「律儀、ですね」
「何がだ。それも貸せ」
「有難う御座います。これもお願いできますか」

ジャーファルより書簡を受け取り腕の中へと積み上げる
終業の鐘が鳴ろうとも、白羊塔の文官達はその手を休めることがない
生憎と私は無知であり勉学に勤しまなかったため、国事そのものの手伝いは出来ぬが、書簡の運搬や掃除程度なら可能である

ひとつ訂正をしておくが、これは他国に立ち寄った際必ず行っている
大小関わらず王に会う場合は謁見の手続きが必要であり、その手続きを行うのは大半が文官である
本来ならば不要な労力を割いているのだから、その礼を兼ねて行っているだけだ

決して侍女や武官共が噂する邪な気持ちは一切無い

「目覚めた翌日から貴方が白羊塔に居ない日はありませんよ」
「たかが6日程度がどうした。武官であれば四六時中気を張るのは当然のこと」
「…此処は文官中心ですが」

関係ない、と一蹴して書簡を片す
ファナリスより条件を突きつけられてから早5日
どう転がったのか私とファナリスができているのではないか、などという痴れ事が広まった

勿論、全て捻じ伏せ誤解は解いたが
今度はジャーファル若しくは白羊塔にいる文官の誰かという痴れ事がまわっている
元凶が分かれば締めれるのだが、なかなか尻尾を掴ませない

「お前もくだらぬ痴れ事に振り回される性質か」
「いえ、貴方が気にしていないなら構いません」

一通り片し終えれば茶を淹れてもらえる
初めは断っていたが、3日前ラペイエもどきを出されて以降、ついつい飲んでしまっている
驚くべきことに淹れる度に茶が美味くなっているのだ

「どうぞ」
「…すまぬ。これも無駄な労力だな」
「私も飲みますから一緒ですよ」

周囲の様子を見る限り、ジャーファル本人が茶を誰かに淹れるというのはあまり無いことのように感じる
普段ならば自分の物も自分では淹れず、部下が淹れているのだろう
本末転倒のような気もしつつ茶を啜る

「美味い…」
「ふふ、それは良かったです」
「お前は良き妻になれそうだな」
「すみません、その台詞は嬉しくありません」

そういえば男だったなと思い出す
決して見た目が女々しいというわけではないが、如何せん男らしいとも言い難い
見目に関してこれ以上言うのは控えて、当然のように出された茶菓子を口に運ぶ
気付けばこれもいつの間にか定番になっているような

途端気分が憂鬱になり、私は部屋を後にした
中庭を歩いて緑射塔へ向かう途中、暗い中でも分かるほど綺麗な姿が前方から来る

「こんばんは、翡翠様」
「夜に女の一人歩きとは無防備極まりないな」
「シンドリアは大丈夫ですよ。っと言いたいんですが」

宮廷音楽家の女は困ったように眉尻を下げた
そして声を潜めて告げる

「最近通り魔が横行してまして」
「街中にか」
「はい。王宮付近には来ませんが、国営商館が立ち並ぶ場へよく現れて…観光と貿易で成り立つシンドリアとしては、そういう被害は凄く困るんです」
「討伐隊は」

当然組まれてはいるだろうが尋ねると、女はどこか寂しそうな表情をした
それは刹那に儚く消えてシンドリアの者がよく見せる笑顔へと変わる

「夜な夜な見回りしています。もう捕まるでしょう」

女がそう言い切ったのと悲鳴が上がったのは同時だった
闇夜を裂くような女性の声
何が、と思うより早く私の身体は声の方向へと走り出した



茂みを走り抜け最短距離で悲鳴の元へ駆けつける
蹲り泣きじゃくる女性と、ナイフらしき者を手に佇む人の影
咄嗟に腰に差していた剣を抜き取り詰め寄った

金属がぶつかる音は聞こえず、かわされたのだと理解する

身を捩り、足を地面に強く踏み、身体を反転させて姿を追う
視界には捉えられず地上に姿は無い
上空へと顔を向けるが、そこにも影は無かった

「…」

緊張の糸は保ったまま剣を片手に蹲る女性へ近寄る
屈みこみ傷口を見る
幸いにも腕を少々掠っただけのようだ

「大丈夫だ。怯えるな」
「ぁ…ありが…っきゃああああああ!!!」

耳を劈くような叫び声と共に背中に酷い痛みと熱さを感じる

「っ、げほっ」

右肩から左脇腹にかけて大きく一線切られた
痛みを受けた瞬間右手に持っていた剣を後ろへ突き付ける
確かな手応えを感じるも、一瞬の眩暈の隙に肉を抉った感触が離れた

「くっ…ま、待て…!」

じわじわなんて生易しい血の出方はしていない
地面に勢いよく滴り落ちる私の血液
追いかけようと振り向くが、それを見た女が倒れる音がした

「おいっ、…だから平和は…!」

悪態を吐こうとして、止めた
追跡することも諦めて女を抱き寄せる
今更追いかけたところで意味はないだろう

「…っ翡翠様!」

私の後を追ってきた女の声が耳に届いた
何か言うより早く、私の腕から女性を引き離し、私の胸に手を添えた
瞳を閉じ何か口ずさむ姿は、祖国の神像のようだった



「どうして運ぼうとしたのですか」

その声音は怒っているようにも聞こえた
私は背中を向け黙ったまま、ジャーファルの言葉を聞き流した

「背中だけと思ったのですか」

ぴり、と痛みが走る
気付けば左上腕を掴まれていた
そこには幾重にも包帯が巻かれ、添え木もされている

――折れていたのだ
いつやられたのか私には皆目見当がつかない
交わされた時か、後ろから不意打ちを喰らった時か
どちらにせよ私は何も気付かなかった

腕だけではない
脚にも何度も刃物で突き刺された跡がある
それら全てあの通り魔によるもの

背中に大きな太刀筋が一つ
左腕骨折。右腕に複数の切れた跡
両足に抉るような刺し傷

「…侍女はどうした」
「手当てを受け眠っています。貴方こそ「平和は嫌いだ」

私は立ち上がって窓辺へ行く
月は煌々と降り注ぎ、全てを曝け出させるような気分になる

「シンドリアは良い国だ。そこは認めよう。だが、故に私は感化され鈍ってしまった。…いやこれは言い訳に過ぎないな。私は弱くなったんだ」

身体を蝕む病魔のように平和は付き纏う
陛下しかくださらなかった言葉を、行動を、この国の者はいとも簡単に私へ行う
それを私は取り憑かれたかのように貪った

「私は…それこそ貴方が持つ強さだと、思いますよ」
「お前がそうであったからそう言えるのだろうな。だが、私は女だ」

ジャーファルの過去に何があり今こうしているのか
そんなことに微塵の興味も湧かない
ただ奴は己が弱さを強さに変え、認め、生きているのだろう

それを女である私が行うということは築き上げた強さを緩やかに殺していくこととなる

「女らしさなど戦場には不要だ」

月を見上げながら私は呟いた
まるで自分に言い聞かせるように、強く

「本当に不要ですか」
「なん…っ!」

低く抑揚の無い声と共に痛みが体中を走る
悲鳴を上げるほどのものではないが、言葉は途切れ、行動は出遅れた
ベッドに仰向けに放り出され、私の上にはジャーファルが覆い被さる

「何の真似だ」
「貴方の力はいずれ衰えるのに、その時女としてすら生きれない惨めさにどう抗うつもりですか?」

男にしてはか細い腕が強く私の右腕を縛り付ける
空いている手は顎を掴まれ、強制的に上へ向けられた
声と同じ感情の無い冷めた瞳

「基より女としての価値は無い」

私はそう告げて瞳を伏せた
陛下に、あのように言われるまでもないのだ

押さえ付けていた手を退かせ、私は衣服の前を開いた
その行動にジャーファルは驚きを露わにし―――真っ直ぐに私の身体を見る

「武官なら当然、戦に出れば怪我の1つや2つある。我が身は顔以外傷しか無い。加えて女であるが故に負ければ慰み者にされ、登り詰めれば詰めるほど妬みの対象となる。故に私は女としての価値は持ち合わせていない」

何十回何百回と重ねた鍛錬や戦
幼き頃より武の道に進んだ私は、才はあれども貧相な子供だった

子供だからと嘗められ傷を大量に作り
鍛錬で勝てば女のくせにと罵られ、複数人に犯される
戦場では負ける度に頭領に差し出され、隙を見ては逃げ出し生きてきた

私は前を閉め天井を見つめた
だから、穢いとか綺麗とか私はどうでも良いのだ
その物差しで計れば酷く汚らわしい者なのだから


「…私を、奪わないで欲しい」


そう呟いた時、ジャーファルがどんな顔をしていたかは分からない
視界は滲み頬には水滴が伝い、私には何も見えていなかった






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