短編(その他/過去) | ナノ
外は雨が降っていた。

雨は嫌いだった。自分の形をそこに留めてしまうから。

それでも依然、しとしとと、肌に纏わりつくように気だるい雨は止まない。
滅多に振らない砂漠の雨は、一旦降るとしつこいくらいに続く。

(……参った)

誰にも聞かれることがないように心の中で呟いた。

少し湿気ているような気がして、まだ長い葉巻を灰皿に押し付けてしまう。そして引き出しのシガレットケースから新しい葉巻を取り出すけれど、それもすっかり冷たくなってしまっていた。これじゃあ火なんて付きやしないだろう。

少しの苛立ちとともに仕方なく、そのまま口に咥えておく。あぁ、今の自分はどれほど惨めに見えるだろうか。壁代わりにしている水槽から鰐たちがこちらをちらりと見てはそっぽを向いてしまった。なんて冷たい奴らだ。


「Sir.」


ふと、自分を呼ぶ女の声が背中に投げつけられる。聞きなれたそれに振り向こうとしない自分を見かねて、女は目の前までやってくる。手には書類とスケジュール帳。この会社を設立した当時から秘書をしている彼女のお決まりの格好である。


「そろそろお出かけになるお時間ですが」
「……あぁ。今行く」


ぼそりと返す返事に彼女は不機嫌そうな顔をした。どうやら、言葉に込められた見え透いた嘘にあっさりと気付いたようだ。


「……出かける気、ありませんよね」


ご名答。そう言ってやりたくなったが、口に出した途端小言が飛んで来るのが目に見えている。無言を貫き通していると、重い溜息が聞こえた。


「今日は、マリンフォードで召集がある日ではありませんでしたか」
「……」
「貴方、この前も行かなかったからセンゴク元帥からお叱りのコールがあったのですよ。私、関係ないのにどやされましたし」
「……」
「話、聞いてます?」
「聞いてない」
「やっぱり」


彼女はまた重たい溜息を吐き出した。上司に対する態度としては少々過ぎたものだろうが、今は怒る気も呆れる気も起こらなかった。何をするにも億劫なのだ、雨の日は。


「行きたくねぇ」
「また、そんな事言って」
「別に一人減ったって構いやしねぇさ」
「構うから、元帥はあんなにお怒りになられるのでしょうけれど」


その時、ちょうどよくコールの音が室内に響いた。大理石の床は物音をよく反響させるようで、壁代わりの水槽から鰐がうるさそうにこちらを睨んだ気がした。


「お呼びですね」
「……」
「駄々をこねないで下さいまし」
「こねてない」
「だったら早く出かけませんと」
「嫌だ」
「それを駄々をこねると世間では言います」


リズムよく会話している間にもコールは続く。よほど気に障るのか、水槽の向こうの鰐が苛立たしげに壁に体当たりしていた。なんと、短気な奴だ。誰に似たのだろう。


「あらまぁ」
「気にするな、ここの壁は分厚い」
「そもそも、あの子の機嫌が悪いのはあなたのせいでは?」
「何で俺のせいなんだ。センゴクだろう」
「あなたが中々お出にならないからです」
「じゃあ切ってしまえ」
「いいですけど、後でお前のせいだなんて仰らないで下さいね」


口調はこんなのでも俺に従順なこいつは、言うとおりに切ってしまった。

しかし切った直後、また鳴り響くコール音。
タイムラグはわずか、一秒足らず。


「……あらまぁ」
「……」
「これは、かなりお怒りのようですよ」


このままだと海軍の船がこの国にやってくるかもしれませんねぇ。
他人事のようにそう呟いた彼女を少し睨んだ。しかし何処吹く風で「だってサーが悪いんですもの」と言ってのけた。ああ、こいつはこんなやつだった。

舌打ちを一つかまして、革張りのデスクチェアから立ち上がる。何も言わずに歩き始めたが、傍らには気付いたら彼女がいた。


「名前」
「はい、Sir.」
「お前が雨を操れる能力者だったらなぁ」


こんな雨なんてすぐ何処かへやってしまえるのに。
言い終わって、らしくないことを言ってしまったとすぐに後悔する。
となりの女も、そのように思ったようでこちらを凝視していた。


「どうされたんですか。そんな子どもの様な夢見がちなことをいうなんて」
「失礼なやつだな。その、アレだ。男はいつまでも童心を忘れないっていうアレだ」
「まあ。そんないかつい顔で童心だなんて」
「……枯らすぞ」


本気で能力を発動しようかと思ったが、話を振ったのは自分だと思い返して我慢した。

まったく、口が減らない部下を持つ上司は大変だ。そう考えながら先を歩いていると、隣の彼女から小さな笑い声がした。途端に眉間に皺が寄る。


「お前、いい加減に……」
「いえ、違うんです。Sir.」
「?」
「私はこのままでいいと思うんです」


女の言葉に思わず足が止まる。そして怪訝そうに彼女を見ると、花のような笑みをこちらに向けていた。


「私はこのままでいいんです」
「……能力者になりたくないってか」
「そうじゃなくて」


極上の笑みを絶やさぬまま、女は言う。


「あなた一人を守れるだけの力でいいんです、私は」


その言葉に、一瞬身を捕らわれたように錯覚した。
彼女は立ち止まる俺の横を通り抜け、廊下の先へ向かう。


「ほぅら、早く行かないともっと怒られますよ」


自分に向けられる笑顔を見て、俺はこっそりと嘆息したのであった。


「……まったく、能力者じゃないなんてとんだ役立たずだ」
「あら。そんなこと言っていいんですか? 影でここの運営をしているのは誰だと?」
「……さて、行くか」
「はい、参りましょう」






万里先に降る雨


tittle:相生い国花




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