「…なんだ、これは」

定刻に目覚めれば部屋は花で塗れていた
昨夜は遅くに就寝し、灯りを付けずにベッドへ入ったから気付かなかったが
ベッド、窓辺、卓上、果ては水差しの中にすら花がある

噎せ返るような匂いに眉を顰めて窓を開いた
扉も大きく開き、換気を行う
すると高い劈くような声が聞こえた

「あ―――っ!せっかく飾ったのに!捨てるなんて酷いよっ」

元凶となる花を一箇所に纏めていると金髪の少女が私に詰め寄る
弱々しい力で脇腹辺りを叩く
しばらく無視していたが、それが叩くから突くに変わったため声を張り上げた

「貴様が行ったことならば自分で片付けろ!何故私が尻拭いをせねばならぬ!」
「だって歓迎…っ」
「客人の部屋に無断で押し入ることが歓迎といえるか。そもそも長居の予定は無いから不要だ!くそっ、こんな所にまで…」
「〜っ、バカっ翡翠たんのバカっ!」

何故私の名を知っている
驚いて振り返った時には少女の姿はもう無かった
代わりに羽毛が数枚落ちている
完全に邪魔をしにきたとしか思えない

「よし…もう無いな」

1時間かけて部屋中の花を集めた
廊下へとそれを置き、剣を携え庭に出る
予定がずれてしまったが朝の鍛錬を始めた

結い上げた黒髪が舞う
それが視界の端に入った時、ふと昔の出来事が頭を過ぎる



綺麗な黒い髪だと褒めてくださった
真っ直ぐに見つめる翠の瞳も私らしいと

その色に映えるよう陛下は紺の衣服を私にくださった
体に沿う巻き布に、上半身を覆い隠す同色同柄の布を交差させ脇下で止める物
桃や赤などの色で織られた模様が綺麗で、同時に少し恥ずかしくもあった

初めてそれを着て陛下に見せたのは齢12の時
武官として成果を挙げ、他国の王が集まる祝賀会で剣舞を見せた

綺麗だとか麗しいなんて言葉は要らない
陛下が満足げに笑っていただければそれで良い

親など知らぬ私には陛下だけが全てであり、陛下こそが生きる意味であったのに



「朝早くから熱心ですね」

思い出に耽りすぎて気配に気付かなかった
声がしてから動きを止め其方へ向く
ジャーファルの持つ書簡を見て、どちらが熱心だと心中で悪態を吐いた

「貸せ」
「私はそれほどひ弱ではありませんが…」
「だが落ちる。書簡を泥塗れにしたいなら話は別だが」

至極真っ当な事を言ったがジャーファルは笑って私にいくつか書簡を渡した
その笑いが気に入らないが、持つと言った以上、部屋まで責任をもって運ぶ

「シンドリアは気に入りませんか?」
「手順を踏み、陛下と共に参ったのであれば悪い印象は無いが、現状況で良いと思うか?」
「…それもそうですね。ああ、貴方に謝らねばいけませんね」

半歩先行く足が止まったので私も歩みを止める
ほんの僅かに高い身長で、見下ろされていた顔が私の下にきた

「貴方の国を貶す発言をして申し訳ありません」
「…構わん。祖国がそういう状況下であるのは事実だから、な…」

自分の表情が暗く沈むのが分かる
ピューガァマ国は内陸部に面していて、周囲を他国に囲まれている
私がまだ若輩者であった頃は、その他国も小さきものであり、何度か衝突はすれど侵略されることはなかった

しかし、近年になって煌帝国が力を増し、それに伴い周囲の国も煌帝国へ服従、侵略された
煌帝国の支配は目と鼻の先にまで近付いてきている

「皆が服従すべきだと言う。だが、私にはそれが我慢ならない」

陛下を立てずして何が臣下だ
身の保障ばかり考え、自ら行動できぬ痴れ者が
私とて陛下を亡くすことは嫌に決まっている
だが、その陛下自身が決めたことならば、最期まで付き従う

「貴方は…捨てられたと聞きましたが」
「…逆にお前が王に捨てられたとして、全てを見捨てる程の薄い忠誠心しか持ち合わせていないのか?」

私が訪ねると首を横に振った
その瞳はどこか遠く、重いものを見ているようで
質問を誤ったかと少しばかり後悔する

「ともかく私如き低脳な者では、陛下の崇高なる考えは想像できん。故に何があろうと自国へ帰り陛下の真意を問いたいのだ」
「それは…少しばかり持ち上げすぎな気もしますが。いえ、まあ貴方の陛下の考えを聞きたいという意志は充分理解できました。ただ周囲の者に対しても僅かで良いですから気持ちを汲んでやってください」

誰の気持ちを汲めば良いのだ
眉を顰め首を傾げると、苦笑いを浮かべる
そして私の背後を指差した

「ああして貴方と知り合いたい者もいるようですから」
「…あれは何をしているんだ」
「尾行でしょうか。バレバレですが」

柱の陰に見覚えのある金髪と羽の髪飾り
そして体こそ見えぬが、床に転がる鉄球
私は呆れ顔でそれらに話しかけた

「くだらん真似をする暇があるならば、そのふざけた顔にある口を精一杯動かすことだな」
「なんだとテメェ…っ!」
「ふざけた顔じゃないもん!」
「充分ふざけてますよ、シャルルカン、ピスティ」

呆れているのは私だけではないようだ
分かりやすくジャーファルが溜息を吐く
出てきたのは当然、シャルルカンと今朝の少女…名はピスティというのか
2人は子供のように拗ねた表情で私に詰め寄る

「お前俺の誘いは断るのにジャーファルさんのは手伝うのかよ」
「そうだよ、ズルイよジャーファルさんだけ!」
「私のは仕事ですからね」
「俺のも仕事です!」

精一杯動かせと言ったが、失言だったな
正直殴って黙らせたいところだが書簡がそれを邪魔する

「お前に関しては理由は述べた。其方の幼子については何がしたいのかすら理解出来ん」
「おさな…っ私18だから!」
「めちゃくちゃ露骨に驚いたぞ、こいつ」

とてもじゃないが18歳には見えない
改めて背丈や顔立ち、体の成長具合を見るが良くて14歳といったところだ
本当の年齢か怪しんでいたのが顔にも出たらしい

「翡翠だって胸の大きさ私と変わらないじゃん!」

場の空気が凍ったのが分かる
シャルルカンとジャーファルの視線が、書簡を通り越して私の胸元に集まる
平坦な身体を特に気にはしていなかったが指摘されれば、それは苛立ちの対象となる

「五月蝿い!大体私は21だぞ!年上に対してもっと敬う態度を取れ!」
「お、俺と同い年じゃん」
「お前の年齢など微塵たりとも聞いていない」
「その論理で行くと私も敬われるべきなんですが…」

ぽつりと呟かれた言葉に私が振り返る
声の主は勿論ジャーファルであり、しれっとした表情で佇んでいる

「年、上…?」
「25ですが」
「ほらほら敬いなよ翡翠たーん」
「いや、私よりもお前達が敬うべきだろう」
「一理ありますね」

ぎゃいぎゃいと耳元で騒がしい
特に小柄が故に私に纏わりつく幼子、ピスティが物凄く鬱陶しい
それを振り払って私は歩き出す

「書簡を運ぶ邪魔をするな」
「じゃあ終わったら銀蠍塔来いよー」
「待ってるからねー!」

意外にも2人は追いかけてこず、すんなり解放された
今度は先行く私をジャーファルが追い隣で笑う

「運び終えたら構ってやってください」
「…面倒だ。お前はあれを束ねていて疲れないのか?」
「たまに捌ききれず放り投げます」

遠い目をしながら答えた
私は此処に来てまだ2日目だというのに、出会う奴の殆どがああいった者ばかりである
だからか知らないが、ジャーファルが普通に見えてくる
出会い頭に罵倒し合っているのだから、普通ではないはずなんだがな

「そこに置いてください」
「他には無いか」
「大丈夫ですよ」

指定された机に書簡を置く
政務室は昨日とは打って変わって静まり返っていた
まだ勤務時間前のようだ

「お茶でも飲みますか?」
「…ああ、いただく」

差し出されたお茶を受け取りテーブルを見る
…砂糖が無い。練乳も無い
固まる私にジャーファルが尋ねる

「いや、シンドリアはラペイエを飲まないのだな」
「ラペ…確かピューガァマ付近で飲まれる甘いお茶ですね」
「祖国では茶に練乳を入れるからな。…いや、だが、しかし」

無論ラペイエ以外では茶に練乳など入れぬ
が、私はどうもあれが好きで、基本的に茶には大量に入れて飲む
最後に茶葉だけの茶を飲んだのは数年前ぐらいまで遡る

「用意しましょうか…」
「か、構わん。たまには普通に飲むのも良いだろう」

決心して一口喉を通す
途端、口内に広がる苦味に顔を顰める
美味いとは思うのだが、如何せん苦味の方が勝っている

「無理せずとも良いのですよ」
「出された茶を飲まぬのは失礼だろう。ああ…苦いが美味い。が、苦い…」
「口直しに食べますか」

そう出されたのは芸術とも呼べるほど綺麗な茶菓子達
自分の喉が鳴るのが分かった
しかし、敵国の物を、いやそれを言っては先日既に食している
誘惑に耐え切れず私はその1つに手を伸ばした

「あとは要らぬ」
「そうですか?」
「早くしまえ。他の者に見られれば面倒だろう」

しばしこの茶菓子を眺めておきたい衝動に駆られるが、それを振り払って頬張った
苦味の後の甘味は何事にも変えがたい至福
自然と顔が綻びかけ―――慌てて飲み込み表情を戻した

「…王への謁見は早く見積もっていつになる」
「そうですね…シンが出掛けなければ、凡そ2週間程かと」
「なら手続きをしたい」

本当なら詰め寄りたいがそうも行かぬ
申し出をすれば謁見の為の書簡を手渡され、必要欄に記載をする
書き終わって部屋を出てから自国の言葉で書いてしまったことを思い出す

「まあ…良いか。読めるだろう」

博識ある文官であれば少々は読める筈だ
そう言い聞かせて、私は王宮内をふら付く
中庭に出れば遠くから怒声と金属音が聞こえた

位置的に銀蠍塔であることは間違いない
先程の男の言葉を思い出し、偵察と称して向かうことにした



「オラ次こい!」

成程、と言うべきか
柱の陰から暫く鍛錬を見ていたが、あのシャルルカンという男は剣のこととなると性格が変わるらしい
部下を扱きまわる姿は間抜けな尾行をしていた者とは大違いだ

「ん…?なんだ翡翠じゃねぇか!」

私を見つけるなり顔付きが変わる
陰より出でて、私は近くに置いてあった鍛錬用の剣を取る
これなら強く当てても骨折にもならぬだろう

それを手に私は無言のまま舞台上へと歩みを進める
一回りほど上と思われる体格の良い武官を指し、対峙を促した

「なんだ?やる気になったのか?」
「これ以上付き纏われるのは至極鬱陶しい。合図を出せ」
「?ま、いいけどよ。始め!」

我が身を見て女と思い油断したのか、相手からの剣は甘い
それを私は往なすどころか真正面から受け止め、上部へ大きく跳ね返した

「私は開始場所から動いておらぬが、よもや全力とは言わぬだろうな」
「なんだと…!?」

こうでもしないと本気を出さないというのは嘆かわしい
恐らく全力で打ち込んできた剣を、私は再度受け止め、その場で足に力を込め押し返した
単純な力で男に遅れを取るほどひ弱ではない

舞台上から落ちた武官を見て周囲が静まり返る
高らかに響き渡ったのは、シャルルカンの歓喜の声だった

「さっすが最高廷武官は違うなぁ」
「くだらん。稽古を付ける技量にも達せぬ者に何を教えれば良いのだ。即ち私がこの場に来る必要性は皆無であるため、今後一切無駄な誘いはするな。失礼する」

右手を左胸下に添えてから剣を元の位置へ直す
呼び止めたのはシャルルカンではなく、高い少女の声、ピスティのもの
声と同時に腰辺りの布を掴まれる

「ねーねー翡翠たん!」
「気安く呼ぶな。分を弁えろ」
「女の子なんだしいいでしょ。強いんだったらアレとも勝負しないの?」

アレ、と指差されたものは赤い髪の…マスルール
隣でピスティが言うには、奴はファナリスであり八人将の1人であるらしい
あの強さが民族的なものであったとしても負けは負け
屈辱を晴らすべく、私は奴に詰め寄った

「丁度良い!貴様今すぐ私と剣を交えろ!」
「…はあ、先輩としといてください」
「俺は別にいいけど」
「興味無い。私が交えたいのはお前だけだ!」

そう言い放つと花が飛ぶような黄色い声と太いどよめきが起こった
何だ、何事だ。状況を把握出来ない私を放って、武官達はこそこそと話し出す
追い討ちをかけるようにファナリスは溜息を吐いた

「俺は先輩に伝言があって来ただけなんで。やりたければ先輩と1週間ぐらいしてからにしてください」
「あっテメェ丸投げしやがったな…!」

体の良い逃げ道を作るとは卑怯だ!
と、食い掛かるより先にファナリスは姿を消した
罅割れた床を見て歯を軋ませる

「――シャルルカンと言ったな」
「ああ、そうだけど。なんだ?」
「喜べ。1週間だけ毎日通ってやろう。ファナリス風情が地に平伏させてやる…!」
「…俺お前と仲良くできそうでできねぇかも」

何か乗せられた気もするが構わん
この日より私は銀蠍塔を訪れ、剣を振るうようになった
朝の鍛錬に加え昼、夕と武官達を薙ぎ倒し、鐘が鳴り終わればすぐさまそこを出た





徐々に蝕む何かに気付かぬまま、時は過ぎていく






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