鍛錬後に朝食の場へ向かう途中、茂みに隠れる人陰を見た
掻き分け覗くと、地面に鮮やかな緑が落ちている
手に取らずともそれがジャーファルのクーフィーヤだと分かる

「…」

その傍らには地面に寝そべる姿
太陽の光が髪に反射して眩しい
そっと右手を伸ばし揺さぶろうとし――止めた

どうせあの後も寝ていなかったのだろう
私の小言1つで素直に寝る人間だったならば、最初からきちんと睡眠をとっているはずだ
ひとまずクーフィーヤを手に隣へ腰を下ろす

横たわる身体は規則正しく上下に動いている
時折微かに寝息も聞こえた

「…謁見が済み事を伝えれば私は自国に帰る」

澄み切った青空に投げるように呟いた
そよ風が吹き、クーフィーヤの裾が靡く
額辺りにある赤い宝石も輝き、揺らめいた

「だが争いが終わり、我が国が安定したならば――また訪れよう。お前に、返事をしにもう一度」

今はまだ分からない
全てが終わったその時まで、ジャーファルが今と同じ感情を持ち合わせているかも分からない
互いに生き残り何かを隠さない笑顔を見せることができるのか

子供が見るような夢幻を口に出したのは初めてだった

クーフィーヤをそっと頭に被せる
僅かに身動ぎ、この国の王の名を呼びながら眉根を寄せた
夢でも振り回されているのだろう

私はその献身っぷりに呆れ、同時に小さく笑った
どこかに計り知れない絶望を抱えながら




日も高く昇った頃、廊下を歩いていると歌声が流れる
行かずとも宮廷音楽家のものだと分かる
その声は彼の者の見た目を模しているような、澄んだ清らかな音

徐々にその声は近くなり仕事場が近辺だと知る
時折、侍女や武官が立ち止まってはうっとりと耳を傾けている
その中にあのファナリスの姿もあった

「おい」
「…」

無言で振り向いた顔はどこか眠たそうにしていた
確かに流れてくる音楽は、まるで子守唄のように耳に馴染む

「重役が国の一大事に何故王宮内に踏み止まっている」

私が眉根を寄せて問い詰めれば、顔は歌声の方へ向けられた
決して私を無視したのではなく其方を見るよう促すように
視線の先には予想通り、女が窓辺で歌っていた

「もし、昼間王宮に通り魔が出れば」

ファナリスはぽつりと呟くように言った
瞳は依然として女を見据えながら

「狙われるのはアイツだ」
「言い切る根拠はあるのか」

じっと見詰めたまま口を開きそうに無い
見目も歌声も素晴らしい物だと素直に称賛できるが、通り魔が襲う理由は今ひとつ理解し難い
つられて食い入るように女を見ていればファナリスの視線はいつの間にか此方に移っていた

「何だ」
「お前も…危ないな」

ファナリスが紡いだ言葉に私は声を苛立たせる

「侍女さえ居なければ負けん」
「左腕折れたままだろう。ジャーファルさんと居ろ」

動かぬ左腕に視線が落とされる
忌々しい。何故人の身体はこんなにも脆く弱いのだ

もっと強ければ、もっと強くならねば
大切なものを守れぬ身体などに存在価値は無いというのに

「くだらん。そんなに心配なら近くに寄り添っていろ」
「…お前にか?」
「あの宮廷音楽家にだ!そのぐらい読み取れ!!」
「元気ですねー」

上から柔らかな声と笑みが降り注ぐ
私達を見下ろして、女は歌うのを止め微笑んでいた

「セレーナ」
「マスルール様、今は就業時間ですよ」

女に諌められファナリスは黙り込んだ
もとより口数が多いとは言わぬが
その光景に女は満足したのか、今度は私に向かって話しかける

「翡翠様もどうかお部屋にお戻りください」
「要らん世話だ」
「僕は…あの通り魔は貴方を狙っているとしか、思えないのです」

瞳を伏せながら女は呟いた
小声だったにも関わらず、私の耳に確かにそれは聞こえた
世迷言を、と切り捨てたかったが、瞳には確信の色が宿っている

「…何故」
「それは――」

言葉を濁し、視線を泳がせた
しばしの沈黙の後、女は私とファナリスを部屋まで呼び寄せた
黒秤塔の一室はこの者のためにあるらしい
そこには高価な品であろう腰掛と、衣装箪笥や鏡があった

「マスルール様はそちら、翡翠様はそちらに」

それぞれに応じた腰掛を指差し促す
女自身も窓辺から移動し傍らに座った

「ルフをご存知ですか?」

聞き慣れぬ単語に首を横に振った
いや、どこかで一度耳にしたこともあるやもしれんが、少なくとも武道関係ではなさそうだ

「僕達の周囲を飛ぶ白い鳥のようなものです」
「見えんな」

魔術の類は私にはさっぱり理解できない
いくら目を懲らしても、女が指差す場所には鳥など見えぬ

「簡単に言えばそれらは亡くなった人の魂です。僕達は常に彼らに見守られ、彼らと共に生きています」
「幽霊みたいなものか」
「うーん…まあそういうことにしておきましょうか」

苦笑いをされたが、それ以外に表現の仕方が無かろう
女がファナリスに何か耳打ちをすると、奴は頷き近くにあった鏡を此方へと勢いよく投げた
咄嗟に腰掛を投げ鏡の軌道を逸らす

「貴様何のつもりだ…!」
「…弱そうだったんで」

剣の柄に手をかけ床を蹴った
右手に持っていたそれを薙ぎ払うと同時に離し、腰元に帯刀していた短剣を突き立てる
両の手が使える分やはり止められてしまった

「翡翠様!はいっ」

眼前に手鏡が現れる
この女も切るかという考えはすぐに消え去った

鏡に映る私の瞳は紅く、見知ったそれではなかった

「どういう…」
「ご説明しますから、その物騒な波打った短剣を離してください」

見ればファナリスは先手の剣は掌で受けているが、後手の短剣は腕にしていた装飾品で防いでいる
判断だけは立派だと悪態を吐いてどちらも帯刀した
この短剣は刃が全て波打っており、肉が裂ければ傷口の縫合が出来ない物である

「翡翠様のその瞳は、僕が推測するにルフを無意識に使用している際、紅くなるようです」

感情の昂りも一因しているように思えるが、冷静な時でも紅いのを見かけたらしい
当然のことながら私は私の瞳など見えぬし気にも留めていなかった
俄かに信じがたい話だが、先程鏡越しに見させられては認めぬとは言えない

「それが私が狙われる原因というのか」
「そうですね。それと多分貴方は気に入られているんですよ」

誰に。その言葉は窓辺からの声に掻き消された
耳を劈くあの悲鳴

「お前は嫁でも守っていろ!」
「よ…っ!翡翠様!」

ファナリスの動きを制して私は窓より飛び出た
2階程度の高さならば差し当たって問題無い
声のした方角へ足を速めると、全身が黒い衣装の者に出会った

「貴様が通り魔か…」

成程、あの黒尽くめの衣服ならば闇夜では見つかりにくい
しかし日の昇っている今は格好の的にしか過ぎぬ
剣を構えながらざっと悲鳴の主を探したが、他の者は見当たらなかった

「確かにアイツが好きそうだなぁ〜」

にたにたとした目付きで喋りだす
アイツとは女の言っていた、私を気に入っている人物だろう

次の瞬間周囲が一転して灰色に覆われた
そこに建物や木々はあるのに、音が全くしない
恐らく魔術か何かしらの魔道具の仕業

「お前を持って来いって言われてんだぁ。きっと強くなるからな」
「下衆が。ならば何故私だけを狙わぬ!」

柄を握る力が強くなる
私自身が狙いであるならば他者を巻き込む必要性が無い
1人でいることのほうが多かったのだから、狙う隙はいつでもあったはずだ

「…俺が楽しいから」

何を当たり前のことを
まるでそう言いたげな声だった

人を切ることが楽しいというのか
叫び声を、痛みに悶える姿を、それを見て喜べるのか
到底理解できぬ。いや理解したくもない!

「恥を知れ!!」

剣を振るい踏み込んでいく
私が居るせいで輩はこの国へ入った
そしてこの国の者達に、関係の無い者達に己が欲を押し付けた

「何ムキになってんだ?お前、あんなに陛下の下から離れるの嫌がってたじゃねえかぁ」
「黙れ!」
「帰してやるっていうのに、なぁ」

いくら剣を振るえど当たらない
何故、どうして、弱いからか
陛下の為に強くなったというのは所詮自惚れにしか過ぎなかったのか

「痛そうだなぁ」

ぼたぼたと血が地面を赤く染める
身体は既に重く、前屈みになっている
しかし向こうは平然とした表情で変わらずに苛立たせる目元で笑う

「お前捕まえたら後好きにしていいって言われてんだ。そうだぁ、さっきの女美人だなぁ、声も綺麗だし切ったら良い声で鳴くよな。あとは――あっ、文官もいいよな。細い四肢を刻んでみるのも楽しい」

カラン、と長剣を捨てた
激昂するとでも思っていたのか、奴は不思議そうに私を見た

「…止めだ」

即座に前へと倒れるように低く踏み込み、それを軸足に勢い良く足を払う
僅かに足先が掠り奴の衣服が切れた

「お前さっきと…!」
「苦手な物を、体得するのは難しいな」

左上腕にあった包帯と添え木を全て剥ぎ取った
骨折しているからといって動かぬわけではない
痛みは伴うが、動かすことは可能である

胸元の衣服を掴み、捩り、半円を描いて回し、右左と打ち込み、顎の下を狙って手を抉るように差し込む
なお追撃を加えようとしたが衣服の破れる音共に、向こうが距離を置いた

「けっ、剣士じゃ…っ」
「私は祖国の剣術が苦手でな。陛下より直すよう仰せつかっていた」
「はっ!じゃあ捨てたってことは、裏切るってことだよなぁ?」

嘲笑う場所を見つければすぐに笑う
下衆の声を聞きながら、私は瞳を閉じた


自国以外に心乱されることを
お許しください、陛下

シンドリア王国は素晴らしいものであり、我が国よりも発達した物を持っています
しかしそれ以上に全ての国民が笑うことの出来る数少ない楽園です

それらを保つために日夜勤しむ者を、私は存じ上げおります
国は違えど王に仕えし者として敬愛すべき者です
ですが、私という者を引き受けたがばかりに、その者に負担を強いてしまいました

私が招いた災厄ならば、私が払わずして誰が払うと言うのですか


「陛下への忠誠は変わらぬ。だが、今この一時だけはシンドリアの国民を守るべく、貴様を倒す」

低く構えた姿勢で真っ直ぐ見据える
自然と口許は笑っていた

「お前1人で勝つなんて無理だなぁ!」

繰り広げられる斬撃を受けつ、かわしつ、間を計る
最初に受けた傷の痛みに顔を顰めれば、奴がここぞとばかりに同じ箇所を狙う

誰がどう見ても負けるのだろう

「私1人であれば、な」

そう告げた直後、私の横を赤い紐が擦り抜けた
先にある錘が抉るように相手へと突き刺さる

「翡翠!」

振り向かずともその焦ったような声で全てが分かる
再び構え直し、僅かに首を傾け言った

「遅い、待ち侘びたぞ。…ジャーファル」

私の言葉に驚き、そして笑った
隣へ並び奴を睨む

「あー?なんで人が入ってきてんだぁ?」
「この程度の魔法で彼女に挑もうなんて愚かな話ですよ」

どうしてこの場に入り込んだのかは私も知らない
それでも何故か、あの時来る気がしたんだ

焦りながら、呆れながら、怒りながら、きっと

「さて私は既に満身創痍だ。悪いが手助け願おう」
「ええ。では貴方は私が暴走しないよう、これから先傷一つ付けず勝ってください」

無茶を言う。だが悪い気はしなかった
今までなら2対1など卑怯としか思わなかっただろう
誰かの手を借りることなど、逃げとしか感じれなかったはずだ

たかが数日で私はこの国に侵されてしまったようだ






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