朝靄の中部屋を出た
衣服以外何も身につけず、本当に身一つで
芝生を踏む音がやけに響く

門番に会わないよう、ピスティさんに教えてもらった抜け道から王宮外に出る
そして振り返り、深く、深く頭を下げた

思い返せば数ヶ月と少しばかり滞在しただけ
長くないその間に、どれだけ目まぐるしく僕の生活は変わっていっただろう

自分のことだけを考え生きてきたのが、初めて他人に心を揺さぶられ
不完全な僕に手を差し伸べてくれる者に出会い
そして惹かれ、出来るならと心から望んだ

泣いたし、笑ったし、怒りもした
呆れたり拗ねたり喜んだり
此処に来た時の僕はもういない

「…だから、全て置いていきます」

貴方達がくれたモノはみんな
彼が教えてくれた感情も、すべて



誰も居ない港に佇む
潮風が髪を靡かせた

決して大きくない、だが怪しくもない船が入港する
何を言われずともそれに向かって足を運んだ

「ようこそ、歓迎する。おや綺麗な顔が台無し「黙れ」

未だに仮面を被るお前達にぴったりだろう
無表情のまま一瞥して、船に乗り込んだ
入港してすぐに出港は出来ない
手続きが済むまで僕は此処で待つだけ

根回しは既にしている
侍女には昨夜、朝用事があるので昼まで部屋には入らないでほしいと伝えたし
朝食も要らない、誰も部屋にいれないでと頼んだ

薄暗い部屋の中蹲っていると、足首に違和感を感じた
裾を捲って灯りで照らしてみる

「…ああ、そっか」

表面には黒い斑点が浮かび上がっていた
此処には綺麗なルフが居ない
黒くてざわざわした、嫌なものしかいないから

息苦しくなって簡素なベッドに寝転ぶ
ナーキスの寿命が短いのは、きっとこのせいだろうな

このご時勢に綺麗なルフばかりな地域なんて殆ど無い
貧困や戦争に喘ぎ苦しむ所ばかり
僕はこのまま行けば20歳も満たずに死ぬかな

「ご機嫌いかがかしら、ファリックガール」

扉の方に目を向けるとあの踊り子の女がいた
答えずに居れば、詰め寄ってきてベッドの端に座る
相変わらず嫌な香の匂い

「良いこと教えてあげましょうか」
「触るな」
「聞いたら目の色変わるわ。私達ね、奴隷が欲しいの」

女の左手には鎖がいくつもあった
握られたそれをぐいっと引っ張ると、僕と同年代程の子供が床に雪崩れ込む
皆総じて虚ろな瞳をして、誰一人逆らうことなく女の足元に跪く

「ボスは何か別に考えてるみたいだけど、私達はただの奴隷商人。ねえ、今此処で私の奴隷になるっていうなら解放してあげるわ」

甘ったるい声で囁く
口許を撫でる指に視線を落とし、溜息を吐いた


「気持ち悪い」


はっきりと見下した目で僕は言った
女の顔は一瞬ぽかんとしてから、見る見るうちに鬼のようになっていく
鎖を蒔きつけている手で僕の頬を叩いた

「気持ち悪いのはアンタじゃない!上半身は女で下半身は男で、気持ち悪い、汚らわしい!少し綺麗だからって調子に乗るんじゃないわよ」

何度も何度も、気が済むまで頬を叩き、髪を掴み、爪を立てる
痛みは感じたけれど、不思議と涙は出なかった
ヒステリーが治まった女に顔だけ向けて微笑みかける

「僕と同じで見た目だけ綺麗な貴女も、凄く気持ち悪い。可哀想な、っ」

腹部を靴底で圧迫される
どれだけ痛めつけられても、泣きはしない
媚びも謝りもしてやらない

好きなだけ罵ればいい
それでも僕が貴女を見る目は変わらない

「…いいわ、アンタがそのつもりなら私は別の奴隷を手に入れるまでよ」

八つ当たりか、傍に居た男の子を蹴った
彼は床にまた転がるけど文句を一切言わない

ぞっとする
これが罷り通る世界に

「小汚いけどこれでいいわ」

1人に命令して新たな鎖が女の手に渡る
同じように強く引っ張られれば、今度は悲鳴があがった
倒れ込んだのは僕の世話をしてくれた彼女だった

「なんで貴女が…!」
「後ろをこそこそついてきてたのを捕まえたの。欲しい?あげないけど」

鎖を持ち上げれば彼女の首に付いた輪ごと身体が浮き上がる
苦痛に声が、表情が変わる

「やめ、ろ…」

全身から血の気が引いた
助けを求める瞳が僕に降り注ぐ

「イヤ。私の奴隷だか「違う!!」

痛みも忘れて飛び掛った
女を床に押し付けて、彼女を繋ぐ鎖を引っ手繰り投げ捨てる
暴れる女に対して僕がされたように、髪を掴み、爪を立てた

「早く逃げて!」

僕が叫ぶと彼女は立ち上がる
だけど、その場から去ることなく、逆に声を張り上げた

「アイオス様もご一緒にです!」

一緒に、だなんて
差し出された手を掴むことが出来るわけない
僕はもう捨てると決めて此処に居るんだ

「っこの屑が、アンタ達押さえ…!?」

命令の言葉が飛び出るより先に船が揺れた
出港にしては早すぎる
女もそう思ったのか驚いている

その隙に侍女の子が僕の腕を引いた
足が縺れそうになりながらも、引っ張られていく

「待って僕は…っ」
「私は貴方が好きです!」

突然の告白が響き渡る
思わず口をぽかんと開くけど、前を向いて走る彼女にはきっと見えていない

「美しく優しくて、なんて綺麗な方なんだろうとお慕いしておりました!男性という噂を聞いて嬉しかったです。でも、」

床に滴が落ちた
走る僕には一瞬しか見えなかったけど
確かに彼女から零れ落ちた

「マスルール様を見ていらっしゃる瞳が一番素敵で、だから、だから…っ!」

ぼろぼろと涙が頬を流れていく
僕自身が泣いているのか、彼女のルフが流れ込んでいるからか分からなかった
痛いほどに切なくて哀しくて、それでも彼女が僕を好きでいることが嬉しくて優しくて

「…っ、セレーナ様は絶対に幸せにならなくてはいけないのです!!」

振り返って笑う彼女はとても綺麗だった
僕はきっとぐちゃぐちゃな泣き顔のまま、笑い返した

ごめんねと心の中で呟いて







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