迷惑をかけることになる。冥界は人間がいていい場所じゃない。ましてや異世界人なんて場違いすぎる。 「帰る。……けど、魅麗ちゃんは助けたい」 「ふーん。じゃあ、行こうか」 席を立った久遠は資料室を出ていこうとする。置いてくよー、と言う彼に美雨は図鑑を片付けてから慌てて追いかけた。 魅麗は助けてくれるのだろうか。 * * * 部屋で制服に着替えた美雨は、部屋を見回す。忘れ物はないだろうか。お祭りの時に灰流にとってもらった景品たちも、明からもらった如月愛歌のCDも、ちゃんと通学鞄の中に入れた。もう一度、確認をしてから美雨は1ヶ月暮らしていた部屋を出る。 「忘れ物はありませんかー?」 「大丈夫!」 部屋の外で待っていた久遠の言葉に力強く頷いて答えた。 次に訪れたのは謁見の間。冥王である由良に挨拶をしにきたのだ。 「短い間でしたが、お世話になりました」 「うむ」 「由良、こういうのに慣れてないから何を言ったらいいのかわかんないんだよ」 「聞こえておるぞ」 久遠が耳打ちで教えてくれたことに驚いていると、由良が低い声で咎めるような台詞を言うので、思わず由良の顔を見上げる。由良は怒った表情ではなく、呆れたような顔をしていた。あまり関わる機会がなかったけれど、思っていたよりも怖い方ではないのかもしれない。 「達者で暮らせ」 「はい、冥王様もお元気で!」 「じゃあね、由良!」 ばいばいと手を振る久遠。あなたもお別れなんですか。由良も呆れたような困ったような表情で細やかに手を振り返していた。 謁見の間をあとにして、今度は薬園に挨拶をしに来た。いちばんお世話になった場所である。今日はカダもここにいるらしい。 「美雨ちゃん!」 「さくらちゃん!?」 カダだけではなかった。つなぎ姿のさくらと紅蓮もいた。作業を手伝っていたのだろう。 そんなさくらが紅蓮を引き連れて美雨に突撃をしてきて、後ろに倒れそうになったのを久遠にさりげなく阻止された。本日二度目である。申し訳ない。 「若いのぅ」 「元気やなぁ」 「ガキねぇ」 それを眺めていたカダ、ミケ、白雪。 由良にはすんなりと言えた挨拶が何故かここにきて、いや、ここだからだろうか、言えなかった。それどころか涙が溢れてしまいそうだ。言葉に詰まって俯く美雨に白雪はでこぴんをかます。 「しっかりしなさいよ」 「せやで。死別やないんやし」 「この中でいちばん早く死ぬのはわしかのぅ」 「じじい黙れ」 「お、おれさまが冥王になるまで誰もしなさないからな、だから泣くなよ!」 「そうです! 私もまだまだ生きますから!!」 世界は違うけれど、それぞれ生きているから心配することはないと彼らは励ましてくれている。もう二度と会えないだろうけど。 「ありがとう、ほんとにみんな、お世話になりましたっ!」 美雨の言葉にさくらと紅蓮が泣き出し、白雪は涙ぐんでいた。 ずっと見ているだけだった久遠が白雪の頭を撫でながら「お幸せに」と柔らかく微笑んだ。「後悔させて差し上げますわ」と白雪は泣きながらも強気に返した。 「あ、久遠さんもお別れやったっけ?」 「そうじゃった。忘れておった」 「そうだよ。じゃあな、みなさんお元気でー」 泣きじゃくるさくらと紅蓮と一緒になって泣いていた美雨を「ほら、泣き虫、次行くぞー」と久遠は容赦なく連行していった。 薬園を出て、城門に向かう道すがら。 「久遠さんは挨拶しなくていいの?」 「え、してるじゃん」 「……えっ? あれが?」 人のことを言えるほど美雨も挨拶が出来てはいないのだけど、久遠は軽すぎると思う。じっと久遠を見上げていると、へらりと笑って「泣き顔ぶっさいくー」などとふざけてくるので美雨は躊躇いなく彼の薄い背中を叩いた。 * * * 城門には馬車が待機していて、中には明がいた。この馬車で魔王城まで行くらしい。 初めて乗る馬車に揺られながら、まだ会えていない妖怪のことを想う。忙しいのかな。 揺れが止まる。着いたのかと思ったけれど、窓の外には紫の雲が見えている。まだ冥界だった。不思議に思って明と久遠を見る。 「悔いのないようにいってらっしゃい」 「お待ちかねの保護者様だぜー」 聞き覚えのあるノックの音。扉を開けると、そこは初めて会った場所。彼が手を差し伸べてくれたので手をとって馬車を降りた。 手を引かれて、まだ何もない花壇の前まで来た。ここに植える花を伝えなければならない。美雨を思い出してもらえるように、忘れないでいてもらえるように、少しでも彼の心に残るように。 「灰流さん」 「決まったのか?」 「うん……。あじさいがいい」 どうか、どうか、夏が来る度に思い出して。 「紫陽花か、わかった」 「うん。何色が咲くかな?」 「どうせなら薄い色から濃い色まで揃えてみたいな」 発注できるだろうか、と灰流は真剣に悩んでいる。わかりづらいけど優しい妖怪。耳が可愛い狐の妖怪。きっと白雪を幸せにしてくれる妖怪。好きだけど、伝えられない。 「今までありがとう。わたし、冥界が好きだよ。来られてよかったって思ってる。みんなと出会えて、1ヶ月も暮らせて幸せでした!」 「……こちらこそ、ありがとう。美雨がいたこの一ヶ月は賑やかで楽しかった」 二人でありがとうと笑いあってさよならをした。 * * * いつの間にか眠っていたようで、久遠に起こされて気が付いた。魔王城に着いていた。魔界の景色、一切、見てなかった。しかも既に足が動かせないから車椅子移動である。もう馬車から降りてる。混乱する美雨を余所に久遠は車椅子を押していく。 「今から魔王に会うからよだれは拭いといてね」 「!!?」 慌てて口元を隠した美雨に彼は「冗談だよ」と笑う。なんなんだこの人。 扉の前に立っていた明が二人に気付いて扉を開けてくれた。あの部屋の中に魔王がいるのだろうか。 「初めまして。魔王の樋口リュウ、よろしく」 「東雲美雨です。よ、よろしくお願いします」 真っ赤な髪。優しそうな面持ちで、全然魔王らしくない。魔王らしい人がどんな人なのかはわからないけど、こんなんじゃないと思う。 「緊張する必要ないよ、リュウだし」 「そうね、魔王様だものね」 「どういう意味!?」 なんだろう。精神的ヒエラルキーがわかった気がする。 |