初めてシンドリアの海から見た夜は、泣きそうなぐらいに綺麗だった

ちょうどその日は満天の星空で
なのに月も煌々と輝いて
波は静かに打ち寄せ綺麗な音色を醸し出していた

世界はこんなに素敵なものなんだと、呟いた



「…恥ずかしい日記」

くるくると書簡を巻いて元の位置に戻す
読み書きがまだ出来ていなかった頃に、宿題として書いていた日記
その日拾った物、食べた物
怒られたこと、泣いたこと、嬉しかったこと

幼い私が精一杯文字にしたためた
どれもこれも、きらきらして見えたんだ
それが今はどうだ
色んなモノに雁字搦めできらきらなんて見えやしない

「セレーナ様、お客様がお見えになりました」
「はいはい今行きます」

無駄に着飾った衣装で客を迎え入れる
忙しい王に代わって、私は時折こうして接待をする
若い女が政治に関与すると、相手は馬鹿にするか妙に優しいかのどちらかだ
今日の相手は私を色物としてしか見ていない

「お若いのに大変ですな。お一人で?」
「ええ、私のようなインク塗れの者を引き取る物好きは、生憎居らず」
「いやいや美人なのに勿体無い。私も数年前に妻を亡くしましてな…」

数年前に妻を亡くしても、それ以前も今も愛人塗れだろうが馬鹿野郎
本音は微笑みに隠して逸れた話を戻しつつ、商談へ踏み切った

「近年我がシンドリア国では貿易が盛んです。しかし、大元となる果樹園がそれに追いついておりません。此度は貴方様に果樹園の拡大と雇用の増加をお願いしたいのです。労働力は有り余っておりますし、拡大に際しての費用補助は勿論行います。いかがでしょうか?決して悪い話ではないと思われますが…」
「ふむ…しかし果樹園の拡大といえど場所が…」
「中央市を挟んで港よりやや遠くはなりますが、まだ場所はあります。市街地近くにもなりますが護衛の方も付けますし、雇用が促進すれば最終的に経済も周り、人々がシンドリア国の果物をより買うようになります。そうすれば貿易のみならず国内の収益も入り、今よりも格段に利益が上がります」

ばたん、と扉を閉める
今日の商談は何とか上手く行った
あの強欲に人件費だの拡大費だの負担させるのは、本当に一苦労だったが、これで難民の雇用先が増えた

色香で油断させ、畳み掛ける
私がシンドリアで育って覚えた武器のひとつ
真摯に訴えかければ相手も心を開いてくれる
なんて幻想も、昔は抱いていたが、今では微塵も思わない

「お疲れ様です…」
「わっ、あ…マスルールか…ありがとう」

突如現れた後輩に驚かされたけど、わざわざ飲み物を持ってきてくれたことに感謝する
受け取って喉を潤していると、私の格好を上から下まで眺めていることに気付いた

「…派手っすね」
「この方が相手が油断するんだ。公の場には本来向かないが、商談さえ取れればこっちのもの」
「はあ…そんなもんすか」
「そんなもんだよ、綺麗事だけじゃ生きていけないんだ」

そう、それだけじゃ生きていけない
カップを片付けてくれるというので、礼を言ってその場を後にする
王宮内で私に好んで話しかけてくれるのは、王と、ジャーファルさんと、マスルールくらいだ
他はまあ遠巻きに、機会があれば話しかけてくる程度

侍女や衛兵達にいたっては噂話すらする
無理もない。こんな格好で商談に挑むからだ
体を使って相手を誑かし、事を進めているのではないか、なんてよくありがちな噂
構わない。その噂も覚悟してこういった方法を取っているのだから

とはいえ、こうも堂々と本人がいるのに噂話をするのはいかがなものか
廊下を歩きながら常々そう思う
居なくなってから、あるいは聞こえないようにすれば良いものを

「またセレーナ様が…」
「おい、話しか…こ…よ」

どこで尾ひれが付いたのか
いつの間にか私の噂は頼めば相手をしてくれるにまで発展したらしい
出所を突き止める気にもならず、食堂へ向かう

「おや、セレーナも昼食ですか」
「はい。件の商談終わりました。また報告書を持って伺います」
「本当に貴女には助かります。…シンもこれぐらい働いてくれたら」

ギリ、とジャーファルさんが歯を鳴らした
私からすれば王も充分働いてると思うのだが、言うと甘やかしてはいけません!と怒られるので黙っておく
誘いを受けたので隣に並んで昼食をとる

「しかし…無理をせずとも良いのですよ?」

ジャーファルさんは言葉を濁しながらそう言った
これだけ言われているのだ
噂はこの人の耳にも入っているのだろう
私は首を横に振って微笑んだ

「王の役に立てるのであれば、私は構いません」

どれだけ私が蔑まれようとも、王の絶対的信頼は揺るがない
ならば汚れ役を喜んで引き受けよう
忠誠心に偽りはない。これだけは譲れない

私の考えを汲み取ってもらえたのか、それ以上は追及されなかった
別れを告げて部屋に戻る
報告書を自室で製作していると、轟音が響き渡った
何事かと武器を携えて音のする方向へと急ぐ

硝煙が上がる方へ行けば、人だかりが既に出来ていた
それを掻き分けて前へ出る

「一体何ご…と、です…か?」

中央に居た人物に呆気をとられる
そこにはマスルールと、数人の衛兵が居た
マスルールの足元は割れており、衛兵達は恐怖に慄いている
誰がどう見てもマスルールが何かしたに違いなかった

「おいおいなんだよ、何してんだよおめー」
「派手にやったねー」

シャルルカンさんとピスティさんが野次馬根性で現れた
先輩の問いかけにも関わらず、マスルールは振り向きもせず衛兵達を睨み続けている
2人の登場に冷静になった私は集まってきた者に持ち場に戻るよう指示をした
そしてマスルールに駆け寄って事の顛末を聞く

「どうしたのマスルール…何があったの…?」
「…何でもないです」
「いやいや何か無かったらここまで怒らないでしょー。ねぇシャル?」
「教えろよ、何があったんだよ」

その場を去ろうとするマスルールに2人が詰め寄った
眉間に皺を寄せて溜息を吐くと、突然「先輩らはセレーナさんをどう思いますか?」と聞き始めた
私は自分の名前が出てくるなんて思いも寄らず、その様子を眺めることしか出来なかった

「どうって…商談?とか纏めててすげーなとは思うけど」
「ジャーファルさんがいっつもシンもあれぐらい…ってぼやいてるのは聞くね」
「…じゃあ、別に嫌いとかじゃないんすね」
「いやまあ嫌いってわけじゃねえけど」

何がどうなっているのか分からない
マスルールが何を聞きたいのか分からず、3人して彼を見つめる

「なら…どうして、話をしないんすか…?」

意外な問いかけに私は混乱した
話をする、しないは個人の自由だろう。親しくないのであれば挨拶程度が普通というものだ
パニックを起こす私とは裏腹に、2人はばつが悪そうな表情をした

「セレーナさんはシンや、俺達や国民のために働いてくれてるのに…どうしてそれを悪く言うんすか。事実を知りもしないで、勝手なことを言うのは…俺は嫌いです」
「マスルール…私は噂のこと気にしてないよ?だから「じゃあ…」

私の言葉を遮って、彼が振り向いた
無骨な手が頬に触れて覗き込んできた
その表情は少し、泣きそうだった

「なんでそんな悲しい顔を、するんですか…?」
「わ、私よりマスルールのほうが泣きそうじゃない…」
「…悔しいだけです。俺は…頭が良くないから、代わりに商談をすることもできませんし」

そう言うと、マスルールは私の横を通り過ぎて、衛兵達に近寄っていった
怪我はしていないものの、腰が抜けた彼らを背負ってどこかへ行こうとする
追いかけようとすると、誰かに袖を掴まれた

「あのね…!」

袖を掴んだのはピスティさんだった
マスルールよりも分かりやすいぐらい、泣きそうな顔をして

「ごめんね、あんなの嘘だって分かってたのに…セレーナさんは、頑張ってくれてたのに…」
「悪い。八人将失格だな、噂1つに誑かされて。アイツが怒るのも無理ないっていうか」
「…いえ、私もこんな格好をしてますし、その…仕方ないと思っています。でも…」

嬉しかった。噂に惑わされていても、彼らはちゃんと私のしていることを見ていてくれた
今それがきちんと認められたことが嬉しくて嬉しくて
私は礼を言ってマスルールを追いかけた

「マスルール!」

衛兵達を医療室にでも送ったのか、中庭で先程の騒動についてジャーファルさんに怒られている姿を見つけた
名前を呼ぶとジャーファルさんからちょうど良い所に、と手招きされた

「今回の件についてシンと少し話をしました」
「私…商談役から外されますか?」
「それも考えましたが…貴女の功績は大きいですし、何より皆が誤解したままになりますからね。今度からマスルールを護衛として部屋に入れて商談を進めてください」
「え…マスルールを?」

マスルールを見ると、どこか恥ずかしそうに視線を逸らされた
その様子をジャーファルさんは小さく笑ってから行ってしまった
残された私達は、どう話を切り出したら良いか分からず、しばらく無言で廊下を歩く

「…さっきね、ピスティさんとシャルルカンさんが謝ってくれてさ」
「…」
「なんか嬉しかった」
「噂、信じてたのにですか…?」
「でもちゃんとしてたことは見ててくれたみたいだし」

歩みを止めると、マスルールも止めてくれた
嬉しかった。認めてくれたことが
それと同時に、彼がこんなにも私を見ていてくれたことに気付いて、もっと嬉しくなった

「ありがとうマスルール。さっきのもその事で怒ってたんでしょ?」
「…流石に、我慢できなかったんで…」
「派手な衣装も控えるよ。少し真正面から挑んでみるけど…何かあったら助けてくれる?」
「俺で良いなら」

そう言ったマスルールの顔はどこか輝いて見えて
私はその夜、あの日の夢を見た
少女だった私は満点の星空と月を眺めて泣きそうだった
隣に居る誰かが私の手を握った途端、私は幸せそうに笑った









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