(※少し痛々しいです)



群衆の隙間から見た彼は強く猛々しく、まるで雲の上のような存在
地に這い嗚咽を繰り返し睨み上げるしかできない自分とは違って



「―――っ、は、あっうぇ」

桶に向かって嘔吐する
いくら吐き出しても汚い物は消えやしない
虚ろな瞳で辺りを見れば、星が煌々と輝いている
いけない。もうすぐいらっしゃる

口を濯いで裾で拭う
汚くなった服を脱いで新たな物へ着替える
どうせこれもすぐに無くなるのに

「セレーナ客だよ」
「はい、今行きます」

この国にすら娼婦館は存在する
王宮の者がいくら頑張ったって、光があれば闇はできる
難民全てが真っ当な職に就いて笑っていることなんて有り得ない
笑わない人間が多いか少ないか。ただそれだけの差

人目に付かない所にそっと、でも確かにあるこの館
私が来たのはもう何年も前の話
淡々と情事をこなし、適度に喋り、帰ってから吐く
受け入れたのは下の口なのに吐き出すのは上の口なんて、人間って馬鹿にも程がある

「そこの突き当たりだよ。お忍びらしいから粗相のないようにね」
「…はあ」

他国の偉い人や妻子持ちの人もやって来る
そういう時は大概私が呼ばれる
口が堅いからだ。何せ私はこの館から出ることが滅多にない
他の娼婦達と喋ることも殆どない
だから店主は私を薦め多額の金を受け取る。私の手元になんてそんな来ない

別に暮らしていけるならそれでいい
どうせ他の娼婦と同じようにいつかは病気で死ぬだけだ

「失礼します。此度はご指名頂き有難う御座います。セレーナと申します」

ノックしてから戸を開き挨拶をする
頭を下げて返事を待つが、一向に帰ってこない
突然髪を掴まれて乱暴されたこともあるから、まあそういう人なのかな
しかし暴力すら来ないので思わず顔を上げた



しばし絶句



せざるを得なかった
実に間抜けな顔だっただろう
ベッドに居たのは八人将の1人、マスルール様だったのだから
八人将とはいえど人の身。必要とは思うが相手に不便するご身分でもなかろうに

ほんの少し、抱いていた理想図と違って私は小さく嘆息をもらす

「…どうした」
「いえ、…私で本当に宜しかったのですか?」
「ああ」

奇特な方だ。顔立ちが綺麗な者は他にいくらでもいるのに
口が堅い以外私にはこれといって取りえなんてない
技術だって商売女らしいモノしか持ち合わせていない
まあ、本人が良いと言うなら私は仕事するだけだ

「湯浴み致しますか?」
「いや」
「ではこのまま…」
「それもいい」

こういった場所は初めてなんだろうか
時折こうして断る方もいらっしゃるが、大半は緊張して勝手が分かっていないだけ
そういう時は話し相手となって優しく接すれば流れになる
ベッドの隣に失礼して座る

「お聞きしていた通りの方なんですね」
「…そうか」
「はい。寡黙で強く、とても頼りになるお方だと」

私の話に眉ひとつ動かさない
どうしてこんな場所に来たんだろう
――そういえば主人は何故この人を受け入れたんだ
娼婦館は禁止されていないとはいえ、国から良い手当ては貰っていない
それ故主人は自国の偉い者を拒んでいたはずなのに

でも聞いてはいけない
知るという事は死への階段を一歩踏み出すということ
自分の罪と相手の罪を背負うことになる

「…以前お見かけした際もそう思いました」
「…」
「ああ、お優しい方なんだとも…っ!?」

舌を噛んでしまったのではないかと焦る
他の部屋よりは柔らかい布が背にある
腕をとられて押し倒されたのだと気付いた

「本当にそう思うか」

眼前にあの独特な目が映し出される
怖くて目を逸らしたいのに、私は目を逸らせなかった
何か粗相を仕出かしたのだろうか
不安に押し潰されそうになりながらも、必死に口を開いた瞬間強引に口付けられた

「ん、っぁ」

蹂躙される。よく言う表現だけれどそれしか当てはまらない
私の意志なんてお構いなしに
相手が人だと理解しているのか怪しいくらいに
好き勝手。それこそ息継ぐ暇も無いぐらい踏み躙っていく

そこには愛なんて存在するはずもなく
酸素が乏しくなってきた頭で、所詮人の子と罵った



何か期待していたのだろうか
もしかしたら私を此処から連れ出してくれるなんて
浅ましい妄想を抱いていたのかもしれない

誰が連れ出すというのだ
生々しい性欲に塗れて暮らす端女など
汚い私を汚い者が汚い欲望を満たすためにやって来る

――…本当に汚いのだろうか



「っ、ぇっほ、はっ」

突然離されたおかげで大量の空気が入り噎せ返る
苦しくなって咳き込むと、同時に奥からぞわぞわとした物が溢れ返ってきそうになる
今此処で吐くわけにはいかない
必死にそれを飲み込むように息をする

「…どう、されました…」

私の上から退いてまたベッドに座り直している
申し訳程度に付いている窓から、光が差し込んで彼の足元を照らした
体を起こして見る。顔を照らしているわけでもないのにその光景は綺麗で

汚いのだろうか。綺麗なんだろうか
分からない私の頭では

もしかしたら本当は綺麗で、物凄く綺麗で
私という物に触れたが故に汚い一面が作り出されたのでは
罵るべき相手は私じゃないのか

「――優しく、ない」

考えられないぐらいか細い声が聞こえた
聞き間違いかもしれないが、彼の表情は少し曇って見える
手を伸ばし傍にあった果物を一瞬で握り潰した

「掴んで、泣かせ、殴りながら犯すかと考えていたんだが…」
「…」
「お前を見たら…できなくなった」

有り余る力をどこかで使いたいのか
発散したいのは性欲ではなく、その力ではないのか
私がそれを告げるのはあまりにもおこがましい

腕を伸ばして体に触れると、叱られた子供のように体が跳ねた
布越しに心臓の鼓動を感じる
やっぱり、彼が綺麗か汚いかは私には分からない

「数多の男を受け入れたこの体を、汚いと思いますか」

洩らした言葉に彼は此方を見た
ほんの少し考え、首を縦に頷かせる
素直。自分の欲に忠実で、とても綺麗

「良かった。なら何も躊躇わず、どうか貴方の赴くままにしてください」

瞳が僅かに動揺の色を見せた
何を言っているんだ。そう言いたそうだった
それを見なかったことにして私は瞳を閉じる

汚いものを踏み躙って何が悪い
道端に腐った死体があれば撤去するだろう
それと一体何が違うというのだ
合意があるのなら、尚更止める意味が分からない

髪を引っ張られ
地面に押さえつけられ
痛みに泣いても何度も何度も
打ち据えられて蹴られ
服なんて剥ぎ取られ
己が欲望を満たすだけに足を開かされ
罵りながら絶え果てる

「――そうすべきだと、私は何度も申し上げたのに」
「ああ…そうだな」

此処まで来たのと同じように
誰かを守るという名目で、その全てを使い暴れ
なのに最後には使わないなんて

「汚いな、お前は」
「綺麗なものを汚したくなる性分で」

再び重ねた唇に、愛があるかなんてどうでも良い話
同じ場所へ昇れない私には貴方が堕ちてくるのをただ待つだけ

「セレーナ」

優しく抱く貴方との行為すら
吐いてしまうのかもしれない
謝罪も愛情も欲望も、全て無に帰してしまえ









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