境征参加 | ナノ



頭のおかしいのではないか。
佐助の感想はまずそれであった。

未来は、誰にも分からないものなのだ。なのにこの娘は、「未来の人間だ」という。

だから口を挟もうとした。
しかし彼は名前を見て思いとどまった。

彼女は拳を膝の上で固く握りしめている。その表情には、嘘をついているときに見られる焦りのような色はなく、血の気が引いた青白い顔で沈鬱な表情をしていた。

こんな顔、そうそう演技で出来るものではない。出来たとしても、相当出来る忍しか自分の目は誤魔化せない。

実は先ほど、彼女を信玄の前に出す前、身体検査を済ましていた。
発見されたのは手ぬぐいのような布とちり紙だけであった。つまり、何処にも忍具や暗器などは見当たらなかったのだ。

体内に何かあるのか、とも思ったが、鳩尾を殴ったせいで胃の中身を吐き出しており、その線も無くなった。

そう。彼女はまったくの無手なのであった。

忍が無手になることはまず、有り得ない。
それでも、未来から来たという荒唐無稽な話は到底信じられない。

そして思い浮かんだ妙案が一つ。


「一つ、聞いていい?」


自分からの質問が意外だったのか、彼女は肩をビクッと震わせて恐る恐るこちらを向いた。


「な、何で、しょうか」

「君さ、未来から来たんでしょ? だったらさ、何か予言してよ。この先起こるであろうことをね」

「予言……ですか?」

「そうしたら、信じてあげるよ。ね、大将」

「うむ。そうだな」


すると彼女は何やら考え込んだ。

何か策でも練りだしているのだろうか。それとも、本当に記憶を探っているのか。


しばらくして名前は顔を上げて、告げた。

その顔は依然として血の気はないが、目だけは真直ぐにこちらを向いていた。

よほど自信があるらしい。


「……今が永禄3年ならば、すでに織田信長は、桶狭間で今川義元を奇襲したんでしょうか」

「……初耳だね」


嘘だ。自分が極秘で仕入れている情報によると、尾張の魔王は現在兵糧や武器を集めている。
しかしこの情報は、自分しか知らない情報だ。この娘が現れる直前に仕入れたばかりの。

上杉の忍にもばれてはいない、極秘中の極秘情報。

そんなものを、この娘が何故知っている?


「……佐助」

「何でしょう」

「今の話は本当か?」


信玄の問いに佐助は溜息を一つこぼして答えた。


「……実はこの娘が現れる前に、俺は尾張に行って参りました。
 そこで、織田が兵糧及び武器を大量に仕入れていた現場を見てきたんです」

「戦の準備か」

「おそらく。織田は今厳戒態勢で準備を整えています。そこまでは分かったんですが、いったい誰を狙うかまでは……」


そこまで言ってから、佐助は名前を見た。
忍でもなく、この情報を言い当てた少女。

しかも桶狭間、という場所まで言ってきた。


「そうか……」


信玄が髭を弄びながら深く考えるように溜息を吐いた。
その時だ。天井からコンコン、と小さな物音がした。


「何だ」


天井の方も見ずに佐助が声を発した。するとカタン、と音を立てて天井の一部がはずれ、そこから人間の顔がのぞいた。

その光景に思わず声を出しそうになった名前だが、何とか押しとどめた。

(に、忍者だ! 本当に天井から来るんだ……)

名前以外はその光景に動じない。日常茶飯事なのだろう、と彼女は推測した。

天井から現れた忍は、そこにいたまま佐助に話しかけた。


「長、火急の知らせゆえ今すぐに」

「分かった」


部下らしき忍はそれだけを伝えると、天井に蓋をした。立ち去ったようだが、その物音は一切聞こえなかった。

佐助は信玄に向き直ると、頭を下げる。


「申し訳ございません、ちょっと行ってきます」

「うむ、行ってまいれ」


信玄の一言で佐助はその場から掻き消えた。

名前は目を丸くする。


(何、今の……! マジック!?)


どこに行ったのかとキョロキョロと周囲を見回していると、信玄が自分のことをじっと見ていることに気が付き、我に返って姿勢を正した。

相手はかの猛将、武田信玄だ。
無礼を働いたらたちまち首を切られてしまうかもしれない。

先ほどの佐助、という忍者。
あの男も恐ろしいが、よく考えればその上司であるこの男が一番怖いのではないか?

そう気付いた彼女は内心びくびくとして座っていた。

しかし、前の方で笑ったような気配がした。


「……?」


恐る恐る顔を上げてみると、信玄は微笑を湛えて自分を見つめていた。

優しい笑顔。

こんな笑顔をする人物だとは、歴史には書かれてなどいなかった。


「お主は、佐助や儂が恐ろしいようだな」

「……!」


ぼうっとその笑顔に見とれていると、いきなり本心を言い当てられ、心臓が煩いくらい跳ね上がった。


「そ、そそんなことは……」

「無理はせずとも良い。儂はこの成りであるし、佐助には……怖い目にあわされたのであろう?」


うっ、と息が詰まった。

否定は出来なかった。
あの時の刃物の冷たさと、死を感じた時の寒気を思い出して、どうしようもなく目から涙が溢れた。
しかし頬に流したくなくて、俯いた。

それでも止まらない涙はズボンに次々シミをつくっていく。

信玄は立ち上がり彼女の側まで来ると、その大きな手を名前の頭に置き優しく撫ぜる。


「首に包帯が巻かれておる。あれがやったのだろう」


頷くつもりはなかった。しかし、撫でられる手のひらの心地よさに心が折れた。
小さく頷く。

信玄は苦笑した。


「あ奴は忍だからの。感情を殺して主の害となるものを排除する」


少し遠い目をして、信玄は呟いた。

しかし、と続ける。


「忍といえど人の子。慣れているなどと言いおるが、儂は心配でならん。だから、出来る限りでよい。あまり怯えないでやってくれぬか?」


名前はうなずくことが出来ずにいた。

ついさっきのことだからだろうか。唇を噛み締める彼女に、ふっと信玄は軽く笑って彼女の首を指差した。


「ちなみに、その首の包帯も佐助が巻いたものだ」

「……え」


縄で縛られる前だろうか。そっと傷口があるところに触れてみたが痛みはなく、粗い布の感触だけがした。

(治療して、くれたのか)

確かにあの男、佐助は怖い。多分一生、あの冷たい目は忘れられない。

しかし、少しだけ。
ほんの少しだけ、怖さが和らいだ。
そんな気がした。


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