夜明けのコンツェルト | ナノ
マンションの階段を降りながら、名前は政宗に、これから行く場所について話しかける。
「伊達さん、今から行くところは大型ショッピングセンターです」
「おおがた……?」
「つまり、とんでもなく大きな場所です。人もたくさんいます。ですから、」
「分かってる。ルールを守れ、だろう?」
「……お願いしますね」
男物の服、食料品、細かな日用品が揃っており、しかもある程度安価な商品があるところなど、ショッピングセンターしかない。少なくとも名前の頭の中にはそこしかなかった。
マンションの階段を降りて敷地内の駐輪場にやってくると、自分の愛車が目に入った。
ギリギリ二人乗れる程度の大きさの中型二輪。
日々の生活を節約している理由はこのバイクのためといっても過言ではない。
名前はヘルメットを被り、バイクにまたがった。
そして後ろを振り返ると、政宗にヘルメットを手渡す。
「伊達さん、これ被って下さい」
「これはなんだ」
「ヘルメット……まあ、兜みたいなもんです。安全のための」
「ほう。こうか?」
早速被ってみた政宗だが、どうしても固定するためのベルトがうまく結べない。悪戦苦闘している彼を見て、名前は体をよじり手を伸ばした。
「これは、こうするんですよ」
「む……」
名前の手助けを「余計なこと」と思っているのか、政宗は少し不服そうにしたが、成されるがまま動かないでいた。
政宗のベルトを結び終えると、前を向いてキーを差し入れた。キーには、紛失防止のために少し大きなぬいぐるみがついている。エンジンがかかり、ぬいぐるみが小刻みに揺れ始めた。
駐輪場から自力で這い出すと、エンジンをふかす。今はあまり寒くないが、名前がこのバイクに乗ったのはおよそ二週間ぶりであった。冷え切ったエンジンを温めようと、低く響くエンジン音を周囲に響かせる。
政宗はというと、呆然とした表情で名前を見ていた。
彼女が乗っているこの鉄の塊は一体なんなのか。
耳と腹に低く響く音が鳴った瞬間、何歩か飛びのいてしまった。
四国の鬼が作っていた、からくりに分類されるものだろうか。もしくは、あの妙な宣教師の居城で見かけたからくりか。
どちらにせよ、政宗には全く仕組みなど分からない。
今分かるのは、これが乗り物であるということだけだ。
黒く艶やかな胴体に、金属の枠がついた車輪が二つ前後についている。
どうやらこれが回転して進むらしい。その原動力は何が捻出するのか。
この非力そうな少女が引っ張るとは考えにくい。では、この乗り物自体が勝手に動くのだろう。
そこまで考えて、なんとなく政宗はそら恐ろしい気持ちになった。
生き物か化け物かもわからぬ相手の背に乗らねばならないのか。
しかしこれに乗らねば買い物にいけぬらしい。
外の世界を見てみたい自分にとって、貴重な機会を失うことになる。それだけは避けたい。
少女はすでに跨って手綱を握っている。その背に乗るのも癪に触るが、今はそうも言っていられない。
そうこう考えているうちに、名前は後ろに振り返って政宗を呼んだ。
「エンジンが温まってきたので、そろそろ行きましょう」
「(えんじん……?)あ、ああ。分かった」
そう返事をしたはいいが、どうやってこれに乗るのが正しいのか。
思案していると、名前は「すみません、出すのを忘れていました」と、金属の鐙のようなものを胴体の側面から下ろした。どうやらこれに足をかければいいらしい。
何やら、少し緊張する。暴れたりはしないだろうか。いきなり動き出したりはしないか。
しかし、政宗のその心配は杞憂に終わった。乗り込んだ黒い乗り物は硬く、少し冷たい。むしろ鞍よりも乗り心地はいい。
「伊達さん、私の肩をしっかり掴んでいて下さいね」
「こうか?」
軽く添えるように持っていたら「危ないのでもっとしっかり!」と怒られた。
少し強めに掴むと、名前は頷いた。これくらいでいいらしい。
「じゃあ、行きますよ。落ちないように」
「おう」
そうして、黒い乗り物は発進した。
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