夜明けのコンツェルト | ナノ
「……人様攫っておいて、イイ根性してんじゃねぇか」
男の顔自体は笑みを浮かべてはいるが、隻眼は油断なく周囲を見、合間に名前を射殺さんばかりに睨んでいる。この恐ろしい剣幕に怯みそうになった名前だが、今の言葉に再び違和感を覚えた。
「あの……『攫っておいて』と仰っいますけれど」
「Ah?」
「私、貴方をさらってなんか、いませんよ」
「……は?」
予想外の言葉だったのだろう、男の顔が一瞬呆けた。
「朝起きて、ここに来たらあなたがいたんですよ。私が連れてきたわけではありません」
男はほうけた顔を引き締めて、剣呑な表情で名前を睨みつける。
「今俺は縄みたいなので縛られているわけだが、それはどういうことだ」
「そ、それは……泥棒と思ったから、危ないなぁと……」
あはは……と引き攣り笑いを浮かべながら後ろに後ずさる名前に殺意の篭った視線が向けられたが、やがて大きな溜息が聞こえた。
「つまりは何だ、気がついたら俺はここにいて、お前は危ないからという理由で俺を縄で縛ったっつーことだな?」
「……少々語弊がありますが、おおよそそれで合っています」
彼女の返答に鋭い舌打ちをかまして、顔が不機嫌そうにゆがめられる。
「じゃあ誰の仕業だってんだよ、俺がここにいるのは」
「私にも分かりません……。朝起きて、洗濯しようとしたら貴方を見つけて」
洗濯物が入った籠を指差すと、男はまた変な顔をしたものの、何も言わずに目をそらした。男はしばらく周囲を見回していたが、突然目を見開くと勢いよくこちらに振り返った。
「おい! 俺の刀は何処だ!」
「へ? か、刀って……日本刀のこと、ですか?」
「そうだ。まさかお前……」
今にも噛み付きそうな男を、引きつり笑いを浮かべながら制する。
「お、落ち着いてください。あの日本刀ですが、六本とも預かっています」
「本当か?」
「はい、確かに六本ありましたし」
「そうか」
見るからに安堵した表情を浮かべる男に、名前は妙な気持ちになった。
(えらく大事にしてるんだな……まぁ、高そうだったし)
少々汚れているとはいえ、龍の装飾が施された鞘は美しかったし、その中に収められている白刃のきらめきは本物だった。いくらくらいになるんだろう……と失礼な考えを巡らせていると、足元の男が声をかけてきた。
「おい、お前」
「へ。あ、はい」
「これ、解いちゃくれねぇか」
男が目で指し示したのは、自分の両手首を締め付けているビニール紐であった。急いで縛り付けたのできついらしく、少し赤くなってしまっている。
「あ……でも」
「俺は怪しいもんじゃねぇよ。You See?」
「は、はぁ」
何で英語なのだろう、と思いながらも男の言葉に従い、名前は慌てて部屋の中に戻ってテーブルの上のハサミを手に取った。
そしてすぐにベランダに戻ろうとして、はた、と立ち止まった。
(本当に紐を切ってしまって大丈夫なのかなぁ)
もしかしたら自分のことを騙しているのかもしれない。怪しいものではない、と言いながらも切ってしまったらそれから何をされるか分からない。
しかし、名前には何故だか、男がただの泥棒には思えなかった。不審者には変わりないのだが。
見た目の派手さもその一因だが、言動が妙におかしい。まるで、本当にここへ迷い込んでしまったかのように思える。
(……日本刀は回収したし、まぁいっか)
とりあえず、待たせるのも何なのでベランダに戻ると、座り込んでいる男の手首をとった。
「動かないで下さいね、危ないですから」
男は名前のもつハサミに反応を見せたが、何も言わずに黙って身動きをしなかった。彼の手首と両足首、そして両肩を縛っていたビニール紐をすべて切り終わると、男はすぐさまその場に立ち上がった。自分の両手首の様子を確かめている。
同じように名前も立ち上がる。
「あの……痛くないですか?」
すみませんね、と男と微妙な距離を保ちながら、名前は軽く頭を下げた。そんな彼女を、男は珍しいものを見るような目で眺めていた。
その視線に耐えられなくなって、名前は部屋の中に戻ろうと男に背を向けた。ガラガラとベランダの窓を開け、中に入ろうとする。
部屋に足を踏み入れようとした瞬間、首の後ろに衝撃が走った。
「っ!?」
衝撃とともに、痛みが首の後ろから全身に回る。体に力が入らなくなって、自分の体がくず折れてゆくのが分かった。床に落ちる前に何かに抱きかかえられたような感覚がしたと思ったら、名前の意識はそこで途絶えた。
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