「陛下、失礼します」

大広間に通され絨毯の上を闊歩する
両脇には武官、文官がずらっと並び此方を凝視する
最奥には陛下が鎮座されている

「お久しゅう御座います、陛下」

両の足を折り指先は立てて足の裏は付けずに腰を下ろし、右手は左胸下へ、左手は背後に回し軽く握る
無理を言って左腕の包帯達は巻き直さなかった
弱さを見せればそれが命取りとなる

「翡翠か…何故帰ってきた?」
「…此度は多大なるご迷惑をおかけしたこと、深くお詫び申し上げます。つきましては私が身を寄せていたシンドリア王国より使者をお連れするため、一時帰国いたしましたことをお許し願いたく」

視線が一斉にジャーファルに向けられる
シンドリアの礼に則り両手を胸前で組んでいたジャーファルは、それを解いて裾より文を取り出した
布に巻かれたそれを丁寧に文官に手渡し陛下へ取り次がれる

「我が王シンドバッド国王陛下より承りました物、確かにお渡しいたしました」

真面目な表情でジャーファルがそう告げると、陛下は僅かに渋い顔をされた
恐らく文の内容は私についてだろう
国外へ私を匿うための一芝居
それが明るみに出たことは、陛下としては知りたくない事柄

「ご苦労であった。歓迎の宴を催そう」

おお…!と周囲から歓喜の声が漏れる
何を喜んでいるのだ。税制が悪化している最中、これは逆に民の不信を買い、他国に対して油断を見せることとなる
使えぬ者共に頭が酷く痛む

しかし此処で私が苦言を申し出ることはできない
陛下と私以外、この国の者は私を追放された者として見ているのだ
本来ならばこのように謁見を申し出ることすら無礼極まりない

「それでは此方へどうぞ」
「有難う御座います」

促されるままに貴賓室へ通される
後に私もついて部屋で待機する

「弱りましたね…」
「財政難の心配なら要らん世話だ。お前は今から愛想笑いの準備でもしておけ」
「それもありますが、侵略に対しての秘策は今夜行うのではなかったのですか?」
「…しまった」

別に忘れていたわけではないが、ジャーファルが宴に出れば必然的に私も仲介役として出席する
普段はあの様な華やかな場には出ず、武芸を見せる時以外部屋に引き篭もっていたので、今回もそうしているつもりだった

「仕方ない…宴の最中少しで良いから席を外せるか?」
「最善は尽くします。ちなみに秘策というのは――」

問い尋ねられたのと扉が開いたのは同時だった
半ば強引に宴会場へと連れられ、その目を疑った
肉や野菜、米や果物や酒は勿論のこと、内陸部である我が国では手に入りにくいはずの生魚まで用意されている

「さあさあ文官殿は此方へどうぞどうぞ」
「え、いえ私は…」
「遠慮なさらずに。ささ、おひとつ」

私利私欲に飢えた文官共にジャーファルは連れて行かれた
近くに寄れば邪険にされるだろう
そう考えて少し離れた位置で行動を見守る

「翡翠様」

半刻程経って、武官の1人が私の傍に来た
門番を担い取り次いでくれた方だ
私を疎んじる者が多い中、珍しくも慕ってくれる者だ

「なんだ」
「いえ…ご無事でのご帰還を果たされて本当に…」
「留守中の状況は」

無事ではあるが無傷ではない
という言葉は言う気も起きなかった
それよりも居なかった期間の煌帝国の動向が気にかかる
私が問えば、武官は眉を寄せ表情を険しくした

「一介の私程度の者には断片的な情報しか降りてきませんが…芳しくありません。翡翠様が行かれてから諸外国の動向も怪しくなっております」
「そうか」

眉間に皺を寄せる
危惧していた事態が徐々に起こりつつある
早急に手を打たねばならない

視線をジャーファルに向けると、運良く目が合った
瞬時に扉を指差し一足先に出て行く
月が僅かに出始めた中庭で佇む


ざぁ…っと生温い風が吹いた


「またお前か」

風に揺れる黒髪は私だけのものではない
息が吹きかかるほどに近寄っている、赤い瞳の男の髪もだ

心底嫌そうに呟けば、奴は笑って宙に浮いていた身体を地面に降ろした
相変わらずよく分からぬ魔術を使う

「よぉ!翡翠。最近見ねぇから心配してたんだぜ?」
「つまらん身の上話をしに来たのではない」

いつからだっただろうか
奴が好き勝手王宮に入り込むようになったのは
初めて見た時は、警護に当たっていた武官を全て薙ぎ払い地に平伏させていた

当時の私は上官が止めるのも聞かず特攻し、奴を覆う何かに弾き飛ばされた
それでもめげずに攻撃を続け、何十回目かの時ようやくそれに皹入った

私よりも奴の方が驚き、そして嬉しそうに笑っていたのを覚えている
以来、週に1,2度此方へ赴いてくる
名を聞いてもはぐらかし、ただひたすら迷宮攻略をしろとだけ告げてくる

「じゃあとうとう迷宮攻略でもする気になったわけだな」
「話を聞け。お前は確か煌帝国とも縁があったな?」
「あん?んー…まあ、なくはないけどよ」

数ヶ月前に似つかわしくない団扇を持っていたので聞いたところ、煌帝国の者から盗ってきたと言っていた
それは庶民が持てるほど安い物ではなかった
最低でも中流以上の権力者。もしくはそれに従う者の所有物
そういった者と交流があるならば、上手く行けば

「我が国への侵略行為を食い止めてもらえないか」
「…なんで?」

至極真っ当な気もする返答だが
何故かそのおとぼけた顔が憎らしい

「弱い国が負けるのは当たり前だろ?俺戦争好きだし、やだね」
「では問いを変えよう。お前は私が好きか」

この質問に奴は腹を抱えて笑った
若干馬鹿にされている気がしなくも、ない
剣を抜くかと手をかけた時奴は口角を吊り上げた

「好きだぜ。強い奴は皆好きだからな」
「なら話は早い。私はこの国が負け万が一でも陛下が命を落とされた時、共に死する覚悟だ」

意地悪く笑いながら顔を寄せていたのが止まる
やや苛立ったような表情が眼前に広がる

「提言せず戦争を起こし我が身諸共滅ぼすも、一時であれ取り止めを頼み生き永らえさせるも、全てはお前次第だ」


風が奴と私の僅かな隙間を吹きぬける
真っ直ぐ見据えていた奴の表情が変わったのはその時だった


「じゃあこれ前金な」

丁度負傷していた左上腕を掴まれる
痛みに顔を顰めるより早く、唇が塞がれた

何、が

「まあ頼んどいてやるよ。現皇帝はあんま好きじゃねーけどな」
「お前…っ「ジュダル!!」

驚く私の声を掻き消したのは、ジャーファルの叫び声だった
容赦なく向けられた錘を避けることなく弾き飛ばし、奴はふわりと宙に浮いた

いや、そんなことよりも
ジャーファルが今発したのは、確かに

「ばいばい翡翠、またな」

出会った時と同じように屈託のない子供のような笑顔で
奴は、…ジュダルはその場から去っていった



「…すまん。私が愚鈍であった」
「いえ…」

後を追ってきたジャーファルはそれ以上何も言わぬ
その後姿がやけに遠くに見えて、少しばかり手を伸ばした
官服に触れる手前で思い留まり右手を戻す

「まさか翡翠の知り合いがジュダルだったとは……考え直せば、あり得る話でしたね」

此方を見ずに言葉を投げかけられる
瞳を伏せてジュダルを思い浮かべる

奴に好かれていることが原因で、私は多方面に迷惑をかけていたというのだろうか
しかし、どこに行っていたか奴本人は知らなかった
後ろにいる煌帝国が糸を引いているのか

「翡翠」

宴会場の扉前でジャーファルが立ち止まり振り返った
間に1人分空けて、私も止まる
歩み寄られて官服の袖で唇を拭われた

「少しは用心してください」
「何を今更」

そう告げてから後悔した
ジャーファルは悲しげに笑って先に扉の向こうへ行った
罪悪感に似たものがぐるぐると渦巻く

「――らしくない」

己に向けて溜息を吐き、私も宴会場へと戻った
華やかなその場とは裏腹に靄がかかった心を持ちながら







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