通り魔は捕まらぬまま3日が過ぎた
怪我は全く治っていないが、私は朝の鍛錬を続けている
銀蠍塔へは顔を出さなくなった

そして、白羊塔にも

「…」

朝もやの中薄緑と赤の髪が目に留まる
確認するまでもなくそれは宮廷音楽家とファナリスだった
2人はこちらに気付き、女が男を引っ張る形でやってきた

「お前達は夫婦か?」

挨拶を飛ばして投げかけた質問に、女が少しばかり頬を染めた
そして引っ張ってきたにも関わらずファナリスに向こうへ行くよう告げる
改めて向き直ると、首を横に振った

「違います。彼はファナリスですよ?」
「この国では民族が夫婦間に関係する事柄なのか」
「…僕の民族は、彼にはあまりにも不釣合いです」

時折、女が見せる暗い表情が私は好きだった
虚ろではない瞳が光を灯しながらも、淡々と喋る声が心地良かった
どこか同じ何かを見出しているのかもしれない

「ところで具合は如何ですか?」
「悪くない。良くもない」
「完治は3ヶ月だそうですが…」

背中と脚の傷は問題ない。背は確実に跡が残るだろうが
一番の難点は左腕の骨折
利き腕ではないにしろ、日常生活にも支障が出ている

「構わん。謁見が済めば祖国へ帰る」

だがこれ以上のんびりしている暇は無い
私はひゅっと剣を振るう
切っ先は落ちてきた葉を2つに切り裂いた

「ジャーファルさんの所へ行きませんか」
「何故」
「通り魔の捜査が難航していて、貴女のお話が必要だからです」

理由が無ければ行かない
そう告げようとしたのを見透かしたのか、女は強い口調で言った
私はしばらく間を取り、静かに頷いた



躊躇いがちに扉を開ければ、初めて開いた時と同じく文官達が走り回っている
しかしそれは、当初とは比べ物にならないほどの悲痛な顔をしていた
人の隙間を縫ってジャーファルへと歩み寄る

私を見上げた顔は酷くやつれていた
国政でこれほどまで青褪めた顔をするだろうか
財政難に苦しむ自国の文官ですら、ここまで酷い顔はしていなかった

「音楽家の女に言われて来た」
「…ああ、そうでした。いくつか聞きたいことがあります」

犯人の背丈や声音、使用する武器や身体能力
私と助けた侍女以外の被害者は、それらを確認する暇もなく切られたらしい
そのため長時間に渡って犯人を見た私に聞きたかったそうだ

「随分対応が遅いな」
「―――本当に、そうですね」

皮肉は自嘲となって返ってきた
勿論それは私に向けられた物でなく、ジャーファルが自分自身に向けた笑い顔
薄っぺらな笑顔の奥にとんでもない何かを秘めた、そんな

「…お前「伝令です!市場にて通り魔が現れたと!!」

触れようと伸ばした手と声は遮られた
衛兵の言葉が響き渡るや否や、ジャーファルは机を蹴り倒して飛び出て行く
引っくり返った書簡を片付けるよう文官に告げ、伝令に来た衛兵を捕まえ場所を問い質す

王宮より出てひたすら真っ直ぐに走りぬける
市場には大勢の人がごった返していたが、全て私と逆の方向へ走っていく
叫び声が上がる方へ足を速めれば、ぽっかりと空いた空間にジャーファルが立ち竦んでいた

袖口に仕込んだ錘の紐を倒れている男の身体に幾重にも巻きつかせ踏み付けて
そしてその先の鋭い錘を大きく振りかざし―――


「やめろジャーファル!!」


飛び出した私の右腕に先が触れるか触れないか
ぎりぎりの所で錘は止まり、私はすぐさま見上げ怒鳴った

「貴様の一存で殺して良いはずがなかろう!目を覚ませっ!」
「……所詮、模倣犯ですよ…」

気を確かに持っていたのは一瞬だけ
虚ろな瞳が私を通り越し、締め上げられている男へ突き刺さる
確かに倒れている者は私が感じた背丈や体格とは全く違う

「憧れか便乗か知りませんが、国民を不安へ陥れる行為を働く者など、必要ありません。こんな輩が多く出るから早く、一刻も早く捉え処すべきだと…!」

眉間に皺が寄り、痛々しい表情が生まれる
それを見て何かを抉り出されるような痛みが胸中に広がった

何か言わなければいけないはずなのに
言葉は上手く紡ぎだされず、武官達の声が空間を遮った
捕らえられている者は連行され、往来の人々は安堵した表情を見せる

前を行く緑のクーフィーヤがまるで消え失せてしまいそうに靡いていた



部屋から出てきた文官達が私に会釈する
壁に寄りかかりながらそれを感じる
十中八九、朝方の者は私を襲った者ではない
それは誰の目から見ても明らかだった

故に不安は人々の心に色濃く残る
通り魔への恐怖、模倣犯への恐怖
今までは夜間だけだった犯行が、別人とはいえ白昼堂々起きた
動揺は皆隠しきれていない

私は最後の1人が出たのを確認して中へと入った

「何をそんなに急いている」
「諸悪の根源を早く捕まえたいのは当然のことでしょう」
「文官としての仕事を放ってまでか」
「ですから、今こうしてしているではありませんか」

日は当の昔に沈み暗闇が覆っている
聞けば数日前からこのような状況にあったらしい
昼間は犯人探しに全力を当て、夜になれば溜め込んでいたものを仕上げる
寝ている暇など微塵もなかった

「眠れ」
「終われば寝ます」
「それは通り魔が捕まればという意味だろう」

ペンを走らせる手が止まった
その隙に私はこれ以上書かせまいとインクを遠くへ置いた
睨み上げてくる瞳を真っ向から見据える

「貴女に指図される謂れはありません」
「私が困るのではなくお前の部下が困るから言っているんだ」

淡々とした物言いに苛立ちを覚え、少しばかりそれが声に含み出た
私が白羊塔へ向かわなかった数日間ずっと休み無しに動いていたということが

誰も頼ることなく1人でこなそうとするその姿勢が、酷く脆く、何かを重ね見ているようで

「働かないほうがよっぽど困ります」

そう言って遠ざけたインクに手を伸ばす
顔は背けられ視線は交わらない
早く出て行けと言わんばかりの態度に私は思わず襟を掴み椅子から引き摺り下ろした

床に落ちたペンの音は倒れこんだ音に掻き消される
私は襟を掴んだまま上に圧し掛かっている
頭か背を打ったのか、顔を歪めたジャーファルが此方を見上げた

「この国はお前だけで動いているわけではないだろう。何故頼らない」

自国と違ってシンドリアは官位に関係なく仲を保つことが出来る
人の位を妬み、協力を拒むような輩はそうそう居ないことぐらい、数日いればすぐ分かる

「…貴方の口から頼るとか、出るとは思いませんでした」
「私を何だと思っているのか聞き出したいところだが今は勘弁してやる」

驚いた後の表情は、どこか呆れたような普段の笑みだった
癪に障るがそれを見て胸を撫で下ろす
襟を掴んでいた右腕を離すと、入れ違いにジャーファルの右手が折れた左腕に添えられた


「――憎いのです」


それは凛とした声で耳に届いた
添えていた手を移動させ私を腹部からやや下に移動させると、ジャーファルは上半身を起こし顔を向けた
背の殆ど変わらない私達は顔が異常にまで近く感じる

「国が、乱れることがか」

ジャーファルは静かに首を横に振った
開きっ放しの窓から月明かりが降り注ぐ

「貴方を、翡翠を傷付けるもの全てが私には憎く、そして羨ましくて仕方ないのです」

左手が頬を撫でる
咄嗟に身を引いたが、右腕は腰に回され完全に身体を退けることは出来ない
動いた際に揺れた髪の先を持たれる

「シンに仇なす者――と最初は思っていたんですが」
「強ち間違ってはおらぬ」
「ですがそれは帰りたい一心に他ならぬことで、貴方自身は優しい人なんだと分かりまして」

言われ慣れぬ単語に眉を寄せると苦笑された
別に言葉の意味を知らないわけではない
ただそれが、私に向けられる賞賛の言葉としては不適切極まりないと感じただけだ

「言動は厳しいですが人の面倒をよく見ますし」
「鬱陶しいのを早く去らせたいだけだ」
「貴方のルフは澄み切っていて気持ちいいと言ってましたよ」

ルフとは何だ。誰が言ったんだ
尋ねようとした私の頬にまた手が添えられる
今度は身を引くより早く、引き寄せられた
辛うじてくっ付くのだけは踏みとどまり避けたが

「ラペイエを喜んで飲む姿も、剣を振るい鍛錬に励む姿も、マスルールに適当にあしらわれて苛立つ姿も、私には全てが愛しく感じます。だからこそ、貴方が傷付けられたと知って腸が煮えくり返りそうになって、犯人をこの手で仕留めようと思ったのです」

――私は、学を持ち合わせていない
自国の字を覚えるのにも人の数倍かかったほど頭が弱い
他人の感情を読み取るというのも陛下以外にはできた例が無い
だが、此処まで言われて尚理解できぬ程、鈍感ではなかったようだ

「わ、私は…っ」

何か言わなければ
そう思い口を開いたが、人差し指を出され制止を求められた
口を噤めばジャーファルは微笑んだ

「翡翠。貴方はピューガァマ国に帰るべきです」

普通ならば好いている者を引き止めるのではないのか
僅かばかりの恋愛の知識を思い浮かべながら首を傾げる
そしてすぐに私は自身の行動に驚いた

引き止められれば残るのを考えたかもしれないことに

「…邪魔をした」

立ち上がると腕は簡単に解けた
顔を見ぬまま扉へと向かって歩く

「翡翠」

名を呼ばれ、私は僅かに顔を傾けて後ろを見た
振り向けばいつもは隠している両の手を裾から出し、その片方を緩やかに振る

「おやすみなさい」

私は返事をせずに部屋へと戻った



人から好かれるということに取り分け慣れていない
陛下が全てだった
だからそれ以外からの感情はどうだってよかった

両親の愛情という物を受けていればまた変わっていたのかもしれないが
赤子の時に王宮に献上された私には、それを知る術が無かった

「分からん、な」

独り言は闇夜に飲まれる
ベッドに腰掛け天井を仰いだ

女として称されるのは精々この黒髪程度
張った肩に筋肉、平らな胸、角ばった身体付き
無数の傷跡に数多に犯された内部

男女問わず私に恋慕の情を抱く魅力など皆無と言える
ふと、壁に立てかけられた鏡が目に入る
向こう側から私を見る、翡翠色の瞳

「ああ…これもあったか」

自分では目にすることが無いから思い出さなかった
両の瞳に宿るこの翡翠色
我が国の国宝石であるそれと同じ色

このために奴隷だった母は私を献上し多額の金を得たのだと風の噂で聞いた
父は知らぬ。武官か、文官か、はたまた旅人か
どうせ会えぬ者に想いを馳せても仕方ない


会えぬ、者に


何かが引っ掛かり眉根を寄せる
大切な物を見落としているような感覚に苛まれる
しかしいくら考えても検討は付かず、気付けば着替えも碌にせず眠っていた






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