「うぁ…っ!」
「きゃっ!」

視界が開けてすぐ飛び起きると痛みが体全体を覆う
傍で聞こえた声に、即座に身構えた

「――びっくりした。おはようございます」

男女どちらとも取れぬ軽やかな声
顔立ちも中性的で判別が付きにくい

だが髪は右半分が長く、その中でも一際長く先が回ったものを右に流し、金属の髪飾りで止めている
薄緑の髪の柔らかさも相俟って女性のように思える
定義的に女だと区分して、改めて睨んだ

「痛みは…ありますよね」
「触るな。答えろ、此処は何処だ。私は何故此処に居る…!?」
「あだっ!あ…僕物凄く脆弱なので、出来れば優しくお願いします」

近くにあった果物用のナイフと思わしき物を掴み、女を押さえ突きつけようとした
が、予想外に少量の力で女は床に倒れこみ、大きく音を立てて頭をぶつけた
ナイフを喉元に寄せても表情は一転せず微笑んだまま

「セレーナ物音がしましたが…」

扉が開いて今度は男の声がする
女は片手で押さえられると判断して、ナイフを其方側に構えた
入ってきたのは緑のクーフィーヤを被った細身の男

「ジャーファルさんあまり来ると危ないですよ」
「…どうしてそういう状況にあるんですか」

盾にされているにも関わらず女は笑う
それがあの者を思い出して、吐き気すらする
思い返せば女のはずなのに一人称が"僕"とはどういうことだ

「お前は一体何者だ」
「質問が摩り替わってますよ。とりあえず1つ目から説明しましょう。ジャーファルさん此処は何処ですか?」
「シンドリア王国です。セレーナ、面倒だからと丸投げするのはお止めなさい」

シンドリア。その名は多少知識があれば一度は耳にする国名
確かに男女共に着ている服は大陸では見たことが無い

「何故私がシンドリアに居る。説明次第では斬るぞ」
「斬られたくないのでジャーファルさんどうぞ」
「…貴方はシンが連れて帰ってきたんです。マスルールが気絶させた隙に此処まで。彼是3日は眠り続けていて、それを世話していたのがそこのセレーナです。これで納得いきますか?」
「な…っ」

何故、どうして
という言葉は最後まで出なかった
本当に私は陛下にとって不要の者となってしまったのか

絶望がじわじわと心を侵食する
ふと腕の中の女と目が合い、女はまた微笑んで心地良い声で言葉を紡ぐ

「シンドリアは悪い所ではないですよ。目覚めたなら後はお任せしますね」
「こら、セレーナ。…ちゃんと持ち場に戻るんですよ」

腕の力が弱まった隙にするりと女は逃げ出した
残された私は男を真っ直ぐに見据える

「祖国へ帰るための船を寄越せ」
「それは出来ません。私はシンより貴方を国から出すなと言われています」
「私がこうして寝ている間に侵略されたらどう責任を取るんだ!!」

叫んでからハッとして口許を押さえる
自国の情勢を易々と口走るなんて失態にも程がある
男はそんな私を見て冷めた視線を送った

「居れば侵略を防げますか?自惚れもよいところです。武官1人居なくなって滅ぶ国なんてたかが知れてます」
「…貴様何と言った」
「貴方が居ても居なくても一緒です」

床を蹴り勢いよく飛び掛る
ナイフを脇腹に向かって下から捩じ込むように突きつける
身を捩って避けられたと思えば、袖口から錘が私に目掛けて飛ぶ
腕に巻き付き錘と繋がる紐を切って距離を取った

頬に微かな痛みが走って薄皮一枚切れたことに気付く

「ああ、前掛けが」

落ちた前掛けと錘を男が暢気に拾う
その表情は先程垣間見せた蔑んだモノとは一転していた
この国に者は皆、そうして得体の知れぬ何かを宿しているのか

「――貴方はシンドリアの食客です。事態を好転させたいのであれば付いて来て下さい」

淡々と男が述べて部屋を後にする
薄っぺらい笑顔が気持ち悪い
しかし状況を完全に理解できぬまま祖国に帰ることは不可能だ
私はナイフを袖にしまって後を追った



「此処が黒秤塔、左側に見えるのが銀蠍塔。貴方がよく使うのは此方でしょうね」
「奥の塔はなんだ」
「赤蟹塔です。貴方には必要のない場所です」

位置関係からして大凡軍事系統の物といったところか
王宮内を見て分かったのは、この場から去るためには白羊塔を通らねばならぬということ
そこに武官は少ないがこの男は頻繁に居るようだ

白羊塔付近を立ち入った時、文官武官問わず幾人の者が男に礼をした
文官のように思える者と同じ服を着ているならば、奴の役職は基本的には文官なんだろう
しかし、部下の態度や私との交え方から考えてそれだけではなさそうだ

思った以上に此処から去るのは難しい
適度に見てまわった後、白羊塔の元へ戻る

「緑射塔に侍女がいますから部屋は其方に聞いてください。私は仕事がありますので」
「部屋など要らぬ」
「抜け出そうとするのは勝手ですが、此処には私だけでなく貴方を気絶させたマスルールも居るってことをお忘れなく」

そう言われて赤髪の男を思い出す
奴に気絶させられた、実戦であれば確実に死んでいた
一刻も早く祖国へ戻りたいが負けたままというのも気に入らない

私はすぐさま赤髪の男を探しに出た
広い王宮内で、目立つとはいえ人1人探すのはそう簡単なことではない
忘れかけていた体の痛みが増してきた頃、どこからともなく歌声が聞こえた
誘われるように音の元へ向かうと介抱したという女が歌っている

「―――っ、と。こんばんは、どうしました?」
「…宮廷音楽家か」
「そうですね…平たく言うとそうですが、色々兼任しています。そういえばお名前聞いてませんでしたね。僕はセレーナ・アイオスと申します。美しい翠色の瞳をお持ちの貴方様のお名前は?」

傅き私の手を取りすらすらと言葉を述べていく
その光景があまりにも綺麗で、同時にこの世のものとは思えず気持ち悪くもあり、私は手を振り払った

「私はピューガァマ国廷臣、翡翠だ」
「随分遠くからいらしたんですね」
「自ら望んで来た記憶は一切無い」

私が強く言い放つと女は口許を袖で隠してくすくすと笑った
その仕草は女性的で、やはり一人称以外は女性のように思える

「お前はこの国の者か」
「いえ、僕は貴方と同じ食客です。といっても武術とかはさっぱりなのですが」
「…誰が、誰と同じだと…!?」
「えっ!しまったコレ失言…っうわぁ!」

あくまでも私は一時的にこの場に居るだけで、シンドリア国の食客になったつもりは毛頭無い
それを女は親近感を持ちながら笑顔で語り出す
少しばかり苛立ったので、ナイフを顔の横にでも突き刺そうと振り下ろした

バキンッ!――と金属の折れる音が響く

宙を舞ったナイフの先端は大きな掌が受け止めた
その者の背には女が顔を輝かせている
つられて視線を上に向かせれば、赤い髪が目に留まった

「マスルール様!」
「貴様は…!」

私と女が叫んだのはほぼ同時だった
マスルール、そう呼ばれた赤髪の男はナイフの先端を床に捨て、女の方へ向き直り頭を撫でる

「大丈夫か」
「平気です、ありがとうございます。あの方がお目覚めになりました」
「…?」
「忘れたとは言わせぬぞ!祖国ではよくも陛下に無礼を働いてくれたな!」
「ああ…あの時の武官か」

表情を全く変えずに男が言う
どうもこの国の者は私の神経を逆撫でするのが好きなようだ
しかし飛び掛かろうにも武器は無い
素手で挑んで勝てる相手ではないことは、先日の一件で承知している

「マスルール様、この方のお名前は翡翠様です」
「そうか」
「借りを返すため私と試合しろ」
「それは無理だ」

男が首を横に振る
問い詰めようとすると、外から鐘の音が聞こえた
私が驚いている間に男は女を抱き上げていた

「僕達用事があるんで失礼しますね」
「おい、待て…っ」

笑顔で颯爽と去っていく
とてもじゃないが追いつける速さではない
苛立ちを抱えながら、床に投げ捨てられていたナイフを拾って緑射塔へ向かう
文官の男が言ったように侍女が居て用を頼めばほぼ何でも揃った

この国にある他国の衣装を全て持ってこさせ、その中から自国に近い物を選ぶ
私がそれまで着ていたのはシンドリアの文様が入った服だった
食客ではないと言い張るために、この国のような物は身から徹底排除する

幸いにも身につけていた物、結い紐や剣などは此方にあるようだ
侍女からそれらを受け取りベッドの傍に置いた

上官と思わしき役職名から食事の誘いがあると告げられたが、それは断り部屋へと引き篭もった
窓から眺める月は、祖国と変わらず輝いている



陛下、私の何がいけなかったのでしょうか
貴方様のためだけに生き、そして死ねるのなら喜んで命を絶つというのに

女の身でありながら武官として生きる姿が愚かだったのでしょうか
しかし私にはそれしか生きる道が無かったのです
昼間のあの宮廷音楽家のように、美貌を携え微笑むことは出来なかったのです

愚鈍な私には、やはり貴方様の崇高なる考えは理解出来ません
もう一度会い見えてお言葉をお聞かせ下さい
必要ないとはっきり仰られたその時には、私は自ら命を絶ちます故に



月を見上げながら心に堅く誓った
痛む体をベッドに沈め、数夜前の日々に思い馳せながら瞳を閉じた






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