翌日から私はいつもより少しだけ早く起きるようになった
毎朝化粧をして髪を結わえ、仕事だから服は官服だけど清潔感を忘れずに
マスルールと会わない日が2週間を越えた頃、シャルルカン様が1人で政務室にいらした

「どうされましたか、ジャーファル様なら只今席を外しておりますが…」
「あ、いやお前に用があってさ」
「私に?何か書類に不備の方が御座いましたか?」
「聞きたいことがあんだけど…」

周りをちらりと見られる
此処では言いにくい話なんだろうか
使われていない応接間へお通しした

「お前ってマスルールと付き合ってたんだっけ?」

付き合って"た"
その言葉にずきんと胸が痛む
…もう終わってしまったことなんだろうか
感情の変化が顔に出ていたらしく、知らない間に眉を顰めていた
八人将に向かってそんな顔をしてしまったことに慌てて頭を下げる

「いや…もし良ければ銀蠍塔に来てくれねぇか?」
「銀蠍塔に、ですか」
「恥ずかしい話部下が騒ぎ立てまくって鍛錬に身が入らなくってなー…」
「私が行くことでそれは解消されることですか?」

質問をすると一拍置いてからシャルルカン様は爆笑した
笑い転げる様に意味が分からなくて、つい声を荒げてしまった

「何故笑われるんですか!」
「悪ぃ!あー、ピスティに聞いてたけどマジ面白いわ。っと、そろそろ戻るから仕事大丈夫なら着いてきてくれ」
「…はい」

幸いにも仕事は今一段落着いている
シャルルカン様の後ろについて銀蠍塔へ向かうと、ざわめきが起こった
やはり武官と文官はあまり傍にいるべきではないと思う

「お前ら!気合入れてやりやがれ!」

雄叫びかと思うような返事が響き渡る
ただそこで立って見ているだけでいいと言われ、ぼんやりと鍛錬風景を眺める
あまり見ることのない光景

初めて見たのは、ジャーファル様に連れられて訪れたときだった
その時、彼が此処で鍛錬をしていた
珍しいことだとジャーファル様が言っていたのを覚えている

どんな猛者も薙ぎ払う姿にひどく感銘した
私が武官だったら、弟子にしてほしいと頼み込んだだろう
言葉を初めて交わしたのも此処だった
ジャーファル様に紹介され互いに名乗り、たった二言三言だったけど

王宮入りしたばかりの頃は、政務室と黒秤塔を行き来する生活を続けていた
時折、中庭で鳥に餌をやる姿を見た
ある日眠っていらしたから、風邪を引きますよと起こしたのがきっかけ

私が暇な時を見計らってやってきて
中庭でのんびりしたり、森の奥で不思議な植物を見せてくれたり
ただただ手を繋いでぼーっと夕陽を眺めたり

幸せ、だった

理論詰めの私と違って彼の行動は予測できなくて
思うが侭に動く姿が眩しかった
今こうして思い返すと、一目惚れだったのかもしれない

「セレーナさん!」
「ぁ、はい?」

感傷に浸っていて傍にいた武官に話しかけられ驚いた
知らない間に鍛錬場に上がっている人が変わっている

「次の相手に勝てましたら、是非自分と食事に行きませんか」
「…はあ」
「お前ずるいぞ!俺も、俺も頼みます!」

今の"はあ"は別に承諾の返事ではなく疑問の意味だったんだけど
事態の収拾がつかなくなって、困惑する
シャルルカン様に助けを求めようと見た先には、彼の姿があった

「お前ら約束取り付けるのはいいけどよ…相手見てから言えよ?」

鍛錬場に上がっていくのはマスルールだった
剣の打ち合いはあまりしないって言ってたはずなのに
いつも携えていた剣を抜き取って立っている
武官達を通り越して、私と目が合った

その目は酷く冷たくて、私はもうあの人の心にいないんだとそう思い知らされた

「――っ、すみません仕事がありますのでこれで!」

飛び出すようにその場を後にする
泣いちゃ駄目、泣いちゃ駄目
まだ勤務中なんだから公私混同しちゃいけない

頭では分かっているのに耐えられなくなって、人気のない中庭で私は蹲った

「ぅぇ、ふぇ…っ」

どんだけ頑張っても無駄だったんだ
彼にとっては終わったことで、足掻いたところで何の意味もなかった
1人頑張って馬鹿みたい

「ば、っかみたい、うぁ…っああ」

可愛くない泣き声をあげて泣いた
いくら人気が無いからって王宮内に人は沢山いるだろうに
それでももうどうでもよかった

醜いと、汚いと罵りたければ罵ればいい
私は悲しいんだ。寂しいんだ。悔しいんだ
何もしなかった自分が全て悪いんだから

感情の変化が乏しいからと片付けないでもっと表現すればよかった
だって今の私はこんなにも見っとも無く泣けているんだから
笑ったり怒ったり、もっともっとすればよかった

言葉だって沢山言うべきだったんだ
好きとか愛してるとか
恥ずかしいからなかなか言えなくて
そんな馬鹿みたいな恥ずかしさ放り投げて言えばよかった

「っ、好き、好きです、今でもずっと、ずっと…!」

もう居ない相手に向かって叫ぶ私は滑稽だろう
笑いたければ笑えばいい
仮面を剥がされた道化師なんて、所詮こんなもんなんだ

「私は、マスルールが…今も、これから先も、大好きです…」

それ以上言葉には出来なかった
込み上げてくる想いが言葉になるより早く涙になってしまったから
泣き喚く私の傍を誰かが立ち止まった
人の気配に気付かなくて、吃驚して上を見た

「…マスルール、ぁ…さま」

もう赤の他人なんだからと、第三者の私が口を動かした
涙と鼻水できっとぐちゃぐちゃになっているであろう顔を、じっと眺めている
屈んだと思うと、腰に巻いていた布で乱暴に私の顔を拭った

「いっ、いたっ、!?」

力任せに拭き取られる
顔から離れた布には、涙や鼻水だけじゃなくて化粧も一緒に落ちていた
自分の顔がどうなっているか考えたくなくて、顔を体ごと背けた

その隙に私を背中から強く抱きしめた
何が起きたか理解できず、見上げようとした顔は手によって戻された

「…なんで化粧なんかした」

投げられた質問の声音は怒っているようだった
その声から真意が掴めなくて、どう答えていいか分からなかった
貴方に嫌われるのが怖くて始めたなんて
そんな都合のいいことは言えない

けどもう何を言ったって嫌われてるんだ
そう思うと震える声を必死に絞り出した

「マスルール様に、もう一度見てほしかった」

あの子みたいに着飾れば、私を見てくれるんじゃないかって
少女のような考えを抱いて始めた
後押ししてくれ2人のことは黙っておいた

「――あの日、マスルール様が他の女性とキスされてるのを見て…私、逃げることしかできませんでした。とても可愛らしい方で、私なんかよりとってもお似合いで。悲しくて、悔しくて、でもどうしてと聞いて離れてしまうのが怖くて、何も聞けず、何もせず、でもそれじゃ駄目なんだって…頑張ろうって思ったんです、けど」

もう貴方には届かないんですね
その言葉は唇を塞がれて出てこなかった
付き合っていた頃にしてもらった優しいキスなんかじゃない、荒々しいものに息が上がる
唇を離されると黙っていろと言わんばかりの瞳が映った

「…っもう止めてください、そこに何の感情も無かったとしても、私は馬鹿だから悩んでしまうのです。辛い、悔しい、っどうして私じゃ駄目だったんですか…っ」
「駄目だなんて一言も言っていない」

体を持ち上げられ対面させられた
そのままキスをされる。今度は以前と同じ優しいもので
あまりに残酷すぎて涙が溢れてきた
再び泣き出す私とは逆に、彼はどこか嬉しそうに笑っていた

「あの時、お前が傍にいたのは知ってた」

思いがけない告白に一瞬だけ涙が止まった
けれどそれもまたすぐに流れ出す

「分かってて…そうされたんですか。嫌いなら嫌いと仰ってくれたら、私は」
「好きだからそうした」
「…意味がわかりません」

俯く私の顔を無理矢理持ち上げて目線を合わされる
逃げられないように片方の腕は腰にまわされ掴まれていた

「嫉妬した顔が見たかった」

発せられたのは私の想像の遥か斜めをいった
今度こそ驚きのあまり涙が完全に止まった
その顔をさっきの腰布で拭ってから、彼は続ける

「本当に俺が好きなのか…不安になって、馬鹿な真似をした。怒るか泣くかと思ってたら何事もないように接せられて、俺自身どうしたらいいか分からなくなって…ある日を境にお前が着飾りだしたことが、もっと不安になった」

私と同じで長く喋ることのなかった彼が、自分の想いを口にしている
一言も聞き漏らさないよう、私はぎゅっと腕を持って少しだけ身を乗り出した

「綺麗になっていく姿を見て、面白くなかった。誰もがお前のことを話すようになって、苛々したし腹が立った。俺のモノなのにどこかへ行ってしまう気がして」

そう言って顔から手を離した
結わえていた髪が下ろされて、私はすっかり元通りになってしまった

「…けどお前は俺のために頑張ってくれてたんだな。悪かった」
「私のこと、嫌いになったんじゃ…なかったんだ」
「なってない」

強く引き寄せられて耳元で"愛してるセレーナ"と声がした
必死に腕をまわして私は笑った

「好き、大好き。マスルールが、好き」

愛してるの言葉はやっぱり恥ずかしくて言えなかった
けれど想いは伝わったのか、優しいキスをされた



「勿体ないの」

ピスティが頬を膨らませる
仲直りして以来、私は化粧をすることをやめた
髪は結い上げている方が楽だと気付いたから続けているけれど

「ご迷惑おかけしました」
「…ねー、その勤務中敬語もやめない?友達なんだし」
「勤務中ですから」

そう意地悪く笑うと、ピスティは目を見開いた

「うーん…まっ、そこがセレーナの良い所だよね!」
「有難う御座います。つきましてはピスティ様、本日の仕事が終わりましたので終業の鐘が鳴り次第ご一緒にいかがですか?」
「本当!?ヤムも呼んでくるね!」

嬉しそうに去っていく背中を見送る
隣の同僚がまじまじと此方を見ていることに気付いた

「何か?」
「セレーナさん本当に変わりましたね…。あ、あの良ければ今度」
「すみません。男性からのお誘いは断るようにとのお達しでして」

丁度終業の鐘が聞こえて席を立つ
ジャーファル様に挨拶をして部屋を後にした
廊下から下を見ると、中庭に寝そべっている姿が見える

今日は飲みに誘うと言ったからきっと不貞腐れてるんだ
愛しい彼のために早く帰ろうと思ったけど
大切な友人との約束も守りたい

「ごめんねマスルール!」

大声で上から叫ぶと、ちらりと此方を見た
寝転がったまま手が振られる
帰りに大好きな物でも買って帰ってあげよう
どうしてだか、化粧をやめても彼の不機嫌さは直っていないから









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