憧れていた世界はあまりに眩しくて
そして想像以上に辛かった

私が助けた王子様は、別の人を命の恩人と思い込んでしまった
声をとられた私にそれを伝える術はないし
伝えたところで王子様が私に振り向いてくれる保障もない

1週間後の結婚式に私は泡となって消えてしまう

「…」

いくら頑張って月夜に向かって歌おうとも
もう私の声は届かない
お姉様達ごめんなさい
それでも私はあの人のお傍に居たかったの

波打ち際に座ってその音に身を寄せる
嵐の晩に助けた彼は、とてもとても格好良かった
そういえば他にも何人か助けたけど
中でも一際格好良かったのが王子様だった

豪華な装飾も
端整な顔立ちも
水に濡れた紫の髪も

どうしても忘れられなくて魔女に頼んで人間にしてもらったけれど
歩くたびに足は痛むし声はとられて喋れないし
やっとのことで王宮に入ったら、王子様は別の女性といちゃいちゃしていて
私のことなんて妹ぐらいにしか思ってもらえない

「…っ」

胸がとても痛い
人間はあちこち痛んで大変なのね
涙が溢れるのを止めたくて、痛む足で海に入った

この奥底の世界に帰れたらいいのに

でも王子様を忘れることなんてできない

出やしない声を張り上げて泣いた
人が来ても波で濡れたせいにしてしまえばいい
私の声は出ないのだから、すぐに顔を戻せばバレやしない

砂を踏む音に口を閉じる
海水を掬って顔に浴びせた
振り返ればそこには人がいる

よく王子様の隣にいる人
お話ししたことは勿論ないし、名前は…ああ、王子様がマスルールと呼んでた
それぐらいしか知らない人

互いの姿を見つけてしばらく見合う
彼が動いて近くにやってきた

「…寒くないんスか」

首を横に振る
体は確かに冷たいけど、心が痛いから平気
見ている彼からしたら寒いのかな
そう思って海から出て砂浜に座る

「よく、此処に居ますよね…」

今度は頷く
悲しいことがあると此処に来た
嬉しいことがあっても此処に来た
届かない声でお姉様達に教えたかったから

「…」
「…」

沈黙が続く
話しているところをあまり見なかったから、きっとこの人はあまりお喋りしないんだ
何より私が喋らないし
それでも返してくれたのは王子様ぐらいだった

その日はそれ以上何も話さず、彼に送られて城に戻った
あと数日で私は消えてしまう
なんて思うと翌日から私はずっと王子様の傍に居た

「…あまり傍に居られるとシンの仕事の邪魔になるんですが…」
「俺は別に構わないぞ?部屋が華やかになるしな!」
「なら手を動かしてください、手を!」

四六時中傍に居るものだから少し怒られてしまった
王子様はそれでも笑って庇ってくれる
ごめんなさい。もう少しで居なくなるから
最期の我侭くらい、許してほしいの

終業の鐘が鳴るから服の裾を引っ張った
振り返って覗き込んでくれるだけで、私はとても嬉しい
思わず笑い返すと頭を撫でてくれた

「ほらコイツがお腹空いたと言ってるし酒でも飲みに…」
「腹と酒は関係ありません」

言い争いが始まってしまった
止めたくておろおろしていると、優しい声が聞こえる
王子様が愛している素敵な女性
彼女が来るだけで部屋は明るくなって穏やかな空気が流れる

―――傍に、居たくない

甘く優しい王子様の声を聞きたくなくて部屋を後にする
…ほんの少しでいいから彼女の声が欲しい
私が貴方を助けたのと、それだけは伝えたい
ううん、いっそ彼女なんて居なくなってしまえ

どろどろとした感情が胸を渦巻く
嫌な人。後悔と未練でいっぱい
廊下を歩いていると昨日の彼に会った
会釈をすればじっと見詰められる

「…?」
「ああ…何もないです」

首を傾げればそう言って去っていった
どこからか花の良い匂いがして、誘われるがままに向かう
海の中にこんな物は咲いてなかった
一輪欲しかったけれど、綺麗に咲いているそれを摘むのは躊躇われた

泡になるってどうなるんだろう
魔女の言葉を思い返す

『もし王子が他の娘と結婚するような事になれば、姫は海の泡となって消えてしまう』

その後私はどうなるのかな
沢山条件を言われたから、そればかりに夢中で後の方をちゃんと聞いてなかった
意識はあるのかしら。それとも無いのかしら
王子様の姿はずっと見れる?幸せだけど、辛いなそれは

また涙が出そうになって慌てて部屋に戻った
食事も取らずに部屋に篭っていると、いつの間にか寝てしまった
王子様と居れる貴重な日を無駄にした

しょげ返る私の目の前に花のベッドが広がった
中庭に咲く花が、綺麗に私の周りに置かれている
どれもこれも私が好きな花ばかり

「あらお目覚めですか?」
「…」

お手伝いさんがやってきて微笑む
花を指差すと笑って教えてくれた

「とある方からの贈り物です。花瓶に移し変えますね」

花は丁寧に集められて部屋に飾られた
その中の一輪、昨日見ていた花を持って王子様の元へ向かう
きっと彼がしてくれたんだ

「お、どうした?その花」

目の前に差し出すと王子様はそう言った
きょとんとしていたのか、私の顔を見て不思議そうに首を傾げる
王子様じゃなかったのかしら
よく分からなかったけど、王子様は花を私の頭に付けてくれた

「そうだ。アイツのドレスを見てやってくれないか?同じ女性なら良い物も分かるだろう」

微笑む王子様はとても残酷に見えた
首を横に振りたかったけど、悲しむ姿を見るのも嫌で、仕方なく縦に振った
彼女の部屋で色んな人が笑いながらドレスを選んでいる
ぼんやりとそれを眺めて、時折尋ねられる「どうかしら?」に微笑んで頷く

涙は不思議と出なかった

夕方頃にようやく解放されて、急いで王子様のもとへ戻る
彼女はまだドレスを着替えているから今なら独り占めできるはず
そう思ったのに、部屋には王子様をいつも叱るあの人が居て、王子様も真剣な表情で話をしていた
…とてもじゃないけど入れない

項垂れて中庭に行く
そこには彼が居て、鳥に餌をあげていた
近寄ると気付いてくれて挨拶された

「…、…?」

頭を下げた彼から嗅いだことのある匂いがした
いつもより近寄って鼻を寄せる
部屋にある花と同じ匂いだ

「…!」

身振り手振りでどうにか伝えたくて、服をひっぱり頭の花を指差し、部屋のある方向を指差した
すると彼は気恥ずかしそうに顔を背けた
部屋に花をくれたのは彼だったんだ

「すんません、迷惑でしたか…?」

驚いたけれど迷惑なんかじゃない
勢いよく首を横に振ると、ほっとした表情になった
大きな手が私の頭を撫でる

王子様とは違う手
不思議と嫌じゃなくて、どうしてだか俯いた
それを嫌だと勘違いしたのか手が止まって離れた

違うんです!とは言えなくて
手を掴んで自分の頭に乗せた
まるで催促しているみたいだけど、伝えたかったから

そしたら大きな手がまた撫でてくれたから
嬉しくなって私は微笑んだ



私の過ごし方はそれから変わった
ずっとべったり王子様と居るのはやめて
忙しくなさそうなら傍に、忙しそうなら彼の所に
中庭や森や海や色んな場所に彼はいたけど、何故かすぐに見つけれた

話をすることはないけれど
花を摘んだり鳥に餌をあげたり、海で貝を拾ったり
私の部屋にはどんどん宝物が溢れ返った

けど、それも明日でおしまい

王子様が結婚したら私は消える
部屋で1人、私が明日着るドレスを眺めながら思い返す

嵐の夜に王子様を助けて
反対を振り切って魔女の薬で人間になって
色んなことを覚えたし、色んなことをした

嬉しい、悲しい、苦しい、好き、辛い、楽しい、寂しい

なんて素敵な世界なんだろう
海の中では退屈と楽しいが交互にくるだけだった

王子様との思い出をひとつひとつ丁寧に振り返る
でも途中からそれは彼との思い出に変わっていく
急に悲しくなって、私はドレスを放り投げた



どうしたらいいの
今になって気付くなんて

私は知らない間に彼のことを好きになっていたんだ

もしかしたらこれは王子様が愛してくれないから
近くにいた人を好きになったのかもしれない
でも、それでもこの感情は確かなもの

好き。好き。大好き
口を動かして声を絞り出すけど出るはずがない
消えたくないと思ってしまった
まだまだ沢山の場所に行って、彼と一緒に沢山の宝物を集めたい

怖い、怖いよ



気付けば私は海に来ていた
ばしゃばしゃと中に入っていくと、懐かしい声がした
遠く向こうにお姉様達が居る

「セレーナ!ああ…」
「どれだけ心配したと思ってんの!ばか!」
「泣いているの?王子様は?」

近寄ってきた姿が信じられなくてまた泣いてしまった
問いかけに首を横に振ると、一拍置いてからお姉様が何かを差し出した
それは月光に反射して妖しく光るナイフだった

「これで王子様の心臓を刺しなさい」
「王子様の血を足に塗れば、アンタは人魚になれるの」
「泡にならずに済むんだから!」

私が、王子様を殺すの?
お姉様達は必死に説得してきて、私にナイフを渡して去って行く
おぼつかない足取りで部屋へ帰る

王子様を刺せば私は消えずに海に戻ることができる
ぎゅっとナイフの柄を握って瞳を閉じた



翌日、式の鐘が鳴り響く
私は貰ったドレスを着てナイフを手に会場へ向かう
沢山の人が祝福して花が舞う

王子様が控えている部屋へ向かう廊下が長く感じる
服に忍ばせたナイフを手に扉の取っ手を握る

「…、」

握った手を離して私は海へと走った
出来やしないの。そんなこと
分かりきってたことよ

私が王子様を愛していたのと同じくらい
彼にとっても王子様が大切な存在だなんてすぐに分かった
だから王子様を殺して私だけが逃げるなんて卑怯な真似できない

なによりも私の幸せは、彼と一緒に過ごすことなんだから

それが出来ない世界なんて
退屈すぎてきっと溺れ死んでしまう

ナイフを放り出してドレスに沢山の石を詰めて海へと入っていく
泡でもいいの、私は。楽しかったから
海中に沈んでいく私の意識は遠退いていった

さよなら、愛してます

この世界も王子様も貴方も
お姉様達ごめんなさい



誰かが私の手を引いた
空気のように体が軽くなっていく
ああ、きっと泡になっていってるんだ



「―――っかりしろ!」

光差す場所に私は居た
そこは天国でも何でもない、ただの砂浜
びしょ濡れになった彼の姿が目に入る

「…気が、ついたか…」
「…どうして…?」

ぼんやりとした意識の中、私は確かに声を出した
その声に私も彼も目を見開いた
声が出ている。ううん、それよりも泡になっていない

「お前が、昨晩海に行くのを…見た」
「っ、」

体を起こされそう言われた
肩が大きく跳ねたのが自分でも分かる

「あの日助けてくれたのは、お前だったな…」

顔に纏わり付く髪を除けながら彼が言う
確かにあの嵐の晩、私は王子様を助けたけれど
思い返していくと他に助けた人の中に、彼のような姿があった
今みたいにびしょ濡れで髪が降りた彼の姿が
姿を、見られてただなんて思いもしなかった

「私…王子様しか見えてなくて…」
「…知ってる。シンが好きなんだろう」
「けど、貴方のことも、好きなの…ううん、王子様より傍に居たい」

身勝手な女と思われるかもしれないけど
伝えずには居られなかった
顔を両手で覆って泣きじゃくる私に、大きな手が頭を撫でる

「…もう一度、言ってくれ」
「――貴方のことが、マスルールさんのことが、好き、です」
「ああ…」

手を外され口付けられた
まるで夢でも見ているみたい
本当は泡になっていて、幸せな夢を見ているのかもしれない

そんな私を現実に引き戻す声が聞こえた
昨晩と同じ、お姉様達の声

「セレーナ!良かった無事だったのね」
「間に合ってよか…きゃあああ人間いたああああ!!!」
「落ち着きなさい!こうなったら仕方ないわ。セレーナ、よく聞いて」

思い思いに騒ぐお姉様達から話を聞く
私の脱走がお父様に知れ渡り、魔女にどうにかならないか問い詰めたところ
呪いを解くことはできないが新たな呪いをかけることはできる
それは王子様が誓いのキスをするより早く、私がキスをするということ
人魚に戻ることはできないが、人間としてはどうにか形を保てるとか

「だからこの際そこの人間でいいわ!」
「さくっとしなさい、さくっと!」
「…あのね。お姉様」

恥ずかしいけれどさっきの事を告げた
歓喜の声をあげるお姉様、失神するお姉様
多種多様な反応で迎えられた

「まあ…セレーナが幸せならそれでいいか」

どのお姉様も最後にはそう微笑んでくれた
彼を、マスルールさんを見て私も微笑むと頭を撫でられる

「行きなさいセレーナ。王子様の結婚式に遅れちゃ駄目よ」
「アンタうちの可愛い妹泣かせたら承知しないからね!」
「…はあ。大事にします」

お別れを言って2人で式場へ向かう
足は、もう痛くなかった

魔女のかけた呪いが、キスをする度に人間と人魚になるというものだったのは、また別のお話




The Little Mermaid
(王子と結ばれなかった人魚の裏話)




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