赤く腫れた目が澱む
鏡の中の私はあからさまに溜息を吐いた
それでも、行かなくちゃいけない





マスルールと過ごす1週間「土曜日」





黙々と仕事を続ける私に投げかけられるのは事務的な会話だけ
皆の優しさが有難く、同時に酷く自分を落ち込ませた
公私混同はしない主義だったのに、周囲に気遣わせるほどに鬱々としているのか

次第にペンが紙面をひっかく音だけが耳に届くようになった
本当に正しいのかすら分からない文字を書き続ける
それを打ち破ったのは、扉の壊れる音だった

「セレーナ!!」

きゃあきゃあと歓喜の声をあげてヤムライハが私に抱きつく
不意打ちもいいところで、当然私は受け止めきれず椅子ごと床に倒れた
派手な音と一緒に書類やらインクやらが舞って…

「きゃああああああ書類!セーフ!良かったぁ…」

即行でヤムライハを引き剥がして書類を集める
袖がインクで汚れたけど、幸い大切な物には何一つかかってなかった
安心して机に書類を非難させ零れたインクを拭く

「それどころじゃないのセレーナ!マスルールくんが戻ったのよ!」
「えっ、…ああ、おめでとう」

ぎこちない笑み
喜ばしいけど、もう遅いと心中で悪態を吐いた

ううん、わかってる
別にヤムライハの所為なんかじゃない
私が…私とマスルールの間の問題であり、我慢し切れなかった自分の所為
あの夜マスルールは私の部屋に訪れることもなく、私もまた、彼の部屋に行くことはなかった

造り上げる難しさに比べて壊すことはなんて容易いんだろう

「さぁ見に行きましょう!」
「いやっ私は……見に行く?」
「戻る魔法道具を考えて付けてきたのよ。きっと今頃元に戻っているはずだわ!」

それはちょっとフライングすぎない?
疑問符を浮かべている間に引っ張られていき、着いた先は王がいる謁見の間
まるで今の心中のように重たい扉をゆっくりと開いた

「失礼しま…「セレーナさ、んっ!」

ぼふっとお腹と足に衝撃が走る
痛いってほどじゃないけど、結構強かったから思わずよろけた
何とか踏みとどまって視線を下に向けると、そこには赤い髪の、ちっさい…マスルール、だ

「えー…っと…どこがどう元に戻ったのかしら?ヤム」
「あら?おかしいわね…」
「こら、マスルール。いつまでくっついているんだ」

ぎゅうっと私の下腹部に引っ付くマスルールの首根っこを王が持ち上げた
ピスティよりもまだ小さいくらい
吊り上げられて私と同じ目線になった彼は、いやいやと首を横に振った

「シンさん、おろしてっください…!」
「おっ、俺に抵抗するの、かっだ!いたっこら手加減かんがえっあだだ分かった離すから!」

小さいとはいえファナリスの力は偉大でした
容赦なく蹴りだの握り攻撃だの加えてくるから、王も離さざるを得ない
解放された途端、また私にぴったりくっついてくる

「おれゴハン食べたいです」

じいっと私を見上げてそう言う
やだ、どうしよう。…可愛い
恐る恐る手を伸ばして頭を撫でると、気持ち良さそうに掌に頭を摺り寄せてきた


私の中で何かが崩壊した


「やぁん可愛いいいい!!ぎゅっぎゅしたいすりすりしたいちゅっちゅしたい!!」
「っ、わ」
「ご飯何が食べたい?何でも買ってあげるー!!」
「…いいのかセレーナ、それで…」

ぎゅーってすると、ぎゅーって返してくれる
すりすりすると照れながらまたぎゅーって返してくれる
頬にキスをすれば、おどおどしながらも頬にキスを返してくれる

「ちっちゃい頃ってこんなに可愛らしかったんですね!」
「いや…アイツは昔から今みたいだったから、恐らく前の魔法道具の名残だろう…」
「あっ」

そっか、そうだよね
これも造られた…偽者のマスルール
詳しくは教えてくれないけど、彼の過去が明るい物ではなかったことぐらい知ってる
腕の力を緩めると不思議そうにマスルールが覗き込んできた

「どうしたんスか…?」

おっきい紅い瞳が私を捉える
瞬きをいつしているのか分からないぐらい真っ直ぐにじっと
こてん、と首が微かに傾いた

「何もないの。それよりごは…、」
「ダメですよ!ほかの者がこんらんしますからね!」

ぷんすか。なんて効果音がぴったりの小さいジャーファルさんが仁王立ちしてた
背丈はマスルールと同じくらい
クーフィーヤとか官服は大きすぎて着れなかったのだろう
見かけないブラウスとズボン姿でそこに居た

「ヤムライハ!あなたのまほうも少しかんがえものですね」
「すっすみませんジャーファルさん!」
「はっはっは、ヤムライハは悪くないぞ。ジャーファル、お前がマスルールを甘やかしたのが原因だろう」
「うっ」

ジャーファルさんが言葉に詰まる
どういうことか尋ねると、今日のマスルールはだだっこ属性だったらしい
起きてきた時には当然大きい姿のまま
それでもヤムライハが持ってきた魔法道具を付けるのを嫌がって、3人に散々説得され付けさせられた

此処でヤムライハは私を呼びに行ったのだが
その間やっぱり駄々を捏ねるマスルールにジャーファルさんが負けたらしい
1人は嫌だ、怖い、としょげ返る彼に昔を思い出したジャーファルさんは、では一緒に。なんて言ってやってみたらこの様である

「失敗さえしなければよいのです!」
「はい…」
「つぎからはきちんとかんがえてためしてからですよ!」
「ジャーファルさん、お説教終わりました?」
「?なんですかセレーナ…!?」
「ああん!ちっちゃいジャーファルさんも可愛い!やーん!!」

お説教途中だった気もするけど気にしない!
がばっと抱き締めて頬擦りすれば、嫌そうな顔が横目に見えた
そんな顔すら可愛く見えるなんて素敵

「わたしは中身そのままなのですよ!」
「存じ上げてます。でも可愛いモノは仕方ありません。ご飯一緒に食べましょうよ」
「さきほど食べました。まったくアナタってひとは…」

おっとお説教が私に飛んできた
慌てて降ろしてそろそろと距離を取る
ぐいっと服の裾を引っ張られて何事かと思いきや、マスルールが頬を膨らまして此方を見てた
…そのほっぺ人差し指でつっつきたい

「ゴハン…」
「うんうん食べに行こうねーっ」
「こら途中ですよ!」

気付かれた!けどマスルールの手を取って急いで逃げたら追っかけては来なかった
小さいから来れないのか、それとも自分が外に出て姿を見られるのが嫌なのか
何はともあれ2人で手を繋いで食堂へ行く
流石にこの格好を見せるのは憚られたので、中庭の人目に付かないところでマスルールを待たせた

パンに具材を挟んだ物を差し出すと、マスルールは中身を確認しだした
そしてずるっとキミトマトを引きずり出す

「嫌いだったっけ…?」

私の知る限り好む食べ物はあっても嫌いな食べ物は無かった気がする
食べれる物何でも食べてしまうというか
首を傾げるとマスルールはこくりと頷いた

「でも食べなきゃダメよ」
「やだ」
「せっかく作ってくれたんだから、ほら」

引きずり出されたそれを無理矢理口許に運ぶ
ぶんぶん頭を振って断固として食べそうにない
可愛いけど、可愛いけど!でも好き嫌いはダメだと言い聞かせて押し付けあっていたら、とうとうマスルールが駄々を捏ね始めた

「たべたく、ない…」
「大きくなれないじゃない」
「…セレーナさんがたべたらいい」

今人の胸元を見て言ったのは許してやろう
だからさっさと口を開きなさい

「強くなれないでしょ」
「もう強い…です」

むすっと頬を膨らませた
小さな掌に込められた力が、既に私を上回っていることぐらい知ってる
急にぽっかりと寂しさが胸に穴を作った

「いいから、」
「っ、やだ」
「食べなさい」
「――っセレーナさんなんてっ」


バシ!


乾いた音が青天に響く
叩かれた右手に痛みが湧き出た

じんじんじんじんじくじくじんじん、じわり

私は無言で立ち上がる
殆ど食べなかった昼食には申し訳ないと思いつつ踵を返す
翻る裾をマスルールが掴んだ

「…離して」
「い、やだっ」

自分でも驚くほど冷たい声だった
対照的にマスルールの声は震えていて、それでも良心が痛む気配は無かった
緩慢な動きで振り返ると引き千切るほどの強さで掴む手が見えた

「もう一度言うよ。離して」
「いやだ!はなしたら、どこかに行くから…!」
「…貴方がそれを言うの…?」

太陽に反射して落ちた涙が、マスルールの顔に当たる
必死に私にしがみ付いていた彼が見上げる
滲んで見えない世界で、紅が大きく広がった気がした

「駄々を捏ねたら何でも通じると思わないで!どうして私の我儘はきいてもらえないのに、貴方の我儘ばかりきかなくちゃいけないの!?愛が一方的に与えられる物だなんて、私は、私は……!!」

雲ひとつ無い青空に澄み渡る私の叫び
野次馬の容赦ない視線の中、腕の力がふと弱まった
これ以上紅を見たくなくて
駆け出した私の世界には真っ暗闇が待っていた





鐘が鳴り響く。遠く向こうのお話
そう思えたらどれだけ良かっただろう
重たい身体を起き上がらせて窓の外に目をやる
無断早退…か、と自嘲する

重要な仕事は済ませてある
問題があるとするならば飛込みでくる案件に対応できないぐらい
でもそれも他の同僚が何とかしてくれているはず
ごろり、とまたベッドに転がった

何もしたくない
何も考えたくない

気分と一緒に再度眠りに落ちようとした私の耳に、扉の開く音が聞こえた
誰。と尋ねるも返事は無く、ぺたぺたと近寄ってくる足音が酷く不快にさせた

「なに」

敢えてゆっくりと、それでいて突き放すように喋る
肩が大きく揺れて明らか狼狽していた
だけどすぐに止んで日の当たる場所まで来る
夕陽が紅をより一層光らせていて、気分は最悪になった

「もう帰って」
「……」

マスルールは首を横に振る
その行動を可愛いと思える元気はなく、頭痛と眩暈が引き起こされた
顔を上げるのも億劫で枕に半分埋める

「ごめん、なさい…」

弱々しく呟かれた
ずきずきと頭と胸が痛む
分かっている。八つ当たりだってこと
こんなことしたって何の得にもならない。むしろ損にしかならないぐらい理解している
痛みの音が煩くて下唇を強く噛む

「おれを…置いてかないで、ください」

ギシ、とベッドが軋む
いつの間にか乗り上がっていたマスルールが、私の片手を小さな掌2つでぎゅっと握っていた

「…貴方が置いていくの。私を、置いて遠くへ」

強く噛んでいたはずの唇から漏れ出した言葉は、終わると同時にだらしなく瞳から涙を誘った
この小さな手がいつしか大きくなり
その掌に守るモノが増えて捨てることができなくなって
もう乗せきれないから私は1人お留守番

「大きいおれのことキライですか」
「え…」

握る掌は少し震えていた
紅い瞳は伏せられて、言い終えた唇は真一文字に結ばれる
震える手が私のそれを持ち上げて、育ちきっていない唇が甲に寄せられた
たどたどしいキスはまるで忠誠を誓うようで

「どのおれだったら、セレーナさんを幸せにできますか」

思わず顔を上げて目を見開く
今までの日々のことを、知っているかのような口振り
誰かに聞いたのだろうか。それにしては妙に落ち着き払っていた

「シンさんは…王サマで、おれはシンさんと国をまもります。でも、おれはただのファナリスで、…力しかないからこわすことも、あるかもしれないけど」

ぽたりとシーツに落ちた涙はとても綺麗だった
握られている手をぐっと引っ張れば、体勢を崩したマスルールが私の腕の中に納まった
体温がとても心地良くて、あらん限りの力でぎゅうっと抱き締める

「貴方が大きくなってもそう思っているなら、1度だけで良いから言って。私の我儘、きいてくれる?」
「セレーナさんが、どこにもいかないなら…!」

頷くマスルールの頭を撫でた
それだと貴方も我儘言ってるじゃない
手放すまいと必死に抱き締めてくる小さな身体にそれを告げることはできず、やっぱり私は甘いのだと、どこか満たされながら眠りに就いた





→Next Sunday!!





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