27日目 昨日の昼から降り続いている雨はやみそうにない。強まることもなく、風も弱いので傘をさせば濡れないだろう。だけど、湿気はある。美雨は湿気のせいで膨らんだ髪を押さえつけて唸っていた。これだから雨は嫌い。 「そこの女」 廊下を歩いていたら後ろから声が聞こえた。まあ、美雨のことではないだろうと歩を止めずにいると、腕を引っ張られる。 「おい」 「えっ」 「このオレが話しかけているというのに無視とは何様だ」 腕を掴んでいるのは水も滴るなんとやら……美男でした。 なんだかすごくめんどくさそうな妖怪に引っ掛かってしまった。 「ん? オマエ、人間か? 何故ここにいる? 迷子か?」 「いや、あの――」 「ふふん。心配するな、なんといってもオレがついているからな!」 「は、はぁ……」 「しかし人間ってどこに住んでるんだ?」 悪い妖怪ではないみたいだけど、誰なんだろう。初めて見た。 じっと眺めていると彼も美雨を見て「なんだオレに惚れたか? いや、大丈夫だ。この美貌に惚れない方がおかしい。だが残念ながらオレには婚約者がいるのだ。本当に申し訳ない」などと言い出した。どうしよう。返す言葉もなく黙っていると「芽を出したばかりの恋を摘んでしまうのは忍びないが、どうか諦めておくれ」と美雨の手を取り微笑む。喋らなければきれいなのにとても残念だ。 「名前を聞いてもいいか? おっと、失礼。オレは時雨。気軽に時雨様と呼んでくれて構わない」 「美雨です。東雲美雨」 「美雨……雨の中で輝きそうな美しい名前だ。すばらしい」 「あ、ありがとうございます」 褒めながらも『オレの名前の方が美しいけれど』などと思っているんじゃないだろうか。 どうやって切り抜けようかと困っていると、十字路を通過する久遠が見えた。美雨は慌てて「久遠さん!」と呼び止める。なにか束になった紙を見ていた久遠が顔を上げて美雨と時雨を見るとにっこりと笑った。 「なんだ、久遠の女だったのか」 「!? 違います!」 「お久しぶりです、時雨様」 およそ久遠には似つかわしくない敬語に美雨は寒気を感じた。あの由良にすら敬語を使わない久遠が時雨には敬語を使ったのだ。でも言い方にトゲがある気がする。 呼び止めない方がよかったかな。 「白雪は捕まりましたか?」 「それが、恥ずかしがっているようで姿を見せないのだ。照れ屋なところも可愛いのだがな!」 「そうですね」 「せっかくオレから会いに来てやったというのに……ん? オマエ、顔色が悪くないか?」 「そうですか? 貴方がご自身のこと以外に気を配るなんて珍しいですね」 「体調管理はしっかりしろよ。では、オレは愛しの白雪を探してくるから美雨は任せた!」 時雨はぽんっと久遠の肩を叩いて颯爽と優雅に立ち去っていった。通り雨みたいな妖怪だった。 ふぅ、と息を吐いた久遠はまた紙を見下ろして歩き出そうとしたので美雨は腕を掴んで阻止した。それに久遠は驚いていた。美雨の存在を忘れていたらしい。忙しいのかな。 「あ、ごめん。あいつとなにしてたの?」 「えっ? 話しかけられたんだけど……何だったんだろう?」 美雨が首を傾げると、久遠も首を傾げた。 「白雪の居場所を聞こうとしたんじゃね?」 「? なんで白雪? 時雨様は白雪のなに?」 婚約者がいるとか言っていたのに『愛しの白雪』とか言っていたし、浮気者なのかもしれない。美雨が眉間に皺を寄せて考えていると、久遠に人差し指で皺を弾かれた。地味に痛い。 「白雪の自称婚約者」 「は? え、でも、白雪は――」 久遠さんのことが好きなのに、と言いそうになって口を噤んだ。 ふと、考えてしまった。久遠は時雨のことをどう思っているのだろう。それ以前に白雪のことはどうなのだろうか。飄々としていて掴み所のない猫みたいなこの人に直接聞いてみてもはぐらかされる気がする。でも、気になるし、聞いてみたい。美雨が顔を上げると、鍵を渡された。 「??」 「白雪は俺の部屋にいるから。さくらでも魅麗でも拾って遊びに行ったげて」 「う、うん」 渡されたのは久遠の部屋の鍵だった。鍵、かけてるのか。 一人で暇をしているであろう白雪のためにさくらと魅麗を拾うにしてもあの子たちがどこにいるのかわからない。美雨だけでもいいかな。 「じゃ、よろしくー」 「あ、あの! 久遠さんは白雪のこと、どう思ってるの!?」 またしても手元の紙に視線を戻して歩き出そうとしていた久遠を阻止した。忙しいのに申し訳ない。 久遠は美雨の質問にきょとんとしたあとふんわり微笑んだ。 「どうだろうね? 俺がどう思っても白雪には応えられないから『好き』とは言えないな」 「それって……」 人間と妖怪だから? もし、もしも同じ人間同士だったならば、彼の答えは変わっていたのだろうか。 * * * 偶然にも久遠に言われた通りにさくらと魅麗を拾えたので、三人で白雪のいる久遠の部屋に向かった。 一応、ノックをしてから鍵を開けた。久遠の部屋に入るのはこれが二度目だ。一度目は白雪を初めて見て驚いてすぐに帰ってしまったけれど、以前のような寒さを感じない。それどころか白雪が現れない。 「白雪ー?」 不思議に思って部屋の奥まで進むと、足の踏み場もない程に紙が散らばっていて、その中心に白雪が座り込んでいた。 足元に散らばる紙が大事な資料だったら困るので美雨は動けない。なので白雪を呼ぼうとすると、その前にさくらが軽快な足取りで上手く紙を避けて白雪の傍まで辿り着く。流石。 「どうしたんですか?」 「……あら、ごめんなさい。資料の山を崩してしまったの」 「そうなんですか? 手伝います!」 さくらの心配そうな声に反応を示した白雪ははっとしたように散らばる紙を集め出した。 美雨と魅麗も手伝って、随分と厚くなった紙束を部屋の隅に置いておいた。 「助かったわ。ありがとう」 「久遠さん、忙しそうだね」 「……そうね」 魅麗はお茶を淹れにキッチンに向かい、さくらは久遠の部屋が珍しいのか物色している。 白雪と美雨は大人しくソファに座っていた。 明らかに白雪の元気がないのだけれど、美雨はどうしたらいいのかわからない。 「ねぇ、美雨」 「うん?」 「久遠様を恨まないでね」 「え?」 こちらを見ずに俯いて言われた言葉がよくわからなかった。恨む? なんで? すっと顔を上げた白雪は綺麗な微笑みを浮かべていた。 「わたくしがあの方を恨むのだから、あなたは恨んではだめよ」 「??」 どういうこと? 詳しく聞こうとすると、ちょうど魅麗がキッチンから戻ってきたので、聞けなくなってしまった。 「三毛猫とは変わらず仲良くやっているの?」 「ふぇ!? い、いきなりどうしたんですか?」 「恋バナってやつですか? 私も混ぜてくださーい!」 白雪の何気ない問いに魅麗は顔を真っ赤に染めていた。お熱いようです。 * * * 時間を気にせずにはしゃいでいたせいか、いつの間にか眠ってしまっていた。部屋は真っ暗で、起き上がると誰かが掛けてくれたらしいブランケットがずり落ちる。 「起きた? 消灯時間過ぎてるけど部屋に戻る?」 「…………」 「聞いてる?」 「うん」 久遠と白雪が見える。久遠は壁に背を預けて座っていて、白雪は彼の肩に頭を傾けて眠っていた。魅麗とさくらはいない。 「魅麗はミケが迎えに来て、さくらはベッドで寝てるよ」 美雨がキョロキョロと周りを見ていたのに気付いて教えてくれた。眠る白雪を気遣ってなのか小声だった。 「少しだけお話しする?」 「おはなし?」 「そ、白雪のこと」 久遠が優しい笑みを見せる。やっぱり白雪のことは特別に思っているんじゃないのかな。美雨は寝惚けた頭でそんなことを思った。 |