愛し合って溶け合って、1つになれたら死んでもいい
自分勝手な我儘をぶつけあって抱き締めて、最後にはまた飲み込んで
幸せな夢は目覚めと共に消え去った





マスルールと過ごす1週間「金曜日」





「んー…」

起き上がって背伸びをする
隣の布団はまだ盛り上がっていて起きそうにない
そっとベッドを抜け出し着替えて扉を閉めた
どうせマスルールは戻るまで仕事がないんだから、もう無理に起こすのはやめた

それは私のちょっとした現実逃避でもあった


『私だけを見て。私だけを愛して。それ以外何も要らない』


思い返せばなんて恥ずかしいことを昨日は言ったんだろう
腕の中でそう縋る私を、彼は心底嬉しそうな顔で応えてくれた
けどそれはもう言ってはいけない

あれを受け入れてくれたのは、良くも悪くもマスルールがマスルールじゃないからだ
王に忠誠を誓って彼のために国のために自分を犠牲にして、そうして過ごしてきたマスルールに、そんな台詞言った所で困らせてしまうだけ

わかっているから押し殺してきた感情を
あっさり解き放たれて応じてもらえた喜びを
それはやっぱり夢だったのと、まだ思いたくはなかった

「おはようございます」

白羊塔へ向かえばジャーファルさんが既に仕事を始めていた
そういえば昨日の手紙私読んでない
あと、もしかして無断欠勤なんてことになってたり、して

「お早う御座います。無理はしないように」
「え…は、はい。有難うございます」

お咎めはなかった
拍子抜けして自分の席を見る
こんもりと、そりゃもう山脈のように書類が溜まっている
血の気が引いたのがわかった

「ちなみに1番上にある物は本日11時締めですから」
「ひいいい!!今すぐやります!!」

前言撤回。やはり鬼でした。実はお咎めあったわ
続々とやってくる同僚に挨拶も碌にしないまま仕事を急ピッチで進める
幸いにも締切が近い物順になっているから、並び替えることなくひいひい言いながらもやっていく
午後2時を過ぎてようやく山脈が1つ消えた

「お疲れ。他のは締め今日じゃないから大丈夫よ」
「ありがと…」

タイミングを見計らって同僚がお茶をくれた
とはいえ、明日明後日が締めの物がまだ残っている
突如王の我儘が入ってくる可能性も捨てきれない
まだまだ油断はできなかった

「昨日休むんじゃなかった…」
「来たって仕事させてもらえないと思うけど」
「?どうして」
「だって昨日はマスルール様が直々に休みにしろって言いに来てたもん」

私が寝ている間に此処に来て
その時ジャーファルさんはいなかったから他の役職持ち文官に詰め寄り
物凄い威圧感で私の休みをもぎ取っていったのだという

「断れば殺しそうな感じだった」
「ごめん。本当にごめん」
「ちなみに脅された人は本日お休み」
「あとでお見舞い行く」

平謝りしたい気分だ
普段のマスルールでも威圧感凄いのに、あの俺様性格状態で詰め寄られたらそれはもう…
小さく溜息をついて次の書類に手を伸ばした

「あ、噂をすれば」

つられて扉に目を向ける
マスルールが寝間着姿のまま立っていた
恐る恐る、といった様子で私のもとに近寄ってくる
同僚が気を利かせて席を譲り行ってしまった

「おはよう」
「おっ、おはようございます」

最初に挨拶したのが私。答えたのがマスルール
頬をほんのり赤らめてどもりつつもはにかんだ
ちくり、と痛みが走る

「ほらそんな格好で出てきちゃダメでしょ?」
「すみません…あの、俺、」
「ジャーファルさんに怒られるよ」

何か言いたそうな顔をして
でも私の言葉を聞いて口を噤んだ
怒られるのが嫌なのか、何かを悟ったのか
着替えに戻ると言って暫くするといつもの鎧を身にまとって帰ってきた
見た目だけなら屈強なのに、中身は小心者のようで

「俺も手伝います」
「え、いいよ。分からないでしょう?」
「……はい」

しゅん、と項垂れた
押しがそんなに強くない
そのまま仕事を始めると、大人しく彼は近くのソファーに座った

「セレーナさん悪いんだけど!」
「はい!今行きます!」

昼休憩を終えた文官達がわっと押し寄せてくる
以前ジャーファルさんに言われた通り、私の仕事は他の人に回しにくい
このシンドリアに住む全ての国民の戸籍保持
日々増え続ける人達に対して住まいや所得、仕事内容、家族構成に出身地、罪状があればそれらも含めて調べ纏め、全部覚えて対応する

人の顔までひっくるめて覚えなきゃいけないから、これができるのは私と他数人だけ
加えて王宮内の人間が不正を働いていないかも秘密裏に調査している
やりがいはある。但し、忙しさは比にならない

「以前補助金を渡した人が受け取っていないと…」
「わかりました、対応します。受給調査票と補助金説明書をお願いします」
「ごめん!それ終わったらこっちもお願い!盗み云々が拗れてきた!」
「了解!30分はどうにか暴力沙汰にならないようもたせて!」

デスクワークだけが文官の仕事じゃない
次から次へと雪崩れ込む対人関係に一息つけたのは夜9時だった

「…お疲れ様、です」

机に片頬をつけてうつ伏せる私にカップが差し出される
政務室にある物じゃない、私がマスルールの部屋に置いてある大好きなお茶の香り
蒸らしすぎたのか少し匂いが飛んでいるけど癒される

「ありがとう」

起き上がって一口含む
ふと隣を見れば酷く哀しそうな顔

「どうしたの…?」
「あ……俺、何もできなくて…」

忙しくて忘れてた
私が仕事していた間、ずっと近くで見ていたのだろうか
でも今日はお願いしようにも運ぶ物はなかったし、同僚ですら頼めないことをマスルールに頼むなんて土台無理な話
別に彼が気にすることじゃない。普段はこうして1人でしてるわけだし

「気持ちだけで充分嬉しいよ」

そう言うと少しだけ表情が明るくなった
と思いきやまたすぐに沈む
沈黙に耐え切れず、私はわざと音を立ててお茶を飲んだ
思っていたより残っていなかったのですぐに無くなって、マスルールは一瞬躊躇った後、おかわりを淹れてくると行って給湯室へ消えた

「あれ灯りがあると思いきや」
「あっお疲れ様ですー」

ぼーっと天井を見上げ待っていると、同じように仕事に追われてた他の文官が政務室に帰ってきた
肩凝った、とか居住区問題が、とか彼は書簡を片付けながら愚痴を溢す
目が疲れて頭が痛いという言葉に私は大いに頷いた

「わかります、目とか肩が凝ると頭も一緒に痛くなる」
「単体なら耐えれるが合わさるとなぁ…」
「苛々も引き起こしますよね!あ、薬飲みますか?」
「是非いただきたい」

ヤムお手製の薬だからかなり効果がある
見るからに彼はしんどそうだったので、それを分けてあげた

「お礼に今度飲みに行かない?奢るよ」
「え?いやいやそんな」

人から貰った物だから私にお礼するのはお門違いだ
しかし薬を飲んで気分が軽くなったのか、彼は引き下がらない
カタン、と扉が開く音がした

「あ…」

声を出したのは私だったけど
多分3人とも同じように思ってたはず
昨日のマスルールの態度を知っているのか、文官の顔が僅かに強張った
ところがマスルールは私達からすぐに目を逸らしてお茶に視線を落とし、「もう1つ淹れてきます…」なんて呟き立ち去ろうとする

「ま、ます「マスルール様!!」

思わず呼び止めようとした私を声が遮った
文官が立ち上がり、ぐっと拳を握っている
まるで自分を鼓舞するかのように

「恐れ多くも私、彼女に対して好意を抱いています!ただそれは私だけでなく、他の者も数名おります。今までは貴方様に勝てるはずがないと諦めていましたが、もし此処で引き下がられるならば、それは如何様にしても良いと受け取っても宜しいのでしょうか!?」

静寂の中彼の声だけが強く響き渡る
一言一句聞き漏らさずにいた私は、驚きのあまり瞬きすら忘れて彼を見ていた
10秒ほど経って我に返りマスルールを見る
さっきの私みたいに驚いているだろう。そう思っていた私に飛び込んできたのは、カップが落ちて割れる音と、俯き口許をぎゅっと結んだマスルールの顔

そして、何も言わずに彼は政務室から勢いよく飛び出していった

「待って!」
「セレーナ、さん!」

腕をとられ引き止められる
一刻も早く追いかけなきゃいけないのに
そんな焦りが顔に出て、キッと睨み上げた

「身勝手とは分かってる!マスルール様と別れて俺と付き合ってくれなんて言わない!…ただ、セレーナさんが辛そうな顔をしているのは、俺達だって見たくないんだ…」

彼の口から出た言葉は本心だった
腕の力が緩んで、離される
追いかけなきゃ。マスルールの所に行かなきゃ
わかっているのに身体はその場から動かない

ぽたりと床に落ちた水滴を見た瞬間、私はその場に蹲った



天秤が揺れる

元に戻って欲しいと願う気持ちと
今のままでも構わないじゃないという我儘と

わかっていて付き合い始めたはずなのに
それでもいいと、貴方の傍にいれるならと納得したのは私のはずなのに
微かに溜まっていた不安や不満は、もう私1人じゃどうしようもないくらいに積み重なった

マスルール。たった一言でいいの
私のこと何よりも大事だと言って
本当の貴方に言ってほしい。嘘の貴方に言われても、私には辛いだけ


本当の貴方に言われた嘘より、嘘の貴方に言われた本当の方が辛く苦しく痛いなんて



文官に見送られて部屋に戻る
自室のベッドの上で右手を見つめた

帰るまでずっと繋いだ手
彼は灯りを持って隣に並んで、気を紛らわすためか他愛の無い話を紡いだ
決して大きいとはいえない手に何故か酷く安堵した

この人なら、私を置いていったりなんてしない

そう思った
そう感じた
それが、私の幸せだと

「…っマスルール…」

出て行く彼の後姿が浮かんでは消える
貴方の背中はいつも、私を安心させているように見えて、奈落の底に突き落としている
後ろにいる私に貴方の表情なんて微塵も見えない
前に立ちたいなんて言わない。隣に並びたいなんて言わない。言えない

振り返ってくれるだけでいい
隣に並べないのなら、少しでいいから私を見てほしい

「私達もう、ダメなのかなぁ…!」

枕を抱いて笑って泣いた
必死に口角を吊り上げているはずなのに、涙が止まることはなかった





→Next Saturday!!





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