昼前から降り出した雨は、時間が経つにつれ酷くなっていく
昨日は焼け付くぐらい輝いていた太陽も今日はお休み

「あーっ紙が丸まる!」
「雨が無いと水不足で困りますが、降っても困るんですよね…」

私の文句にジャーファルさんも同意した
湿気を含んだ紙は書きにくいことこの上ない
ただでさえ難儀な仕事を抱えている私は、イライラが人一倍くる

「少し休憩にしましょうか」

見かねたジャーファルさんの一言で皆休憩に入る
同僚がくれたお茶を啜る

終わらない仕事や雨も不調の原因のひとつだけど
根本的な原因はまた別にある

窓の外に目をやる
雨だというのに忙しなく色んな人が動いている
遠くにある銀蠍塔ではきっと、シャルルカンやアリババ君が頑張っているんだ


そして、もっと遠くでは


頭を振って考えるのを止めた
空になったカップを置いて、仕事に戻る
雨は終業の鐘が鳴っても降り続いた



王宮から自宅までの道のりを雨に打たれながら走る
傘を持ってないわけじゃない
ただ差したくなかっただけ

「セレーナさん…?」

雨音が響く中声がした
立ち止まってそちらを向く

向かなきゃ良かったと後悔する

「モルちゃんこんばんは」
「あ…っ、風邪ひきます…」

慌てて彼女が駆け寄る
それと一緒に高い位置にある傘が動く
私はさっと2,3歩後ろに下がった

「平気だよ。ごめん洗濯物干しっぱなしだから、じゃあね!」

背を向けて水溜りを踏みつけていく
モルちゃんごめんね、と心中で謝った

きっとモルちゃんは心配してくれて、追いかけますか?と話しかけるんだ
隣で傘を持って、少しだけ怒ってるマスルールに

自宅についてびしゃびしゃになった衣服を絞る
水を吸った布は重く、肌に纏わりつく

「――…大人気ない」

相手は14歳の女の子だというのに
私はあの子に嫉妬して、マスルールに八つ当たりをしている

とってもいい子。それは知ってる
だからこそ憎み切れなくて自分が汚く思えて辛くて
もういい大人なのに、何してるんだろう



ファナリス、だから
力が強くて普通の人間じゃ歯が立たない
故に少しだけ周りから浮いていた

マスルールもそれを理解して、自分から他人と関わることはなかった
私はそれが不思議で、違うということが面白くて、鬱陶しいほどまでに彼に付き纏った

彼が時折見せる表情が好き
無愛想な中にある優しさが好き

それが自分にだけ向けられていると知った時、もっと好きになって愛しくなった

少しずつ彼を尊敬する人が増えた
慕う人が、親しい人が、どんどん多くなっていく
でもマスルールはいつだって私に優しかった

大丈夫だと思ってた
彼からの愛情は自分にしか向けられないって
根拠のない安心をしていた



「弟子…ができた。俺と同じファナリスで、モルジアナっていう…」



そう言ったマスルールの瞳がどれだけ優しくて、どれだけ温かかったか
私は動揺を必死に隠して笑うしか出来なかった

嬉しいに決まってる
同じ民族、それも故郷では会えなかった数少ない仲間
自分より幼い女の子であれば、妹のように可愛がるのは当然のこと

盗られただなんて感じるのはお門違いだって、分かってるのに

「私がファナリスだったら、ああやって、」

言いかけて止めた
仮定の話をしたって虚しくなるだけ

きっと私がファナリスでも、モルちゃんのようにはいられない
あんなに心身共に強い女の子なんてなれるはずがない
同じ民族だから、だけじゃなくてモルちゃんだから、マスルールは傍に居るんだ

ズッと鼻水を啜る
服を全部脱ぎ捨てて、全裸でベッドに潜り込んだ
雨が落ちる音の分だけ心が重くなっていく

あれが空の涙で、心を清い洗い流してくれるなんて嘘だ

悪態を吐いて瞳を閉じた
明日も仕事を、しなきゃね





目が覚める。ぼーっとする
朝がやや苦手だから覚醒しようと頭を振る
視界が揺れて気持ち悪くなって、もう一度ベッドに沈んだ

「やばい…」

風邪を引いてしまったかもしれない
自分の手を額に当ててみるけど、どちらも熱を持っていて分からない
王宮に連絡しないと、仕事が

仰向けになる
天井がゆらゆら動く

ほっとしている自分がいた
私は仕事。マスルールは修行
その傍にはモルちゃんがいて、2人は終わるまで傍にいる

私は終わっても居られない
羨ましいと願うだけ
だったら何も考えず眠っていたほうが、気持ちは楽だ
布団を深く被り直して睡魔に身を任せた
何も、考えたくなんてない





気付くと空が赤い
夕方まで一度も目覚めず、眠りこけていたらしい

隣を見る
誰もいない

この家には私しかいない
私が風邪を引いたことも知らず、きっと今頃

「〜っ、ばか!」

咄嗟に枕を扉に向かって投げつけた
居もしない人間に当たるはずもなく、音だけ響かせて床に落ちる
私の格好は寝た時と同じ全裸のまま

誰もいない。誰もきていない
私は1人で独りでただ眠っていただけ

涙の所為か風邪の所為か
大量に出てきた鼻水を、適当なタオルで拭く
それをぐしゃぐしゃに丸めて捨てた

もう一度眠ろうと横になる
自分の温もりしかないベッドは、とても寒い

「マスルール……ごめん、ね…」

自業自得の寂しさに耐え切れず呟いた
お腹も空いたし、頭も痛い、意識だってまだぼんやりとしてる
だけど何より心に開いた穴が痛くて苦しい



遠くで賑やかな声がする
皆が笑って何かを話していた

楽しそう。仲間にいれてくれないかな
私は駆け寄る。だけどどんどん遠ざかっていく

マスルールだけが私を見た
謝らなきゃと思ったのに、口が上手く動かない
そんな哀しそうな顔をしないで

待って!ちゃんと謝るから!
寂しかっただけ、怖かっただけなの
馬鹿って罵られてもいいから置いていかないで

必死に伸ばした腕が何かを掴んだ
それはマスルールの衣服で、私はすぐさま身体を近付けて、ぎゅっと彼を抱き締めた

「ごめんなさい、ごめん…お願いどこにも行かないで…!」
「――…セレーナ…ちょっと、離れろ」
「怖かったの!馬鹿みたいなことしたって、自分でも分かってる…何でもするから、だからまだ傍にいさせて、離れたくない…」

私を引き離そうとする彼にもっと強く引っ付く
だけど最後には離されて、布団を被せ巻き付けられた

…布団?

「とりあえずこれを着てくれ…」

マスルールがそっぽを向いたまま服を差し出した
私はそれを受け取らず、視線をあちらこちらに向ける
見慣れた私の部屋。私のベッド

夢と現実をごっちゃにしてたんだと気付いて、顔に熱が集まった
悲鳴をあげて布団を頭から被り亀のように蹲る

微かな隙間から服が捩じ込まれた
パニックを起こしつつも、それに身を包む
意を決して片腕だけ出した

「マスルール…?」
「ああ」

恐る恐る尋ねた声に返事がある
そこに居る。誰かが居る

手をとられて掌から温もりが伝わる
こっそり覗けばベッドに座った彼が私の手を握ってた
じんわりと、何かが広がっていく

布団から出て傍に寄った
緩く抱きしめられて、少しだけ涙が出た
それすらも温かくて優しい

「ごめんね」

驚くほど素直に出た言葉は溶けるように消えた
マスルールは何も言わない。でもちゃんと此処にいる

突き刺さって雁字搦めになっていた棘が、鎖が、ゆっくりと涙に変わる

ごめんねの声はもう出てこない
嗚咽すらも響かない
ただただ、涙だけが頬を流れ落ちていった

「…明日、モルジアナに会ってやってくれ」

私を抱き締めたまま彼は言う
彼に縋りついたまま私は頷く

「心配していた。アイツも、ジャーファルさんも、…俺も」

窓から見えた空は澄み切って
漆黒の夜空に星が煌々と輝いていた










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