泣き喚くだけなら子供でもできること
どん底まで落ちたなら、這い上がる努力をすること
這い上がる、努力を

…這い上がらなければ、いけないの?

「馬子にも衣装ってやつだよなー」
「…前きついんすけど、外していいすか」
「ダメですよ。きちんとした場ですから」

部屋の隅で私は服を折り畳む
その傍ではマスルール様が見たことないようなお召し物を着ていらっしゃる
普段の物も今の物も、とてもよく似合っている

「さ、宜しくお願いしますね」
「はあ…俺より先輩の方が適任だと思うんすけど…」
「賭けに負けたお前が悪い」

促されてマスルール様は出て行かれた
話しかけることも、此方を見ることもされずに
マスルール様は今からとある国の皇女様とお出かけされる
以前、その国に付き添いされた際、気に入られたとのこと
互いの国の友好関係のために、今回このような場が設けられた

私は、ただの侍女だからその場に行くこともできない
王宮勤めとはいえ、八人将の方々と気軽にお話しする術はない
もっと位が高ければ、といえど、所詮侍女程度じゃ位云々の問題ではない

こうして毎日皆様のお世話をすること
時折、着替えの場に呼ばれて、衣類を預かり洗濯してお返しするぐらい
それ以外でマスルール様を間近で見る機会は殆どない

籠いっぱいの衣類を持って庭に出る
桶に水を貯めて石鹸を使い、1つ1つ丁寧に汚れを落としていく
私ができるのはこれぐらい

「…今頃お会いしている最中かな」

手を止めて空を見上げる
私が皇女だったら、ああやってマスルール様とお出かけできたのだろうか
侍女ではなく文官や衛兵であれば、もっとお近づきになれただろうか
頭も顔も良くない、腕っ節も強くない私には、夢物語にしか過ぎない

「いけない。昼食の準備もあるのに」

止めていた手を再び動かす
空は晴れているのに、雨が止まらなくて情けなくなった
同じ侍女でも綺麗な方はシンドバッド王やシャルルカン様がお声をかけてくださる
私は見向きもされず、名前も、顔だって覚えてもらっていない

毎日、毎日、想い続けてこうしてお傍にいるというのに

中途半端な距離が辛い
いっそ、王宮勤めを辞めてしまおうか
別の職を探して慎ましやかに生きようか
鼻水を啜りながら洗濯を終わらせた

洗った物を干しに行く
皺にならぬよう伸ばしながらかけていると、籠に何か光るものが見えた
手にとってみると、それは綺麗な首飾りだった
この籠の中にはマスルール様以外の方の服はいれていない
ということは、これはマスルール様の物

取ってしまえ

と誰かが囁いた
握ったその手を、私は服の物入れにいれようと

「…ダメ、届けなきゃ」

邪念を振り払って走り出す
けれど、マスルール様がいらっしゃる場所が分からない
街のどこかにはいらっしゃるだろうと、王宮を飛び出てくまなく探し回った
中央市を通るもまだ誰も居ない
国営商館の方角へ行くと、恋焦がれた姿があった

「マス…っ、あ…」

呼び止めようとして、足が止まる
傍にはとても綺麗な方がいて、楽しそうに笑っていらしたから
邪魔をしてはいけないと近くに居た衛兵に声をかけた

「これをマスルール様にお渡し願えますか…?洗濯をしていたら出てきましたので」
「ああ、渡しとく。すまないな」
「いえ…それでは」

踵を返して王宮へ戻る
無断で出て行ったことに怒られて、いつもの業務に残業を追加された
終業の鐘が鳴り響くなか、王宮に留まり繕い物をする
慌しく廊下を走る音が聞こえたと思うと、扉が音を立てて開かれた

「ああ、よかったまだ居た!早く一緒に来てくれ!」
「先程の…あの何か」
「良いから早く!」

首飾りを手渡した衛兵に腕を引っ張られながら廊下を走る
着いた先は、王と謁見する大広間だった
促されて扉を開くと、位ある方々が皆揃っていらした

「彼女で間違いないのですね?」
「はい!私に首飾りを渡したのは彼女です」

ジャーファル様が衛兵に問う
確かに首飾りを渡したのは間違いないが、何か粗相をしたのだろうか
緊張と不安で胸が張り裂けそうになる
そんな私の表情に気付いた王が、にこやかに笑った

「大丈夫、君は良いことをしたんだ。別に咎めに呼んだわけじゃない」
「王よ…笑い事ではないんですよ。本当に危ないところだったんですから」
「あの、何が…」

恐る恐る尋ねると、ジャーファル様が教えてくださった
私が届けた首飾りは大変高価な物で、今日いらした皇女様に送る物だったこと
その首飾りに使われている宝石は友好の意もあり、以前王が必ず送ると約束したということ
しかしそれが数日前から見当たらず、下手をすると諍いの火種になりかけてたということ
話を聞いて私は自分の中にあった邪心に恥ずかしささえ覚えた

「も、申し訳ございません…!その様な物だとは知らず…!」
「貴女が謝ることではありませんよ。元はといえば誰かさんがどこかに落として、誰かさんが拾ったのを忘れて服の中に入れっぱなしだったのが原因ですから」
「…すまん」
「…すみません」

ジャーファル様の言葉に、王とマスルール様が謝罪の言葉を述べた
そして王は私に褒美に何でも叶えてあげるとまで言ってくださった
煌びやかな貴金属でも、衣服でも、住まいでも何なら地位でもお金でも

私は、それを聞いて1つの願いが心に浮かんだ

マスルール様のお傍に居たい
皇女様のようにご一緒にお出かけしたい
貴方に振り向いてほしい

ごくん、と唾を飲み込み王を見据えた

「では1つだけ宜しいでしょうか…?」
「ああ、何でも言ってくれ」

私は立ち上がって周囲を見渡した
決して綺麗ではない顔立ち
沢山の人がいれば、埋もれてしまうだろう
だから、どうか、今だけは私を見てほしい

「セレーナ・アイオスと申します。どうかこの場にいる皆様に、私の名を覚えていただきたいのです」
「…それだけか?」
「はい、私にはそれで充分です」

大広間がざわつく
王も、ぽかんと口を開けている
良いのです、それで。私にはそれが一番良いことだから
他にはないかと王は優しく聞いてくださったけれど、それだけですと答えて私は元の間に戻った

「…馬鹿ね、私って」

小さな灯りを頼りに繕い物をしながら呟く
望めば今頃マスルール様とお話できていたかもしれないのに
けれど、確かにあの時、マスルール様は私を、私だけを見てくださった
それだけで良い。目に入らなかった私を見てくれた

「…あの」
「きゃ…っ、あ、マスルール様…!」

音も無く現れたマスルール様に、思わず針を落としてしまった
拾い上げて慌てて礼をする
顔を上げてください…と言われ、恐縮ながら目を合わせた
まるで夢みたいで、夢ではないかとこっそり自分の手の甲を抓った

「ありがとうございました…シンに渡すの本当に忘れてて」
「い、いえ…お役に立てたのなら本望です」
「コレ、気に入らなかったら捨てるか、売ってください」

ことん、と机の上に小箱が置かれた
私がそれを眺めている隙に、マスルール様は扉に手をかけて出て行かれようとしていた

いけません、そんな…!
そう呼び止めて小箱を返そうとした
けれど出て行くその瞬間にマスルール様が「セレーナさん、いつも洗濯ありがとうございます」と言った

ああ、やっぱり私にはそれで良いのです
私みたいな者は、貴方様にお仕えすることが幸せなのです
小箱の中にあった小さな宝石の首飾りを見て、私は一人涙した









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