それは命令じゃなかった。忙しい身だというのに僕は誰に言われるでもなく宴席から飛び出した。
暑い夜。日本特有の湿気た熱に肺が軋む。
だけど見つけなくてはならない。今夜の宴はあの子が主役なのだから。
そうして庭を散策した後見つけた一輪の花に、驚かせまいと優しく優しく声を掛ける。
僕はいつも、彼女の前では優しい男を演じていたから、別れてしまうまでは演じねばならない。僕は自分が蒔いた種は自分で刈り取る主義だ。
「何をしているんだい、こんなところで」
「はん、べえさま」
「おや、涙が」
月明りに反射した涙に触れたくて、近寄って手を伸ばして彼女の頬に触れた。
熱い。しかし涙は思いのほか冷たかった。
親指で目元を軽く拭ってやると、彼女は顔をくしゃくしゃにしたかと思うと僕へと寄り掛かって来た。
ああ、なんて熱い。まるで幼子のようだ、と考えて、まだ彼女は12だったか、と思い直した。
嫁入りには丁度良い頃なのだろう。しかしこうやって僕の胸を借りて静かに泣く姿をみるとそうは思えなかった。
(この娘にはまだ、早過ぎる)
あちらにはもう側室候補がいるのだと聞く。良くも悪くも純粋すぎる彼女が、果たして上手くやっていけるのか。
僕はそう思わない。
しかし『竹中半兵衛』はそう思わなくてはならないのだ。
豊臣がため。尽力すると、決めたのだ。
この娘もまたそれを理解している。理解しているからこそ何も言わない。ただ声を押し殺してただ泣くだけ。
ああ、もうじき誰かがやってくるだろう。
その時僕は『竹中半兵衛』に戻る。戻らなくてはならない。
豊臣に尽くす、一人の仮面の策士に。
賢者の苦悩じきに手放さなくてはならない熱に、口付けをひとつ落とした。
08/04/08