君は遠い人 | ナノ
突如牢の前に現れた人物は、調査兵団を総べる団長、エルヴィンだった。
助かった。思わず私はそう思った。
さしものリヴァイ兵長も、この人の前では私を切り伏せたりはしないし、エルヴィン団長もそれを命じたりはしない、だろう。
多分。
私の予感は的中で、エルヴィン団長の姿を認めるとリヴァイ兵長は剣を仕舞った。
首元にあった圧迫感が消えて、私は思わずその場に座り込んだ。
「あー……怖かった……」
本当に殺されそうだった。今更冷や汗が背中を流れていく。
無様に床に手をついた私を、兵長はちらりと見たあとさっさと檻の外へ出ていく。
そして錠の落ちる音が牢の中に響いた。
「リヴァイが手荒な真似をしたようだ。すまない」
礼儀正しい性格のエルヴィン団長は、わざわざ私に頭を下げた。それだけでも畏れ多いのに、その横で冷たい目で私を睨んでいるリヴァイ兵長がものすごく怖い。
「エルヴィンに何させてんだ」と十中八九彼は思っているだろうが、そうさせている張本人はまぎれもなくそちらである。
「いやいや、別にそこまで謝ってもらう必要は……」
「この通り、彼は少々目つきが悪いため誤解を受けやすいが、兵士の性だ。許してやってほしい」
「は、はは……もちろん」
礼儀正しいエルヴィン団長と、その後ろから悪魔のような顔で睨みつけているリヴァイ兵長とを交互に見ながらいささか引きつった笑みを返す。
とにかく、早いところ話を終わらしてしまいたい。
「あの、お言葉の途中で恐縮なのですが……今後、私はどういった扱いを受けるのでしょうか」
早くリヴァイ兵長の突き刺さるような視線から逃げ出したい一心で、話を逸らした。
エルヴィン団長は、私の言葉に眉根を少し持ち上げた。驚いているらしい。
「……なぜ牢に入れられている、とは聞かないのか」
「あー……何となく、分かっているので結構です」
私が巨人に捕食されないということは、先ほどリヴァイ兵長含めた彼の班員がばっちりとその目にしている。人間であるならば巨人に捕食される、というのがこの世界の常識であり、私はその常識の範疇から外れているのだ。恐れられたり、疑われたりするのは想像に難くない。
「……不思議だな」
「へ?」
エルヴィン団長は、ふと表情をゆるめた。
「最初、巨人に襲われない少女がいるという報告をもらった時は思わず耳を疑ったが、やってきてみればさらに耳を疑うような事を言い出す始末だ」
ここで彼は、いったん言葉を切った。
真剣な表情に切り替わる。
「違う世界から来た、と」
どうやらエルヴィン団長は、かなりはじめの方からこの場にいらっしゃったらしい。
「すまない、盗み聞きするつもりはなかったんだが、どうせ後で聞くことになるだろうから、と」
それはその通りだ。リヴァイ兵長と話し終えてもその報告はエルヴィン団長の元へ伝わるだろう。間に何人もの人を挟む手間がない分、合理的だ。
「いえ、事実ですし」
「ふむ。そうか」
さらりと頷いたエルヴィン団長に今度は私が驚いた。
「……あれ? 疑わないんですか?」
「疑うも何も、君が事実と言ったんだが」
「いや、それはそうですけど……」
「それに、君の服装は確かに我々の見知ったものとは変わっている」
「え?」
そういえば、普通に私服を着ていたんだった。今の私はラフなTシャツにチノパンという、ありきたりな服装だが、ここではそうでもないらしい。
「服もだが、これも……」
エルヴィン団長は言いかけて、とあるものをとりだした。
「あ、私のケータイ」
彼の手には私のケータイがあった。ずっとポケットに入っていたのだが縄で縛られる前に持ち物を預かられたのだ。
「こんな装置、見たことがない。材質も不明だが、これは相当な技術が詰まっていると思う」
エルヴィン団長は、改めて私を見据えた。
「君の服装、持ち物……。いずれもこの世界にないものだ。巨人が、この世界の人間だけを襲うのであるという前提条件なら、君は本当に異世界の人間なのだろう」
その言葉に私は安心したが、それにしても気にかかる言い方だ。
「あ、あの」
「なんだね」
「その、前提条件がなければ、私は『人間として』認められないということですか」
「……そうだ」
エルヴィン団長は正直に頷いた。
巨人は人間を襲う。
襲わないのは動物と、同じ巨人だけだ。
彼は、私が巨人である可能性がまだ残っていると言いたいのだ。先ほどオルオが言っていたのと同じこと。
溜息が出そうだ。
漫画でアルミンが、演説でエレンを庇っていたのと、全く逆のことになっている。
私は巨人に襲われない。
巨人になることのできるエレンは、巨人になっても襲われる。
私の他に同じ境遇の人がいれば、私は人間と認められただろう。しかしエルヴィン団長がこんな話をするからには、前例がないのだ。
どうする。どうすれば認めてもらえる。
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