「止まって」

船内は広くも狭くもない
敵があの男と女だけのはずもない
案の定怪しげな奴がうろうろしているし、虚ろな瞳の人もいる

「どうすれば…」

僕が居た部屋は出入り口から結構離れていた
走った距離から考えて、あと3分の1ぐらいは残っている
捕まれば全て終わり
震えだした彼女の肩に手を置いた

「僕も君も弱いですから、頼りましょうか」
「ですが誰に…?」
「簡単です。少し離れて」

すうっと息を吸い込む
歌うわけではなく、叫ぶために声を発した
それは通常の人間では聞き取れない音の領域

シンドリアにいる人間には誰も届かないだろう
別に人に向かって紡いだわけじゃない

また、船内が大きく揺れた
今度は理由が分かっているから、彼女の手を引いてまた走る
甲板では敵が大量にいたけれど皆海を見て喚いていた

「やっぱりまだ居た…!」

歓喜の声をあげる
前方にはアバレウミガメが船を揺らしていた
驚く彼女に僕は片目を瞑る

「さあ今のうちに」
「どこへ行くんだ君は」

港へ板が下ろされている場には仮面の男が居た
最も今は、その仮面を取り払い素顔を曝け出しているけれど

「帰るんですよ。まあまだ出港してないですけど」
「もう少し賢い子だと思っていたが…まあいい。無力な君に何が出来る?」
「確かに僕は非力ですが、」

脅える彼女を背に前へ進み出る
風がざあっと横を通り過ぎた

「無能ではないですから」

ぎゃあぎゃあと空から鳴き声がする
頼もしい、けどやっぱり僕は君達が苦手だよ
青い空に赤や白の鳥達が群れを成す

その中には大きな鳥の背に乗った彼女の姿もあった

「セレーナ!」
「八人将のピスティ…!?」

男が顔色を変える
それを見て僕は悪戯が成功した子供のように笑った

「知っていますか?ナーキスが歌うのは人のためだけではないんですよ」

コツさえ掴めれば生物と語らえる
助けを求めれば、鳥と仲が良いピスティさんには連絡がつく筈
そして彼女に事が伝わればきっと

「お前達とりかか…っ!」

僕と男の間にある床が罅割れる
鳥の攻撃ではなく、ただ踏み込んだだけのマスルールさんの力で

「………」
「謝罪はあとでします。なので今は…助けて下さい」
「当たり前でしょうセレーナのばか!」

水の球体が鼻先を掠った
杖を持ったヤムライハさんがぷんすか怒りながら立っている

「仕方ない――殺すか」

男の雰囲気が黒いものになっていく
僕はこれを知っている
人が白から黒に変わる瞬間、それは酷く辛い苦しいモノ

運命を呪えば呪うほどにルフは泣く
悲痛な叫びが耳に届く


怖い。恐い
あの日の僕もあんな顔をしていたのか
すべてを恨み呪い殺すような瞳を


「前を向け」
「えっ?」
「大丈夫よ、セレーナ」

両肩に置かれた2人の手が温かい
ぐっと下唇を噛み締めて、僕は頷いた
それを見て男は狂ったように笑う

「ファナリスは高いなぁ…其方の女性も良い買い手が付きそうだ。たとえ、死体であっても」

周囲に居た男達が武器を片手に襲い掛かる
僕を背にマスルールさんが薙ぎ払っていく
それを補助するように、空中に浮いた水球が死角の敵を押さえつける

「セレーナたんこっち!」

ピスティさんに呼ばれて大きな鳥の元へ向かう
侍女の子を背に乗せさせて、僕も乗ろうとした時傍に大きな鳥が来た
いつもマスルールさんと居るあの鳥が

「…ありがとう、君達が呼んでくれたんだよね」

鋭い嘴に触れて礼を言う
変わらず僕をじっと見詰めてくるけれど、もう怖いとは思わなかった

「口ほどにも無いわね。マスルール!そっちお願い!」
「了解っス」

眷属器なんか無くても彼らは強くて
あれだけ居た敵が既に半数近く減っていく
鳥の背に乗り、空から悠々と眺める僕はほっと胸を撫で下ろした

なんだ杞憂だったんだ
思い詰める必要性なんて、どこにも無かった
最初からこうして助けを求めていれば良かったのか

「いけいけヤムー!マスルールー!」

応援するピスティさんの姿を見て安心する
鳥達もばさばさと翼を広げて飛び回る
僕も声援を送ろうと身を乗り出した時だった


ぐらり、と視界が揺れて息が出来なくなる


「―――っ!」

黒くぬめっとした何かが僕を乗せた鳥ごと包み込む
靄がかかったような視界と呼吸困難に眉を顰める

僕の下で鳥がもがき苦しんでいた
咄嗟に両腕で勢い良く押し出す
それから吐き出されるような音がして、鳥の姿は見えなくなった

良かった

遠くで海に沈む音を聞きながら、視界は真っ暗闇に堕ちていった







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