丸くて短い指。
指先に申し訳程度についている爪。
柔らかな頬。
まだ何の汚れも知らないだろう、その瞳。
この感情が何かは分からなかった。
ただ、良くないものということは分かった。
「ぅあ、あー」
小さな唇が喃語を発し、触れれば折れてしまいそうに柔そうな腕が宙を彷徨う度、隣りに座る男は相好を崩した。
「また、お前は」
仕方ないな、と呟いたくせに、彼は腕を伸ばして嬰児を抱きあげた。
その姿が酷く目障りに思えた。
延命を願ったのは自分だというのに。
ああ俺も、あれ程に。
あれ程、愛されていたら。
きっと今頃。
「ぇあ、ぅ、ああーん」
たくましい腕の中は柔い嬰児には落ち着かないらしく、徐々に目に涙を溜め、小さな唇をいびつにした。
「ああ、また泣いてしまったな」
大の男がうろたえて機嫌をとるように優しい声音で語りかける姿は傍目にはおかしく見えたが、どうしようもない感情が沸き起こる。
どうして泣く。
こんなにも愛されているのに、どうして。
「政宗様」
不意に自分の名前を呼ばれて肩が跳ね上がった。
存外、考え事に夢中になっていたらしい。
「怖い顔だ」
そういって彼は苦笑し、嬰児を支えている腕を伸ばしてきた。
「政宗様、お願いがあります」
「何だ」
「小十郎はもう腕が疲れてしまった故、此の子を抱いて下さりませんか」
「何を、」
「お願いします、政宗様」
そう言って半ば強引に押し付けられた嬰児は思ったよりも重かった。
そして熱かった。
命の根源が此処にあるような気がした。
「ぅ、あ?」
知らない人間の腕に抱かれて嬰児は目を見開いた。その目と目が合って、逸した。
またあの感情が沸き起こるのを感じたのだ。
汚い感情。ようやく分かった。
これは紛れもない、嫉妬。
皆からの愛を一身に受けるこの存在に対する嫉妬と。
そして、また全て奪われてしまうかもしれないという恐怖。
奪われる前に奪えという声が頭の中で響く。
ああ。おかしくなりそうだ。
「……小十郎。俺には、無理だ」
「政宗様」
「こんなに脆いもの俺には、重すぎる。
重すぎるんだ」
そう言って腕ごと彼に伸ばすと、中途半端に抱いた嬰児が顔をくしゃくしゃにした。
「ぇあ、あ」
みるみるうちにたまってゆく涙に焦りを覚える。
伸ばしていた腕を引っ込めて抱き直し、見よう見まねで揺り動かした。
「な、泣くな」
頼むから泣いてくれるな。
「ふ、ぅん」
嬰児が瞬きをする度にその目からは透明な滴が流れていった。
「泣かないでくれ、頼むから」
泣きたいのは俺の方だというのに。
目の奥が熱くなった。
今はない右目の奥でさえ、爛れるように酷く熱い。
「ち、くしょう」
気付いたら頬が濡れていた。
泣きたいわけじゃなかったのに。
だから赤ん坊は嫌いだ。
昔を嫌でも思い出す。
もう誰も傷付けたくなんかないのに。
もう誰にも嫌われたくなかったのに。
こちらの気持ちになんか気付きもせずに泣くんだ。
ぴとり。
不意に、頬に触れる手に気付いた。
「お前」
紅葉よりも小さな手は確かな熱を持っていて。
まるでその鼓動すら伝わるくらいに、温かかった。
「ぇあー」
意味を持たない喃語。
その行為ですら、きっと純粋な興味からくるもの。
決して慰めてなどいない。
「あ、うぅー」
笑顔さえ浮かべずに、ぴとりぴとりと両の手で頬に触れてくる。
その行為に、けれども俺は救われた。
こんな俺にも与えられるものがあるのだと知った。
「……ありがとう」
いつか大人になる君へこれだけは覚えておいてくれ
君の存在に救われた人がいるということを
(ま、さ、む、ね。Repeat after me)
(ん、ま、まー)
(惜しい、もう少しだ)
(まー、ま、むぅ)
(Wow! よし二文字目だ! すごいぜ!)
(きゃーあ)
(……あの、政宗様)
2008/07/12