夜明けのコンツェルト | ナノ


 

携帯電話に「110」と打ち込む。
通話ボタンを押して事情を説明し、ここで警察が来るのを待っていればすべてが解決する。しかし、何故か名前は通話ボタンを押すことに躊躇いを感じた。

警察に電話をすること自体が初めてだから、戸惑っているということもあるだろう。しかしそれには別の理由もあった。

男の存在がどうにも奇妙に思えたからである。

突然ベランダに現れた男。奇妙なファッションに、日本刀を六振りも所持している。自分のことのみならず地域の平和のことを考えれば普通ならすぐ通報するべきである。しかし名前はそうは思えなかった。それは多分、男の背にあるマークのせいだ。

そうして彼女は思い出したのだった。何処かで見たことがあるマークだと思った。


(あ、これ。家紋だ)


向かい合う二羽の雀に、囲いの竹。

「何」で見たかは忘れたが、これはれっきとした家紋である。何処の家を指すのか忘れてしまったが、そのことが彼女の心に妙にひっかかった。

名前はしばらく思案し、やがて携帯電話を閉じた。


(とにかく、警察に連絡するのは事情を聞いてからにしよう)


携帯電話をパジャマのポケットに突っ込んで、さて、と名前は未だ倒れて動かない男を見下ろす。
通報をしない、と決めたはいいが、このまま起こしても危害を加えられたりしないのだろうか。一応、日本刀六振りといういささか立派過ぎる凶器を所持していたのだし、使い込まれ具合から扱いは心得ていると考えてもいいだろう。

重要なのは、「何故ここにいるのか」である。何のためにここにいて、何が目的なのか。

その目的しだいで、この男に対する扱いを変えよう。名前は決心した。


「そうと決まれば」


名前は、男を起こさないようにそっと部屋に戻った。再びベランダにやってきた彼女がその手に持っていたものとは、荷造り用ビニール紐とハサミであった。


「万が一のことも考えて、身動きできないようにしとかないと」


慣れない手つきだが、完全に解けないように両肩・両手・両足を縛った。口はどうするかと一瞬迷ったが、必要以上に触って起こしたくなかったのでやめておいた。


「よし、これでいいだろう」


ふう、と息をついて名前は立ち上がり、ベランダから部屋に戻る。時計を確認すると、もうじき十時に差し掛かるところだった。名前の頭に、時間割が浮かぶ。


「あ、やばい」


すっかり忘れていたが今日は2限目から講義があるのだ。出席を重視する授業なので、遅刻するわけにもいかない。一応、カーテンを閉めてから、身支度を整えて彼女は部屋を飛び出した。



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