夕方に差し掛かる頃。
そろそろ帰ってくるだろう主のために玄関先でかの人を待っていると、しばらくした後のっそりと歩いて来る主の姿を見付けて、私は深く頭を下げた。
「お帰りなさいませ」
「ただ今戻りました……」
主の声に覇気がない。まぁ、その原因については大体予想はついている。
顔を上げて彼の顔を見てみると、いつも白い肌が更に白くなって青白かった。銀髪も振り乱れているし、頬には裂傷がある。銀髪の一房を口の端に引っ掛けている彼の姿は、さながら幽鬼のようだ。
ここまで帰ってくるまでにどれほど悲鳴を浴びたのだろう。
しかしきっと本人は気にしていない。
「……また、ですか。光秀様」
「はい。また、負けてしまいました……!」
言うや否や主――光秀様はふるふると震えだし、だらんと伸びた両腕を予備動作なく振り回した。その手には勿論、愛用の鎌が一つずつ握られているわけで。
私はやすやす餌食になるわけにもいかず、それを避けて遠くに離れた。伊達に長年光秀様の部下とお世話役してたのではない。こうなることは予測済みだ。
「また魔王様絡みですか……」
溜め息を付きたくなったが鎌が来たので叶わなかった。
光秀様は悲壮と憤怒が綯い交ぜになったような顔で叫ぶ。
「前々回はあの餓鬼、前回は帰蝶、そして今回はまたしてもあの餓鬼です!
ああ悔しいったらない!」
「うわー……。ご愁傷様です、光秀様」
「ああ、これで3週間信長公にまともに会ってません! あぁんの二人めぇぇぇ」
「わあ光秀様のご乱心ー」
「きぃぃぃ!」
彼がこんなにも悔しがっている理由。
それは彼の主、織田信長公に3週間ほど会えていないからである。
戦がないときは大人しい光秀様は、よく安土城に遊びに行く。そこで信長公に会おうとするのだが、毎回のごとく邪魔者が入るのだ。
魔王の妻、帰蝶こと濃姫。そして魔王の子と呼ばれる蘭丸である。
二人は何やら自ら見張りをし、光秀様が遊びに来たら追い返そうとするのだ。勿論、武力行使で。
「私は一人なのにあちらは軍隊一個隊使うんですよ!? 卑怯にも程があります!」
「えげつない……」
二人もだが、彼らに一個隊使わせるような光秀様もえげつない。
しばらく鎌を振り回していた光秀様だったが、疲れたのか、振り回すのをやめた。
それを見計らい、私は近付く。
「さあ光秀様、お屋敷に入りましょう。夕餉が出来ています」
「食べたくないですー」
「そんなことだからこんなに血色悪いんですよ! ほうら、良い匂いがしませんか?」
「生憎鼻は詰まってて……ずず」
「ちょっと光秀様、べそかかないで下さいよー」
「かいてませんもん……ずず」
鼻をすする主に溜め息が漏れた。
ああ、この人はどうして戦以外はこんなにもアンポンタンなんだ。いざ戦となれば鬼、悪魔、死神などと味方すら恐れおののくような方なのに。
あの邪悪な雰囲気は何処にもない。というか、何処から出ているのかアレは。
まあ今はそんなことどうでもいいことだ。
取り敢えず屋敷に入れなくては。
腕を引っ張り、半ば無理矢理引きずりながら玄関の中に入っていった。
この借りは必ずや、
(今度は貴女も付いて来てください)
(えぇ……?)
(私を一人にするつもりですか……?)
(行きゃあいいんでしょう! ほら、だからべそかかないでくださいよぅ)
(これは心の汗です……ずず)
08/03/11