夜明けのコンツェルト | ナノ
ガラガラ、という音を立てながらベランダへの窓をあけた。名前はフライパンをまるで盾のように顔の前に構え、震えながらもベランダに下りた。
そうして先に口を開いたのは、向こうからだった。
「……てめぇ、何処のもんだ」
地面を這うような低い声に、びく、と名前の肩がはねる。この明らかに堅気ではない人の口調。まさか「その筋」の人ではないだろうか。怖すぎて、フライパンを持つ手が震える。
「俺を何処の誰だが知ってて、こういうことしてるんだよなァ……?」
ただ声を出しているだけなのだが、男からただならぬ気配が察せられる。名前は猛烈にこの場から逃げ出したくなってきた。だがそれではここにやってきた意味がない。
「あのー……」
「Ah!?」
「ひぃっ!」
びくびくしているだけでは駄目だ、と頑張って話しかけようとしたが、殺気立って声を荒げられてしまい思わず悲鳴をあげた。内心、「何で話しかけただけで怒鳴られなければならんのだ」と思ったがそれを口に出すと間違いなく何かが終わる。
(警察のお世話になろう……もうだめだ)
先ほどの決心はすでに瓦解していた。名前は諦めかけ、部屋に向かって後退しかけた。事情聴取とか手続きとか面倒なことやらされるんだろうな、と恐怖しながらも頭の隅でそういうことを考えていると、目の前の男は不意に大きく溜息を吐いてうなだれた。
「ああもう、てめぇはいいから、てめぇの主人を呼んで来い」
何処か疲れたような声に、名前は戸惑った。その声に先ほどまでの剣呑さはない。しかし主人とは、いったい何をいっているのだろう。
「へ? しゅ、主人?」
「Ya、ご主人様だ。……まったく、どこのどいつかは皆目見当がつかねぇが」
男はビニール紐に身動きを封じられたまま、ベランダから外の景色を見た。電信柱に止まっている雀や、すぐそばに立っている他のアパートを変な目で見ている。
名前は男のいう主人、が何を指しているのか分からなかった。何しろ彼女は何者にも仕えていないし、そもこの家には彼女一人しか住んでいない。
「あのう」
「何だ」
「主人って、この家の家主のことですよね?」
「……ここが家と呼べるならな」
そうして床を見て舌打ちをする。名前はその態度に何かひっかかるようなものを感じた。
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