(※リクエスト夢ですが、シリーズの続き物になっています。
邪な乙女に清き口付けを/「花みたいな笑顔が好きです」をご覧の上お読み下さい)





石鹸の泡塗れになった掌を見詰めながら衣類を洗う
誰にも話しかけられることなく、また話すことなく仕事をこなす
洗い終わった物を干しに立ち上がると声が聞こえた

私は声の方向を一瞥だけして、何事も無かったかのように歩き出す
あの首飾りはまだ返ってこない
それはもういいと思っている。でも、腹立たしいことに変わりはない

少し曇った空の下、小気味良い音を響かせて服を干す
遠くにマスルール様の姿を見つけた
ふと、目が合って会釈をすれば返ってくる

「………」

それだけで今日1日頑張ろうと思える
例え、私の立場が危なく、虐げられているとしても





「でさ、そこで兵士をも突き飛ばして」
「へー…か弱そうに見えてねー」

箒を無言で動かし床を掃く
もうそろそろ陰口にも慣れてきた

目立たなかった私がとある件で人に名と顔を覚えていただき
今度はくだらない件で悪名を知れ渡らせることになった

本当の事を誰かに言ったとしても無意味だと思う
私は友達が少ないし、此処まで広まったならば放置するのが一番だと考えたから
自分の持ち場を終わらせて報告し休憩を貰う

誰も居ない中庭の木陰で休むのが最近の日課

そよそよと吹いていた風が止む
ふと隣を見ると、いつの間にかマスルール様が居た
私の隣に腰を下ろされぼーっと空を見上げている

「…辛くないですか」
「――マスルール様は、本当にお優しい方ですね」

こんな端女を気にかけてくださるなんて
辛くない。と言えば嘘になるかもしれません
でも、こうして合間合間に貴方が気にかけてくれるから、大丈夫です

じっと私を見詰めるのに気付いて顔を向ける
ほんの少し前までは考えられなかった距離
あの頃は近くに居ても遠くて、マスルール様は私のことなんて全然知らなくて

それを思うと嬉しさと恥ずかしさが込み上げてきて
私は慌てて顔を前に向けて話題を変えた

「お、お仕事は宜しいのですか?」
「まあ…先輩には鍛錬付き合ってやるとは言われましたけど」
「でしたら銀蠍塔へ向かわれないと…」
「此処に居る方が楽なんです」

驚いて目を見開いていると、小鳥が数羽やってきた
うち1羽がマスルール様の膝に乗って、暢気に羽を毛づくろいしている
その光景があまりにも可笑しくて私は小さく笑った





幸せを少しでも感じると、後のことは全て不幸に思えてくる
人間は欲深くて醜い。距離が縮まればその先を望む
そしてささやかな幸せでは我慢できなくなる

日を追うごとにマスルール様への気持ちは大きくなって
いつ何時うっかり想いを告げてしまわないか、はらはらしながらも休憩時間を楽しみにしていた

けど、ある日マスルール様はいらっしゃらなかった

1日だけならお忙しいのだと思えたそれは数日間続く
王宮内に居ないわけではないのに、私は彼を見つけられない
私の心を映すかのように空もどんどん曇って行く

「雨が降りそうだねぇ…今日は室内に干すよ!」
「はーい」

どんよりとした曇り空
元気の無い返事をして、私はまた洗濯を行う
今日は私に対する言葉が無いなと思った矢先だった

「知ってる?マスルール様彼女出来たんだって」
「本当!?」
「超美人で優しくて、ちらっと見たけどお似合いだったよー。なんか姫と騎士って感じで!」

心臓が締め付けられるように痛んだ
それでも手が止まらないのは、憎らしいまでに染み付いた慣習の所為
私が所詮ただの侍女だと知らしめる行為


そう、だから最近いらっしゃらなかったんだ
仕方ないことですよね。彼女が出来たのなら、勿論そちらに構われる

馬鹿。馬鹿ね、だから期待しちゃいけないって何度も言ったのに
2,3度優しくされたぐらいで舞い上がるなんてお門違いにも程がある
マスルール様はとても優しい方だって、知ってたじゃない


黙々と手を動かす
固く衣類を絞り、部屋に干して行く
ぎゅうっと力を込めて何枚も、何枚も

私の代わりに涙を流してほしいと思いながら、耐えながら

あまりに強く絞りすぎた服は、固くなったまま解れない
やっとのことで開いたそれに強く跡が残っていた
ぽたり、と絞ったはずの水が落ちた


もう駄目だわ私
慎ましやかに生きていけない

マスルール様が好きで、大好きで
でも本当に、初めは目が合うだけで大喜びしていたの
それがいつしか膨らんでいって抑えきれなくなって

名前を呼んでもらった
贈り物までいただいた
隣に座ってお喋りだってした

その口許から愛の言葉が聞きたいなんて


「石鹸が目に入ったので洗ってきます…!」

急いでその場から離れて外に出た
曇り空はまだ雨を降らしてくれない
早く、早くこの感情を洗い流してほしいのに

「やだ何言ってんの」
「駄目っすか」
「恥ずかしいわよ、そんなの」

顔を向けなければ良かった
宮中の廊下を歩く、マスルール様と女性の姿
踊り子だろうか。とても綺麗なお姿で、同じ女性から見ても美しいと言える人

恐らく10人が10人とも振り返る美貌
それが綺麗な弧を描いてマスルール様に微笑みかける
彼の表情は此方からはよく見えないけれど、声色は確かに楽しそうで

女性の立場に私を置いてみる
大して綺麗でもない顔に、髪に、良くも悪くも無い身体
真似して口角を上げてみたけどすぐに下がってしまった

ぽつりと頬に滴が落ちる

どうして今振り出すの
惨めすぎて笑いすら込み上げてくる
だけど本当に笑うことはできなくて、大雨の中私は大声で泣いた





一晩中泣き続けた私は風邪を引いた
仕事を途中で放棄した挙句、翌日高熱で魘される私に侍女長は溜息を吐いた
ああ、もう私の居場所はどこにもない

「これでも食べるんだよ」

ベッドの傍らに林檎が置かれた
呆れきったその声を聞いて、涙が出た
天井を向いたまま私は「ごめんなさい」と言った

「謝らなくていいからセレーナ。だからね、」
「ごめんなさい。私、辞めます」

驚いた表情が見えた気がした
起き上がる元気も、顔を向ける勇気も無くて
せめて涙だけは拭こうと思い袖で拭った

「辞めるってアンタ…どうするんだいこれから」
「――旅にでも出ようかと」

仕事に嫌気が差したとか
侍女長が嫌いだとかそういうのではありません
ただ私がもう、あの人の傍だけでは満足できなくなって
こんな醜い姿を見られるぐらいなら居なくなりたいんです

「女1人旅なんて危険だよ!考え直しなさい。此処なら仕事だってあるんだし…」
「私には、もう、お仕え、でき…ないんです…」

拭っても拭っても涙が落ちていく
それを見た侍女長がベッド脇に座り、私の頭を撫でた
撫でられるなんて思ってもない私は驚いて彼女を見た

「この間私が話を聞かずに怒ったのが辛かったのかい?」

ふるふると首を横に振る
確かに私の話を聞いてほしかった
でも、マスルール様に運ばせたのは事実だし、説教の途中に逃げたのも本当

「…辛い、んです。私、見てるだけでいいって思ってたのに、見てほしいって思って…見てもらえたら、今度はもっと傍に居たいって、次はもっと知りたい、知ってほしい、私だけをって…!」

優しく頭を撫でる手が動いて、私を起こし抱き締めてくれた
母親のように包み込む温かさにそれ以上は言葉に出来なくて
ずっとずっと、汚いも綺麗も考えず泣いた

「辛い恋をしてるんだね…」
「ふぇ、うぁ…っ仕事、だけが取り柄なのに、私それも出来ないなんて、侍女である価値がありま、せん…っごめんなさい、ごめんなさい…」

熱でぼーっとしてきた思考を回転させて必死に謝った
侍女長は何も言わず、私が眠るまで抱き締め撫で続けてくれた





目覚めると林檎の他にいくつか果物が置いてあった
そしてメモ書きに、出れそうなら今日は来なさいと書かれている
熱はすっかり引いていたので仕事着に身を包む

本音を言えば行きたくない
でも辞めるならせめて挨拶にはいかないと
林檎を少しだけ食べて、長い廊下を重い足取りで歩く

「お姉さん顔色悪いけど大丈夫?」
「え…」

煌びやかな声に顔を上げると、あの日の女性が居た
ぼさぼさの髪に化粧気のない私と違って
昼間でもきっちり豪華に、それでいて厭らしくなく着飾っている

「だ、大丈夫ですっ」
「わ!ほらやっぱ危ないって」

頭を横に振るとくらっと倒れこみかけた
壁を支えに立っていると、女性が本当に心配そうに覗き込んでいる
その美貌にどんどん息をしてるのが辛くなる


苦しい。苦しい
私この人に嫉妬している
居なくなれって願ってる

居なくなったところで私はあの場所にいけない
臆病な私は願うだけで行動しない
こんな醜い私に告白されたところで
侍女如き人間が八人将に向かって何てことを

止めてください。お願い、止めて
脳内で響く声に気持ち悪くなる
分かってる。所詮侍女で、それも平々凡々な私が夢見るなんて馬鹿な話だって
だからこうして嘲笑われているんでしょう?
神様に嫌われて、酷い目見させられて、欲を持った分ささやかな幸せすら取られたんでしょう?


「あっ!ちょうどいいわ。この子お願い」

女性の声に現実に引き戻される
眩暈が酷くて、誰に何を言っているか分からない
身体が軽くなって風が頬を切るのを感じて、ようやく誰かに運ばれているのだと分かった

私は身じろいで自分の首元からあの首飾りを外した

「どなたか存じ上げませんが…これを、マスルール様にお返し願えませんか。私は、もう、侍女を辞めますので、お会いする機会がないのです…」

首飾りを差し出しそう言った
私を持ち上げる誰かがそれを受け取った気がして
「ありがとうございます」と微笑んで瞳を閉じた

規則正しく揺られているうちに眠ってしまったようで
瞳を開けると、医務室の方が居た
起きたことを侍女長に報告してくると去られる
また、怒られてしまうかな

「起きた?」

仕切りのカーテンからひょっこり顔を出されたのは侍女長ではなく先程の女性
驚く私に食べ物や飲み物がどんどん差し出される

「駄目よちゃんと食べないと。病み上がりならとくに」
「…あの、」
「侍女辞めちゃうの?」

どきっとする
ああ、運ばれていた時彼女も傍にいらしたのだった
私は小さく頷く

「好きな人に恋人が出来てしまった、とか」

言い当てられて私は閉口する
身体が強張ったのが彼女にも伝わったのか、微かに笑い声が聞こえた

「諦めるの?それで」
「貴女様には、関係の無いことです…っ」
「私なら奪うけど」

貴女からマスルール様を?
天変地異が起きても有り得ないわ
人の気も知らないで勝手なことを言わないで

普通のラインから外れられない私は
いつだって諦めて生きて行くしかなかった
時折訪れるささやかな幸せを噛み締めて、淡々と、生きて行くしか

「っ、遠い、遠い存在の方なんです!私如きが近寄っていいはずなかったのに、なのに私は不相応に浮かれて…周囲からも認められない私なんて」
「…彼がそれで良いと言っても?」

声を荒げる私に彼女は綺麗に微笑んだ
マスルール様に見せた、あの緩やかな弧を描く微笑を
あの日を思い出して八つ当たりしそうな私を無視して、彼女は閉じられていたカーテンを開いた

そこには、マスルール様が背を向けて立っていらして
彼女が背の鎧を数度叩いて、ようやく此方を向かれた

「―――っ!」

全部聞かれていた
そう思うと恥ずかしくて泣きたくて、掛け布団を手繰り寄せて顔を埋めた
何度も何度も「申し訳ございません」と呟くうちに、布団が取られて顔を無理矢理上げられる

「…気に入りませんでしたか」

少し不貞腐れたような表情で言われる
何のことだか分からなくて、私はぽかんと口を開ける
顔から手を離されて誰かに渡したはずの首飾りが差し出された

「すっごく、考えたんすけど」
「そうそう。女性に贈り物するなら何が良いかって聞かれて、全くこの男は。挙句なんだっけ?慰め言葉が『花みたいな笑顔が好きです』ってどうなの、それ。シンでも言わないわ」
「…やっぱアレが駄目なんすか」
「恥ずかしすぎて私なら「いいえ!」

思わず大声で否定する
2人とも驚かれていたけど、私自身が1番驚いた
でも、本当に。私はあの言葉がとても嬉しかった
笑顔が好きだなんて言われたのは初めてだったから

「私は…私は、マスルール様からいただいた、お言葉1つ1つが…とても、とても大事です」

俯く私の首元に何かが巻かれた
彼が持っていたはずの首飾りが、また私の所に戻ってきている

「っ、これっはお返しいたしますと、」
「なんでですか」
「こ…恋人様がいらっしゃるのに、こんな、端女に贈り物なんて…」

私が言葉を紡げば紡ぐほどマスルール様の表情は険しくなった
対照的に隣の彼女はどんどん明るい物になっていき、最後には笑い出した

「ほら見なさい!だから噂を少しは気にしなさいって言ってるの」
「はあ…貴女と恋人とか、もう、先輩と恋人の方がマシっすね」
「ちょっとそこまで言う?」
「あの、…お2人は恋人では」

勢いよくマスルール様が首を横に振った
女性はまだ笑っている
「勘違いよ」と言われて、かあっと顔に熱が集まった

「もっ申し訳ございません…!真偽の程を確かめずに出過ぎた発言をっ」
「…セレーナさん固いです」
「まだ侍女だもの。八人将にはそうなるわ。でも、もう辞めるのよね?」

その言葉に私は口を噤む
2人が恋人ではないと分かったところで、私はきっと変わらない
多方面にご迷惑をかけてしまったし、いつかマスルール様に本当の恋人が出来た時、恐らく私は同じ事を繰り返す
だったら今辞めてしまった方がきっと得策

「はい、今日侍女長にご挨拶に向かおうと」
「どうしても辞めるんですか」
「…はい」
「新しい就職先とか」
「いえまだ何も…」

本当に心優しい方で、その気遣いに嬉しくなる
最後の最後にまた綺麗な思い出ができて良かった
ばれないように顔を下に向け微笑む私の手を、マスルール様が取った

「セレーナさん掃除できますよね…?」
「え、は、はい」
「洗濯と料理と、繕い物と」
「一通りは……マスルール様?」

取られた手とまっすぐ見詰める瞳に体温が上がっていく
隣でにこにこと笑う女性が視界に入って、もう沸騰しそうなぐらい
パニック寸前の私に、マスルール様が小さく微笑むような表情を浮かべた


「俺の所に来ませんか」


いよいよ訳が分からなくなった私は、突然泣き出してしまった
自分では止めれなくて、慌てふためく2人に背中や頭を撫でられ、侍女長がやって来てからしばらくして止まった

「再就職先決まったようですよ侍女長さん」
「おや、そうなのセレーナ」
「っ、え、私はっ」
「詳しいお話は此方でしましょうか」

女性が侍女長を連れて部屋を出て行かれる
2人きりになって、私はマスルール様を見る
気恥ずかしそうにされる彼を見て、つられて私も視線を落とす

「私…何の取り柄も、ありません」
「…仕事一生懸命されてます」
「でもそれも、最近は疎かですし、美人でも何でもない普通の者です」
「?俺は笑った顔とか、綺麗だと思いますけど」

急にマスルール様がそんなことを言うものだから
思わず突き飛ばしそうになった
勿論私の力が彼に敵うはずもなく、その腕を引き寄せられ彼の膝の上に座らされる

「嫌ですか、俺専属で働くのは」
「あ…私、は」





パン!と音を立てて服を干す
籠1つしかない衣類を全て干し終え背伸びをする
その背中から声が聞こえた

「勿体無いのセレーナちゃん」
「あ…あれ?あの、お仕事は…」
「踊り子って存外暇なのよ。にしても何で断るのよ」

頬を片方抓られて問い詰められる
私は、マスルール様の申し出を断った
いいえ、正確に言えば言葉の意味どおりに受け取った

「分かってる?あれプロポーズよ、プロポーズ!求婚!」
「ひゃい…っ、存じ上げております」
「何で普通に本当にマスルール専属の侍女してるのよ貴女」

退職、というよりは移籍という形になった
マスルール様も最初は不服そうだったけれど
私はあの幸せを、まだ受け入れられる程強くない

「私は侍女ですから…いつか、マスルール様の隣に並んでも恥ずかしくないよう、そうなってから改めてお願い致します」

彼に告げたのと同じ言葉を彼女にも言う
ううん、と少しだけ納得いかない声を出してから、でもやはり綺麗な微笑みを浮かべた

「まあいいわ。幸せそうだし」

その微笑には負けるけども
私もにっこりと笑い返した
涙を流す暇があるならば、笑おうと思ったから

「セレーナ」

さん付けを止めた彼のことを、いつか笑顔で呼べるように





Your smile is my happiness.
(貴方の笑顔が私の幸せ)




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